私を沖縄に連れて行って その3
与那林道の下りを時速80キロで下っていく。
ゴウゴウと風切り音が俺の両耳を劈いてゆく。
いったん加速し始めると、カーボンセミディープホイールのBORA ONEはとどまることを知らない。
なるほど、ホイールの空気抵抗というものはこんなにまでも変わるものなのか。
過去何度かこのコースを試走したのだが、その時はおじさんご自慢の手組ホイールだった。スピードも時速80キロで頭打ち。それにリスクを背負ってまでアウタートップにしてペダルを踏み込むつもりもなかった。
だが、今日は決戦ホイールのBORA ONE。タイヤも普段使いのルビノプロから最軽量チューブラータイヤのCORSA SPEED。お値段は1本1万5千円。普段使っているルビノプロのなんと5倍。おったまげだよ。
体を伏せて空気抵抗を減らすだけで車速は80キロからどんどんと加速してゆく。一体このままどこまで加速していくのか、サイコン(サイクルコンピューター)をチラッと見ると時速は85キロになっていた。
ヒルクライムでは心拍計が180を越えた分、下りでは少しは休めるかもと思いきや、どういう訳だか下りでも心拍数が170に迫る勢いだ。休める余裕など何処にも無い。
もっとも、下っている間は、カーブでは息を止め、見晴らしのいいストレートになってようやく息を吐けるのだから心拍数が上がるのも無理はない。
だからと言ってダウンヒルでは普通に息をする余裕など全くないのだ。一瞬でも気を抜いて路面のギャップに嵌った日には、命の保証なんかありゃしない。
そもそもリハビリの一環でロードバイクに乗ってたら、どういう流れか分からんが気が付いたら『ツール・ド・おきなわ 市民レース210km』にエントリーしてしまっていたのだ。
人間調子に乗りすぎると後で痛い目を見るってのがこの世の常。
リハビリの最中に落車して大怪我なんてことになったら、チームのみんなにも、そして仲間たちにも顔向けなんか出来やしない。
それは十二分に分かっているのだが……だけど、気が付くとペダルを踏み込んでいる。
鬱蒼とした山原の森の中、緑の奈落を一気に落っこちていく。
そういや、ツール・ド・おきなわのキャッチフレーズは『熱帯の花となれ風となれ』というのだが、実は、お星さまになるかもしれないってのはここだけの秘密。
まぁ、もし、ここで落車でもして『熱帯のお星さま』にでもなったなら、次の人生はツール・ド・フランスを目指すのもアリかな。
時速90キロに迫ろうかという与那林道の下り、俺はそんな取るに足らないことを考えながらギアをアウタートップに入れる。
キュンと小気味よい音を立てデュラエースDi2はトップギアにシフトアップした。
…………一カ月前、
「1・2・3・4・5・6・7・8」と屈伸をしながら俺。
「2・2・3・4・5・6・7・8」と伸身をしながら司。
「3・2・3・4・5・6・7・8」とアキレス腱を伸ばしながら俺。
「4・2・3・4・5・6・7・8」と伸脚をしながら司。
10月に入ったというのに、ここ沖縄県豊見城市の美ら(ちゅら)SUNビーチには海水浴客がそこかしこにいる。
しかし、そんな海水浴客を尻目に俺達は砂浜でトレーニングにいそしんでいる。
「5・2・3・4・5・6・7・8」と前後屈をしながら俺。
「6・2・3・4・5・6・7・8」と回旋をしながら司。
ビーチにはあきらかに不釣り合いな明和のジャージを着た俺達二人を熱帯魚のような華やかな水着を着たギャル達がチラチラと見て来る。
「7・2・3・4・5・6・7・8」と手首足首を回しながら司。
「8・2・3・4・5・6・7・8」と深呼吸をしながら俺。
と、その時、「おーい、鳴瀬ー、北里ー」と俺達の名を呼ぶ懐かしい声が聞こえてきた。
顔を上げるとSC那覇のジャージを着た恒田さん。そして……
「神児ー、司ー、差し入れ、差し入れー」そう言いながら両手いっぱいにジュースやらハンバーガーやらを持った木本さんが……
どうもお久しぶりです。木本さん、恒田さん。お元気でしたか。僕は元気です。
事の始まりは先日、練習後で部室でダラダラしていたら、俺と司のスマホにシュポンと同時にメッセージが入ったことからだった。
見ると今年の3月に卒業した木本さんと恒田さんのメッセージ。そういや明和のグループLINEはそのまんま。
二人とも今はJ2の那覇マリーンズに所属している。まだレギュラー確保とはいかないまでも、貴重な戦力として重宝されていると聞く。
メッセージを見るとオリンピックの労いの言葉と俺の怪我についてだった。
すると司は、木本さんに電話をかけ、なにやら二人だけで話をどんどんと進めていく。
そして電話が終わる事には、俺のリハビリを兼ねて司と一緒に沖縄に行くことに決まってしまったのだ。
一体どういうことだと司に聞いてみると、なるほど、考えてもみれば明和に入学してから1年半、全く休むことなくサッカーをし続けてきた俺達。正直、司も俺ほどの怪我ではないが体のあちこちにガタが来ており、どこかでまとまって休みが欲しいと思っていたところだと……沖縄にバカンスかー。
戦士にも休息は必要なのだなと、俺は司の提案をすぐに受け入れ、家に帰って早々に旅路の支度をした。
ところでパスポートって持って行くんだっけ?
その週の終わりには、監督やチームの人達に挨拶を済ませ俺たち二人は飛行機に乗っていた。
こういうところは相変わらず仕事早いんだよなーコイツ。
那覇空港に着くと、既にそこには恒田さんと木本さんが……しかもなんという事でしょう。宿泊先は恒田さんと木本さんが所属する那覇マリーンズの寮に泊まらせてくれることになっていたのだ。
その上、クラブの施設も自由に使いたい放題。ジムからプールからなんなら一緒に那覇マーリンズの選手と練習してもいいらしい。
至れり尽くせりとは、まさにこのことだ。神児感激。
相変わらず、やることなすこと隙が無いっすね上司。俺もちょっとは見習わなくっちゃだわ。
思わず何かたくらみがあるのかと勘ぐってしまうのだが、そこら辺はほら、うちの上司に全部丸投げなんで、まぁ大丈夫でしょう。
いやですよー。ある日突然明和に退学届けを出されていて気が付いたら那覇マリーンズの選手になっているとかいうオチは……大丈夫ですよね?
すると、寮についてとりあえず荷物を置く俺達。
恒田さんや木本さんとも募る話がいっぱいあるので、とりあえず旧交を温めるついでに沖縄の名物料理なんか頂いちゃおうかなーと思ったら、司は挨拶もそこそこに、寮の真ん前にある『美ら(ちゅら)SUNビーチ』へ。
やだなー、せっかちですよ上司。青い海も白い砂浜も逃げませんって。
沖縄について早々、そんなに急がなくても……と思っていたら、司は野暮な明和のジャージに着替えさっさと出かける準備をする。
えー、せっかくの沖縄なのにオシャレしないのー?と思ったら、何やら、恒田さんも木本さんもジャージに着替えている。
「しっかし、北里もクソ真面目だよなー。着いてそうそう、時間がもったいないのでトレーニングしましょうって」と恒田さん。
「ほんと、ほんと、せっかく沖縄来たんだから少しは羽延ばしたっていいのになー」と木本さん。
体のメンテナンスもかねてちょっと遅めのバカンスと聞いていたのだが、これは一体どういうことだい?
もう嫌な予感しかしないのだが……




