オリンピック 後日譚 その2
司は車椅子の俺を明和グラウンドの駐車場まで連れて来てくれると、肩を貸して司の家のフィットの助手席に座らせてくれた。
司は俺が日本に帰って来たから……いや、俺がケガをした翌日から献身的に俺の身の回りの世話をしてくれている。
それはもう、本当に頭が上がらないくらいに……おふくろに至っては、「もう、司くんちにお嫁に行っちゃえば」などと笑えない冗談を言ってくる始末だ。
でも、こういうことを言うのは、本当に恩知らずだと自分でも重々承知しているのですが……流石に、もう、ちょっと、息が詰まりそうです。はい。
そして、今日はこの後、市内にある南海大医学部付属病院に連れて行ってもらう予定だ。
それまでの間、ちょっと司とドライブ。
相変わらず、甲州街道の銀杏並木からは蝉時雨が燦々と降り注いでくる。
お盆を過ぎたとはいえ、盆地である八王子はまだ夏は真っ盛りだ。
ハンドルと握りながら司が言う。
「さっきのブラジル戦、お前、どう思う?」と。
「やっぱ、マゼミーロが効いてたな」と俺。
「ああ、ブラジルの左サイドのレイマール、カルセロ、マゼミーロのトライアングルが厄介だった。お前ならどう攻める?」と司。
「難しいこと言ってくれるなー。結局レイマールひとりを抑えたところで、カルセロさんが顔を出してきて、マゼミーロがしっかりとケアしてくれる。だから、金メダル取れたんじゃねーの?」と俺。
「まあ、違いねーな。俺達が戦った3週間前のブラジルとは全く別のチームだありゃ」
面白いことに、現地の新聞ではあの試合の翌日「ゴイアイアに悪魔が召喚」とか、「カナリア、ロードローラーに轢死」やら、「王国粉砕」など、ずいぶん酷い言われようだったのだが、ブラジルが本戦で勝ち進むにつれて、「あの試合でブラジルの課題が浮き彫りになった」とか、「マゼミーロ召集の決め手」やら、しまいには「鳴瀬レッスン」などと持ち上げられるようになってしまったのだ。
皆さん、手首、柔らかいっすね。
実際、ブラジルの惨敗をテレビで見たマゼミーロがあの試合の最中に協会に連絡を入れて「今すぐ私を招集しなさい」と、言ったとか言わないとか……
結局あの試合の三日後に、ケガをしたGKのフェイマールに替わり電撃招集。(まあ、ここら辺が現地開催の良いところだよな。日本だったら1週間はかかる)
そしてオリンピックの開幕戦にレイマールもカルセロさんも間に合うと、怒涛の快進撃を始めたオリンピックブラジル代表。
そしてついに宣言通りに全勝で金メダルを手に入れたのだ。これも歴史通りか……
すると……「そうそう、川藤さん、喜んでたぞ」と司。
「川藤さんが?なんでまた」と俺。
「おう、今朝の『シャッキリ』見てなかったのかよ」
「ああ、わりい、見てねーわ。家、朝はMHKだから」
「可哀そうに……」そう言うと、必死に笑いを堪える司。
「何がだよ」
「いや、川藤さん、ブラジルの金メダルのニュースの時さ、『これで、ブラジルに勝てた唯一のチームがオリンピック日本代表だけになりました』とか言ってお前のユニフォーム着てバンザイしてたぞ」
「ああー……なんか悪いことしたなー」
「後でスマホでその動画探しておいてやるから、それ見たら、川藤さんに連絡しとけ」と司。
「うん、分かった」と俺。
俺はオリンピックから帰って来て川藤さんの『スーパーフットボール』に出演した時のことを思い出した。
司にしても、今年の2月にあれだけデカイ口叩いての結果がこれだったから、川藤さんに一言詫びでも入れたかったのだろう。
俺も、川藤さんになんて挨拶していいのかいろいろ考えたのだ。
「ハーイ、あべっち」といきなりボケて誤魔化すのもアリかな……とか、
それとも普通に頭を下げて「期待させてすみません」って謝ればいいかなんて……
だけど、川藤さんは番組が始まると何も言わずに車椅子に座っている俺のところまでやってきて、そのままギューッと俺の事をハグしてくれたんだ。
そしてそのまま「よくやった、よくやった」と言いながらずーっと背中をポンポンと叩いてくれた。
俺はこの世界にやって来て、フットボールの事で泣いたのは、これが初めてだった。
その後も5分以上その状態でカメラはずーっと回りっぱなし。
まさかその様子をオンエアするなんて思ってもみなかったが、この番組には妙に肝の座ったディレクターがいるのか、なんとその様子をそっくりそのまま流したのだ。
いや、ちょっとくらい編集しましょうよ。
事情を知らない人が見たら、放送事故ですよコレ……




