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ドライビング Mr.室田 その11

「オイ神児、オイ神児」


 気が付くと室田さんが俺に話しかけていた。


「おい、どうしたんだよ、急にぽけーっとして」


「ああ、すいません、ちょっとぼーっとしてました。まだ時差が治らなくて」


 俺はとりあえずそう言ってごまかす。


「おいおいおいおい、大丈夫かよ神児。そんなんじゃオリンピックの本番あてにならないな。時差なんて一日で直せ一日で」


 それはそれでちょっと無理があるんじゃないでしょうか。


「で、すいません。なんでしたっけ?」


「時間だよ時間」室田さんはそう言うとご自慢のロレックスを見せて来る。どうやらこれもお給料で買ったものらしい。


 いいなー、ローレックスのサブマリーナ。ちなみに俺の時計は今も昔も、そして前の世界でもG-SHOCK。いいんだよ。これが一番俺にはしっくりくるんだから。


「……でっ、何の時間ですか?」


「観光放流だよ」


「観光放流?」


「ああ、宮ケ瀬湖の観光放流だよ」


「えーっとそれって、ダムが放流するんですか?」


「当り前だろ」と室田さん。


 そりゃ大変だ。


「今すぐ行きましょう」


 俺はそう言うとカップに残ったコーヒーをグイと煽り席を立った。


「室田さん、で、どっから水が出て来るんですか?」


 俺達は放流を真正面から見ることができる「ダム堤体ていたい正面の橋」の上に立つ。


 見上げると巨大な宮ケ瀬湖の重量式コンクリートダム。うーん、でっかいなー。


「ほら、あそこだよ、あそこ。あの高位常用洪水吐だよ」


「えっ、えっ、えっ、何て?」


「こうい じょうよう こうずい ばき だ」


 室田さんがそう言って指さす先には、二つの穴が開いている。


「ほほーう、あれが『こうい こうずい じょうよう ばき』ですね。なるほど、あそこから水が出て来るんですね。俺はてっきり上のでっかい水門から流れて来るのかと思いましたよ」


「違う違う、あそこは非常用高位洪水吐ひじょうようこういこうずいばきといって、台風や大雨で宮ケ瀬湖の水位が急激に上昇したときに開く水門なんだよ。さっき遊覧船に乗った時に湖の水位を見ただろ。あそこまでは水位は上がってなかったろ」


「あっ、そうか、なるほど!!」


 こりゃ、ほんとに勉強になる。春樹や陽菜ちゃんマジで連れてくればよかった。


 と、その時、周囲にいる人たちから「おおおー」と歓声が。


 見上げれると、まるで白い糸を二本垂らしたかのように、高位常用洪水吐から放流が始まった。


 うーん、綺麗だなー。


 水流はどんどんと量を増していき、ついには水しぶきが橋の上にもかかり始める。


「あっ、アレ、ちょっと、ちょっと、室田さん。周りの人みんな建物の影に隠れちゃいましたよ」


「何言ってんだよ、神児。せっかくのチャンスなんだよ。これくらい我慢しろよ」


 先輩にそう言われたら、「はい」か「イエス」しか許されない体育会系の悲しい性。


 さすがにこの時期だとかなり寒いけれど、せっかく来たのだから、おもいっきりポジティブになって、マイナスイオンを思う存分味わおう。


「ちなみに普段は湖の水ってあそこから流すんですか?常用っていうくらいだから」と水しぶきを浴びながら俺。


「違う違う、それ以外にも宮ケ瀬湖には選択取水設備という、いろいろな水深で水を取ることができる設備があるんだよ。それに愛川第二発電所の水力発電にも使ってるしな」と水しぶきを浴びながら室田さん。


 為になるな~、


 為になるね~。


 けれど水しぶきが激しくてそれどころではない。ってか、今まだ2月よ。


 さすがにこれ以上水しぶきを浴びたら風邪をひいちゃう。


 俺は水しぶきから逃げるために建物の影に避難しようとしたら、「せっかくだから神児、もっと前で見ろよ」と室田さん。


「ええー、他の人はもうみんな離れちゃってますよ」


 見ると、高位常用洪水吐から放流している水の量がどんどん増えて辺りは水煙で視界さえぎられている。


「こんなチャンスめったにないからさ」


 ずんずんと室田さんに背中を押されて橋の欄干までやって来る。


 けれども水煙がもうもうで、もう何が何だかよくわからない。


「ほら、ほら、ほら、ほら」


 室田さんが背中をどんどんと押してくる。


「いや、いや、いや、いや、落っこちゃう、落っこちゃう、落っこちゃう」


「大丈夫だよ神児、後のことは俺に任しとけ。ところでお前、聖書は読むか?」


「聖書?はい?聖書?はい?」


「聖書だよ、聖書。キリスト教だよ」


「いえ、いえ読まないです。ゴメンなさい」


「そうか、読んだことが無いのか。じゃあ、ちょうど今の俺達の状況にぴったりの1節があるから教えてやる。有難く聞け。」


「ハイッ、ハイッ、ハイッ」


「エゼキエル書第25章17節、


 されば、心正しき者のゆく道は心悪しき者の利己と暴虐によって行く手を阻まれるものなり。


 愛と善意の名によりて暗黒の谷より弱き者を導きたるかの者に神の祝福あれ。

 

 なぜなら彼は兄弟を守る者、迷い子達を救うものなり。主なる神はこう言われる。


 我が兄弟を毒し滅ぼそうとする悪しき者に私は怒りに満ちた懲罰を持って大いなる復讐を彼らに成す。


 私が彼らに仇をなすその時、彼らは私が主であることを知るだろう」


 轟く放流音によって室田さんの声がかき消されていく


「ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って~」


 と、その時、♪テッテケテッテケテッテテッテテッテテーとiPhoneの着信音が……あれ……俺のじゃないな。


「なんだよ、せっかくいいところだったのに」


 室田さんはぶつぶつ言いながら、俺の襟首から手を放して電話に出る。


 ところで室田さん、そのiPhone、多分防水機能ついてないですよ。たしか防水機能の付いたiPhone7は今年の9月(2016)に発売です。


 すると「はい、室田です。……はい、…………はい、…………はい、わかりました」


 室田さんはそう言って通話を着ると、「ゴメン、神児、なんかクラブの人から話があるからすぐに来てっていわれちゃった」と水を滴らせながら室田さん。


「ありゃま、そりゃ大変だ、早く行った方がいいですよ。水しぶき冷たいし」と俺も水を滴らせながら。


 水も滴るいい男ってこういうことをいうんだよね。

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