北里さんちのお正月 その5
口に頬張るとワシワシとした食感と小麦の香り。これは市販の麺では決して味わえないものだ。
「この麵は自家製麺ですか?」
「ええ、勿論よ。学校にある製麺機で作ったの。お気に召していただけた?」
「はい、とっても」
「そうよかったわ」
そういうとにっこりとほほ笑むおば様。
流石は上司司の母親だ。家で食べるラーメンですら決して手を抜くことはない。
奴の完璧主義はやはりここから引き継がれたものなのだ。
「できれば、お腹の空いたベストコンディションで食べたかったです」
「何言ってるのよ神児君。若いんだからそのくらいへっちゃらでしょ」
そう言って悪魔的な微笑みを見せるおば様。
ならば俺もと、「小麦の香りがいいですね」と精一杯の強がりを言う。
「あら、神児君分かる?これは国産の高級小麦粉のはるゆたかとキタノカオリをブレンドしたのよ。嬉しいわ気づいてくれて。それに引き換えうちの子といったら」そう言っておばさまは司を見ると、先程から箸が全く動かなくなっている。
そして……「ぴーーーーー」っと久しぶりに聞く司のエラー音のような悲鳴。
それと同時に箸を持ったまま机に突っ伏した。
「我が子ながら情けないわねー」そう言うとため息をつくおば様。
いえいえ、司も相当頑張りましたよ。
「あかん、あかん、もうダメや」と優斗もついに箸が止まる。
次々と脱落していく仲間を尻目に俺はおば様との会話を続ける。
「これだけ本格的な二郎、一体どこで覚えたのですか?」と俺。
「実はうちの卒業生の一人が二郎で働いててね、そのつてで一度勉強させてもらったのよ」とおば様。
「ってことは、インスパイア系ではなく?」
「もちろん本家筋よ」
そう言ってにっこりとほほ笑むおば様。
なるほど、二郎の持ち味であるカエシの風味も野菜のシャキシャキ感も、スープの乳化具合も俺達がよく行っている二郎となんら遜色がない。恐るべき司のかあちゃん。この人の引き出しには一体どれくらいの料理が隠されているのだろうか……そんなことを朦朧とした意識の中で考える。
ああ、もう、視界がぼやけてきた。
既に春樹と陽菜ちゃんは白旗を上げてひっくり返っている。
莉子に弥生に遥も箸を置いてしまった。
するとおばさまは一人一人にお鍋を用意して、「じゃあ、この中に入れて持ち帰って後で食べてね」と鍋二郎をせっせと用意する。
「すいません、俺もお鍋お願いします」
俺もついに白旗を上げた。
「あら、残念ね」そう言いながらお鍋を用意するおば様。
すいませんね、ご期待に沿えなくて。
そして状況はここにきてついに拓郎とおばさまの一騎打ちになる。
別に勝ったからと言って何かを得るわけではない。
だがこの戦いは誇りを掛けたファイター達の戦いなのだ。
先程から火事場のクソ力ならぬ鯱力で二郎をすすっていた拓郎だったがついにここにきて手が止まってしまった。
八王子の鯱、ここでついに敗れるのか。
口に自家製麺を詰め込みながら「むふー、むふー」と苦しそうに息をする拓郎。
まるで砂浜に打ち上げられたクジラならぬ鯱のようだ。
ついにここまでか!!拓郎は握っていた箸を落とす。
すると、「活動限界です……森下拓郎、沈黙」と悲痛そうに隣で実況を始める遥。
おい、お前、まだ余裕ありそうだな。
そしてついに拓郎はピクリとも動かなくなってしまった。
「あらあら、残念ねー、じゃあ、お鍋の準備しちゃっていいかしら?」とウッキウキのおば様。
なんかとっても嬉しそうですね。
この寿司桶の中に入っている二郎が鍋次郎になった瞬間、勝利はおば様のものに……これでいいのか、拓郎。
「拓郎頑張れ」と意識を取り戻した司が。
「拓郎君頑張って」と弥生が。
「拓郎兄ちゃんがんばれ」と春樹が。
「拓郎、気張りや!」と優斗が。
「拓郎君、頑張ってや」と陽菜ちゃんが。
「拓郎君」と莉子が。
「拓郎、ファイト」と翔太が。
みんなの願いが拓郎に奇跡を呼び起こす。
すると、拓郎が再び箸をつかんだ。
「森下拓郎、再起動!!」遥が叫ぶ。
と、同時にむほー!!と叫びながら信じられない勢いで麺を啜り始めた。
「これで勝てる」そう言ってにやりと笑うとこぶしを握る遥。
だからお前は一体誰よ。
すると、寿司桶に山のようにあった野菜と麺が見る見るうちに無くなっていく。
俺達は一体何を見ているのだろうか。
「喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……」
拓郎は麺を啜る合間に、呪文のようにつぶやき続ける。
「もういいよ、拓郎君、やめて」
常軌を逸した拓郎の様子を見た弥生がもう十分だと声をかける。
だが、拓郎は、「喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……、喰ってやる……」
なおも麺を啜る手を止めない。
もう限界はとうに越しているはずなのに……
だが、限界を越した拓郎の前に再びローレライが立ち塞がった。
その両手にはでっかい両手鍋が……
そして……「あら、ごめんなさい拓郎君、そういえばブタを忘れてたわ」
おば様はそう言うと、拓郎の前の置かれた寿司桶の中に、煮込まれた豚を次々と乗せていく。
その数は、実に9個にものぼった…………
「ひっ」弥生が思わず悲鳴を上げる。
それと同時に拓郎の動きも止まった。
「拓郎ー!!」
拓郎の名を呼ぶ声が北里家のリビングにこだました。
…………二時間後、鳴海家のリビングでは。
「ねぇ、神児、あんた司君ちに行ってたのよねー。なんでラーメンなの?」
そう言って不服そうに母さん鍋二郎を啜る。
「そうそう、恒例の司君ちのお節はどうなったんだよ」
そういって親父がうな茶漬けをずるずると啜る。
例年のお約束、司の家のおせち料理を今年も食べそびれてしまった俺の両親。
去年は拓郎が全部食べ切ってしまい、今年は今年でウナギと鍋ニ郎になってしまった。
理由をいちいち説明するのが面倒くさく「なんでだろうなー」と言ってごまかす俺。
「ところで、春樹は大丈夫かー」
家に帰るなり、気分が悪いと言ったまま自分の部屋に引っ込んでしまった春樹を心配する。
「ああ、ちょっと司の家でお節食いすぎたみたいだな」
まさか、小6をフードファイトに巻き込んでしまっただなんて真相は言えず……
「まあ、たまにはこういうのもいいかな。お節もいいけどウナギもね……なんてね」
なんか親父が寒いことを言った。




