北里さんちのお正月 その1
1923年3月某日、ニューヨーク・タイムズのある記者がイギリスの伝説的登山家、ジョージ・マロニーに質問した。
「なぜ、あなたはエベレストに登るのですか?」……と。
翌年3度目のエベレスト登頂に備えていたマロニーは言った。
「Because It’s There.」
そこにそれがあるからだ……と。
その「It’s」がエベレストを指しているのか、それともマロニーにとっての挑戦すべき全てのものを示しているのかは分からない。
ただ、その時、マロニーがどういう気持ちで答えたのかは、俺はなんとなくわかるんだ。
そして俺は以前、拓郎に聞いたことがある。
「どうして全部食べちゃうんだよ?」
それは司の家に招かれた夕ご飯での事だった。
「だって、そこにあるんだもん」
ぶん殴ってやろうかと思った。
いつからだろう。
拓郎にとって、目の前にある食べ物は全て自分のものだと思うようになったのは……
そして、その八王子の生んだ鯱こと森下拓郎に挑戦状を叩きつけた一人のファイターがいた。
その人の名は北里美穂子。そう、司のかーちゃんである。
あろうことか司のかーちゃんは、この八王子生まれのバキュームカー……もとい、鯱にケンカを売ったのである。
「私の出した料理、アンタ全部食べれるの!?!?」と……
「金と時間の無駄だからやめときゃいいのに」とどこまでも冷静な我が上司。
「まあ、でも、見たいちゃあー見たいわよね」と遥。
「テレビの天皇杯よりもこっちのほうが面白いかも」と酷いことを言う莉子。
「あのーすいません。カニクリームコロッケってまだありますか?」と申し訳なさそうに尋ねる春樹。
「できたらコロッケも……」とこちらも追加オーダーをする陽菜ちゃん。
「あっ、はいはい、ちゃんとあるからちょっと待っててねー」とおば様。
風雲急を告げる北里家のリビングで今戦いの幕が上がる。
ところでタルタルソースのお替りってありますか?
おばさんはスタスタとキッチンに戻ると、しばらくしてからお皿いっぱいの唐揚げを持ってきた。
なかなか立派な有田焼ですね。
大皿に山の様に盛られた北里家特製の唐揚げ。
実は揚げ粉に「日清製粉唐揚げ粉」の粉が混ぜてあることはここだけの秘密。
唐揚げはモモ、胸、手羽先、手羽元、と種類豊富。
「やーん、美味しそー」と追加のコロッケを食べながら陽菜ちゃん。
やっぱ揚げたての唐揚げって特別だよね♪
「あっ、もちろん、みんなも食べていいのよ」とおば様
「「「ヤッター」」」と俺達。
どうやら拓郎をサポートするのは有りらしい。
「じゃあ、次の料理を作って来るから」と台所に戻ろうとしたおばさまに拓郎が、「あのー、おばさん、ちょっといいかしら?」
「なに?拓郎君」
「タルタルソースできたらもう少し欲しいのね」
ほほーう。ただでさえ胃にもたれがちの唐揚げに、美味しいとはいえ、マヨネーズでできたタルタルソースをリクエストしてくるなんざ、コレって挑発ですか?拓郎君。
「わかったわ」
目元と口元をピクピクと動かしながらおばさまはそう返事をすると、すぐにでっかいすり鉢一杯分のタルタルソースを持ってきてくれた。って、おばさん、この家、タルタルソースのストックってどんだけあるんですか?
「これこれ、これがおいしいのねー」とラッキョウといぶりガッコのみじん切りが入った北里家特製タルタルソースを唐揚げにたっぷりと付けて美味しそうに食べる拓郎。
おばさんはその様子を険しそうな目で一瞬睨みつけると、すぐさまキッチンへと戻っていった。
あっ、すいません。後で戻ってくる時にレモンの切ったやつ持ってきてもらえますか?




