プロフットボーラー、鳴瀬神児
作者の相沢と言います。
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夜明け前、暗闇の中で目が覚めた。
体を動かそうとしても全く動かない。
金縛りにあったわけではない。
これはいつものことなのだ。
俺はゆっくりと呼吸を整え、ベッドの上でひざを曲げる。
その途端、左足に激痛が走る。
俺は歯を食いしばりながら、それでもゆっくりとゆっくりと左膝を曲げ始めた。
毎朝、ベッドから起きるだけで30分はゆうにかかる。
度重なる怪我と手術で俺の両ひざはボロボロだった。
ベッドの横に座れるようになる頃には既に夜が明けていた。
子供の頃からの夢を叶えてプロのサッカー選手になれたと言えば聞こえはいいが、現実は手取り10万そこそこの底辺Jリーガーが今の俺の現状だ。
地上波のテレビなんて夢のまた夢、それでも最近はネット中継のおかげで辛うじて自分が、サッカーを生業としていることを他人に証明することができる。いい時代になったものだ。
俺はガチガチに固まった筋肉をほぐすためにゆっくりとストレッチを始める。
子供の頃からの度重なる怪我と手術のおかげで、寝起きの俺の体は筋肉と靭帯がガチガチに固まってしまい、まともに動くまで1時間はゆうにかかるのだ。
もっともこういう不便な体になってしまったのは、俺だけと言うわけではなく、プロスポーツで飯を食っている連中のなかには結構いるという話も聞く。
元代表の大久保や内田も俺と同じようなルーティンをしていると聞き、ちょっとばかり誇らしげに思ったこともある。
もっともフットボーラーのキャリアとしてはこの二人とは天と地ほどの差があると言っていい。
その上、今日をもって、俺の、その箸にも棒にも引っかからなかった、フットボーラーのキャリアって奴も終わってしまう。
5歳の誕生日に初めてサッカーボールを買って貰った日から20年そこそこ、結局俺は、年代別の代表にも、そして、もちろん子供の頃から夢に見てたワールドカップの舞台にも上がることなく引退することとなった。
だが、それは格段の悲劇と言うわけでもなく、この国のフットボーラーとしては実にありふれたキャリアなのだ。
子供達が知っている、本田とか長友とか香川とかは本当にごく一部の一部。キラ星のごとき存在なのだ。
そして、それ以外の大半のフットボーラーは誰に知られることもなくひっそりとユニフォームを脱ぐことになる。
しかし、そこだけは、他のフットボーラーと違い、チームのオーナーのご厚意で特別に引退試合を組んでもらえることになった。
地元スタジアムのシーズン開幕の1試合だけ、本来なら昨シーズン限りを持って選手としては引退することとなっていたのだが、引退後もこのチームのジュニアユースのコーチとしてとどまるために、営業面的にもこのチーム出身の俺の引退試合を組むメリットがあったそうだ。
もっとも、そのおかげで、このシーズンオフもしっかりとトレーニングを積む羽目になってしまった。
だって、そうじゃないか。教え子の目の前で無様なプレーなどできやしない。
俺はこのオフ、たった1試合、しかも数分間のプレーのためだけにきついトレーニングをやってきたのだった。