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黄金焼き

 いつから働けるか、という問いかけに「いつからでも」と答えた。

 あまり深く考えての返答ではなかったが、妙ママはにっこりと笑って、紺色のエプロンを首から掛けた。照明のスイッチに触れ、暗かった店内に仄白い明かりが灯る。

「じゃあ、今日からお願い」

 ずいぶんと強引な流れであったが、ひとまずお試しで働くこととなった。里親候補と暮らすお試し期間みたいなものだが、こちらは当日払いでバイト代が貰えたうえに賄いの食事まで付くという好条件だったので、断る理由がなかった。

「これ、使って」

 妙ママとお揃いのデニム素材のエプロンを支給され、首から掛ける。

 店を開けるのは午後六時から十時まで、正味四時間ばかりの短い営業時間であるが、客と話が盛り上がったり、一緒に飲んだりした場合は店仕舞いが遅くなることもあるという。

 営業時間の五分ほど前からぽつぽつと客が入り始め、いつの間にか満席に近い状態になっていた。客層は驚くほど偏っていて、すべてが三十代前後と思しき女性客だった。

 皆、ふらりと独りでやってきて、妙ママと軽く喋った後、案内された席に座った。

 店奥のどん詰まりにあるカウンター席には「RESERVED ―予約席―」というプレートが置かれ、空席となったその場所を除いて、三人の女性がカウンターに並んだ。

 三卓ある四人掛けのテーブル席にも各卓に三人しか座らず、必ず一席は空いていた。

 最大十六人の客が座れるはずだが、満席にはしない方針であるらしい。

 普通のアルバイトであれば、どんな仕事をするのか最低限のレクチャーがあるはずだが、ほとんど何も説明されなかった。とにかく勝手が分からず、手際よく酒を注いでいる妙ママの隣で所在なく突っ立っていると、肘で小突かれた。

「表情が硬いぞ、西山君」

「はい、すみません」

 知らぬ間に表情が引き攣っていたらしい。カウンター席に座るショートカットの女性が怪訝な顔をした。挙動不審なこいつは誰だ、と思ったのだろう。

「新人さん?」

「今日から入ってもらうことになった西山君。十八歳、めっちゃ若い」

「前の人は辞めちゃったんですか」

「店の売り上げを盗んで逃げた。ほんと、サイテー」

 妙ママはあっけらかんと喋っているが、内容はけっこうに凄まじかった。開店前に妙ママがどんよりと沈んでいたように見えたのは、店の売上金を盗まれたからのようだ。

「被害届は出さないんですか」

「なんか、もういいやって。お布施したと思うことにする」

 すべての席に酒を配り終えると、妙ママが声を張り上げた。

「金運上昇のつくねの黄金(こがね)焼きを作るけど、食べたい人、挙手っ!」

 続々と手が上がり、店内にいる客の十二人全員が手を上げた。妙ママとカウンター越しに話している客を除けば、他の客は皆、驚くほど静かにグラスを傾けている。

「西山君は食べないの?」

「いいんですか」

「遠慮はいらない。食べて、食べて」

 どうにも「小料理 絶」は定番のメニュー以外は、妙ママのその日の気分で食べられる料理が決まる仕組みであるらしい。店の売り上げを盗まれて妙ママ自身の金運が落ちているので、金運上昇の縁起メシであるつくねの黄金焼きを振る舞うことにしたそうだ。

「金運以外だと、どんな縁起があるんですか」

「家庭円満、恋愛成就、運気上昇、安産祈願とか、いろいろあるよ」

 客のリクエストがあれば応じるが、それは次に来たときのお楽しみで、実際に食べられるかどうかの保証はない。リピーターになるのは、妙ママの味と人柄に惚れ込んだ者だけ。

 妙ママは料理の手順や材料について解説しながら、きびきびと立ち働いている。

 鶏ひき肉、潰した豆腐、蓮根のすりおろしが入ったつなぎに調味料を入れ、よく練り混ぜたつくねを作り、小判型に形を整えた。フライパンに火を点け、中火で蒸し焼きにする。

 白っ茶けていたつくねの色が変わると裏返し、両面がこんがりきつね色になった。

 これを焼き網に移し、半分に切ったスライスチーズを乗せる。溶いた卵黄を刷毛で塗り、弱火でちろちろと焼きながら、もう二度、三度と卵黄を塗り重ねる。香ばしい匂いを発したチーズがぷつぷつと泡立ち、透明感が出てきところで、表面に焼き目をつけた。

「関西では鶏肉のことをかしわと呼ぶの。柏手(かしわで)を連想するから縁起が良いとされているし、小判の形にすると見た目も黄金っぽいでしょう」

 小判型に象られた鶏つくねがこんがりと焼き上がり、黄金に見立てたとろけるチーズと卵黄で仕上げられた一品は、まさに黄金焼きの名に相応しい見た目だった。

 角皿に盛られたつくねをそれぞれの客に運び終えると、妙ママが試食させてくれた。

「どうぞ、召し上がれ」

 アルバイトの最中、客の面前でこんなに堂々と食べていいのだろうかと思わなくもなかったが、遠慮しいしい箸を繰った。音をたてることにも細心の注意を払う。

 スライスチーズが糸を引いたように伸び、適度な弾力のあるつくねがじゅわりと肉汁を滴らせながら裂ける。口に運ぶと、熱々のチーズが口蓋に張りつき、柔らかな鶏の食感と、すりおろした蓮根のもっちりした食感が同時に襲ってきた。

「美味しい?」

 口の中で熱さが爆発して、とにかく水が欲しくなり、なんとか我慢して咀嚼していると、口中に肉汁が溢れ、鶏肉や豆腐が織りなす複雑な味が染み渡ってきた。作り立てはさすがに熱々すぎて、すこし涙目になったけれど、文句なしに美味しかった。

「美味しいです」

「そう、良かった」

 妙ママは満面の笑みを浮かべると、キッチンを離れ、テーブル席の余った椅子に腰掛けた。驚くほど静かだった客たちは妙ママが輪に加わった途端、喜々として会話に花を咲かせた。 

 ひとしきり談笑すると、妙ママは別のテーブルに向かい、三卓をぐるぐると回遊した。

 妙ママのいないキッチンに独りで取り残されると、途轍もない居心地の悪さと心細さを感じた。母に洋食屋に取り残された記憶までもがありありと蘇ってきそうで、首筋に冷汗が流れた。コップに水を注いで、慌てて飲み下すと、ようやく落ち着いた。

 美味しい食の記憶は母との離別と分かちがたくセットになっており、油断ならない。

「これ、めちゃくちゃ美味しいです」

「ありがとう、七海(ななみ)ちゃん」

 キッチンに戻ってきた妙ママに、ショートカットの女性が声をかけた。

「金運が上がるなら、(つかさ)にも食べさせてあげたかったな」

「最近どうなの、彼との仲は」

「相変わらずです。アトリエにこもって絵ばかり描いていて、それ以外のことはさっぱり。私と同棲するまで洗濯機のボタンさえ押したことがなかったんですよ、あやつは」

「可愛いじゃないの、子供っぽくて」

「ボタンを押したら押したで、洗濯機の前で微動だにしなくなったんですよ。次のモチーフは洗濯竜クリーニング・ドラゴンにしようかな、なんてぶつぶつ言ってるし」

「七海ちゃんを描いてくれるんじゃなかったの?」

「人間は上手に描けないらしくて、国立西洋美術館(セイビ)に行って『地獄の門』と『考える人』をしょっちゅう写生してます。私、あんなにマッチョじゃねえし。ふざけんな、司」

 空になったグラスを洗っていると、妙ママが話し相手のプロフィールを教えてくれた。

 惚気(のろけ)たような毒を吐く彼女は、(ちゃ)(しま)七海(ななみ)

 藝大出身の絵描きである蒼生(あおい)(つかさ)と交際している。

 照明ランプの隣に、緑色の森に佇む幻想的な青い竜の絵が飾られているが、あれは蒼生司の作品であるらしい。繊細で優しいタッチの絵は、この店と調和している気がした。

「彼の絵は素敵だと思うわ。私はとても気に入っている」

「そう言っていただけると嬉しいです」

 七海がちらりと予約席のプレートを眺めた。

「ここっていつも空席ですけど、空けておかないと駄目なんですか」

「そうね、その席は特別なの」

 妙ママがなんとなしに遠い目をした。

「私がこの店を始めるきっかけになった大切な人のために空けている。猫みたいにふらっとやって来て、ふらっと立ち去るけど、いつ来てくれてもいいようにね」

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