昔日
オムライスのみのランチ営業を始めてから、三ヶ月ばかりが過ぎた。
蒼生司が作ってくれた立体的なアート看板はとにかく目を引く。
店の前を通りかかった人たちがこぞって写真を撮っており、絶望と冠されたオムライスが果たしてどんな味なのか、怖いもの見たさで食べてくれる客が列を為した。
「思ったほど絶望的な味じゃなかった。ふつうに美味しかった」
食事の後にそんな感想をくれる人もいて、絶望的に不味いオムライスを想像していた客もいるのだということを思い知らされた。
「不味いものを食べさせられると半ば覚悟して食べたら、案外に美味しかったものだから、その落差でよけいに美味しいと思えたよ」
などと、褒められているんだか、貶されているんだか分からない感想も貰った。
ともかく一日十食か、二十食も注文があれば上出来と思って、ほんの軽い気持ちで始めたのに、店先にずらりと行列ができたときは妙ママといっしょに嬉しい悲鳴をあげた。
嬉しくても、悲鳴であることには違いない。
午前十一時から午後二時までの正味三時間の営業だから、ぼく一人で切り回せるだろうなどと考えていたのは甘かった。
オムライス単品は八百円、ミニサラダとコーヒーが付いてセットで千円というメニューに絞ったが、注文を聞いて、会計もして、店先に並ぶ客に声をかけて、テーブルを片付けて、などという一連の動きをこなしながら、オムライスを作るのはほとんど不可能だった。
接客はすべて妙ママにお願いして、ぼくはひたすらオムライスを作り続けた。
夜の営業ではカウンターの端っこは予約席として常に空けているが、戦争のような昼時はすべての席がフル稼働し、四人掛けのテーブルに相席してもらったりもした。
鉄のフライパンはずしりと重く、オムライスを作り続けるうち、左手の感覚がだんだんと麻痺してくるが、ぼくが作っているのはたかだかオムライス一品だけだ。世の洋食屋さんはエビフライも作れば、カツレツも作り、ハンバーグやメンチカツも作る。オムライスだけでもこんなに大変なのだと知って、洋食屋の凄さに畏敬の念が込み上げてくるばかりだった。
ぼくは心の中で「なんと手早い男か! なんと手早い男か!」と呪文を繰り返しながら、一皿、一皿、心を込めてオムライスを作った。
プレーンオムレツさえ満足に焼けなかった頃と比べれば、ぼくもほんの少しは手早い男になれていると思う。夜の営業もあるのに、妙ママには負担をかけっぱなしで申し訳ないが、美味しそうに食べてくれるお客さんを見ると、疲れたなどとは言ってられない。
午後一時半がラストオーダーで、客席がまばらになると、ようやく一息つける。
白髪の老人がラストオーダーぎりぎりに来店し、カウンターの端っこの席に座った。
柔和な笑みを浮かべながら店内を見渡し、ぼくの手際をじっと見つめた。
「懐かしいな」
哀愁漂うひと言を漏らしたのが、なぜだかくっきりと耳に残った。
「お待たせしました」
カウンター越しにオムライスを供すると、老人は薄っすらと笑った。
一口ずつ、ゆっくりと味わい、綺麗に平らげた。
食後のコーヒーを啜りながら、老人はぽつりと言った。
「五十年間、ここの厨房で洋食を作り続けた。昔の空気が感じられて、つい懐かしくなった」
目の前の老人が何者であるのか、瞬時に理解した。
とてつもなく美味しいオムライスを作ってくれた洋食屋のおじいさん。
深い皺の刻まれた額を見て、ああ、こんな顔をしていたのかと目頭が熱くなった。
「あの……」
コーヒーを飲み終え、席を立った老人に声をかけた。
幼い日の記憶がまざまざと蘇ってきて、伝えたい言葉が溢れすぎて、言いたいことはちっとも形にならなかった。
「ありがとうございました」
ぼくが言いたかったのは、単なる感謝ではない。
オムライスは美味しいのだと、世界には殴る人ばかりでなくて、優しい人もいるのだと、そう教えてくれた恩人を前にして、肝心の言葉がうまく出てこない。
「十年ぐらい前、ぼくはあなたの作ったオムライスを食べたと思います」
「そうですか」
相好を崩した老人に向かって、深々と頭を下げた。
「あの日に食べたオムライスのおかげで、ぼくは生き延びました。どうもありがとうございました」




