『聖域に至る』
水精竜は竜の名を冠してはいるけど、やはり精霊の一種なのではと疑ってしまう。理由としては水精竜はほぼ水で構成されていたからだ。
あれだけ激しく爆発したのなら、辺り一面肉片がゴロゴロしてそうなものだが、そんなことは全くなくて、水精竜が居た箇所に残っているのは、透明なゼラチン状のものと大量の水。あとはシャーベット状になった氷だ。
「いつつつつ」
「まだ動かないで。出血も止まってないのに」
ターリャに傷の手当てをされている間暇で水精竜を観察していたのだか、あまりの痛さに意識を戻されてしまった。
「ううーん。あれだけ作ってたのに、効かなかったの?」
「いいや、そんなことはない。ほら」
ポケットからターリャの作ってくれた魔法陣の束を取り出した。
「あまりにも攻撃が激しすぎて、あっという間に残機が切れた」
手に持っているのは使用済みの印として黒く滲んだ束。それが全部。おまけに酷使しすぎたってことなのか軽く端の方が焦げたみたいになっていた。それをターリャが眺め、軽く落胆した。
「100束作っておけば良かった」
「流石にそれはポケットに入らんだろ」
秒で魔法陣消し飛んだとは言え、これは初激ビームで脇腹貫通した時に消費したものだ。正直ターリャのこれがなければ今頃俺は内臓剥き出しで大変なことになっていただろう。
ふと思った。いや、普通に死亡案件だな。
良かったターリャのこれがあって。
「……これなかったら死んでたかも」
「えっ!?」
「本当にあって良かった。ありがとう、命の恩人」
「う、ううーん、どうしたしまして??」
ある程度の手当てが終わり、盾の回復機能も相まって酷いものはあらかた塞がった。
細かいのはまだあるけど、動くのに問題無いならそれは後回しだ。
「さて、ターリャ。準備はいいか?」
「うん」
ちょっとした建物程もあるゼラチンの前に二人で立つ。中には光る物体。俺にも分かる。あれはいつもターリャが食べているものだ。
おそらくこれでターリャは大人。いわゆる精霊としての“成体”になる。
一体どうなるのだろうか。背は多分そんなに伸びないだろう。変わるとするならその他の部分だろうか。
…これで背が伸びて俺を抜かしたら服とかどうしようとかどうでもいいことを考えていると、ターリャは
光に向かって両腕を広げた。
光は一層強くなり、ゼラチンをすり抜けてターリャの腕の中へと収まった。
それを口に運び入れ、飲み込む。
するとターリャの姿が淡い光に包まれて、次の瞬間にはターリャの姿が変化していた。
髪の毛が更に伸び、内側の髪が水色に変化している。尻尾も先端に向かって青みを帯、顔に至ってはまるで化粧を施しているのかと思うほど綺麗な色彩が目の周りや唇を染めていた。
俺はターリャを見て思わず「おお…」と声が漏れた。
これがあのターリャか?そう自問自答したくなるほどにターリャは美しくなっていた。
きっと冒険者の服ではなく、ドレスを身に纏い、頭にはティアラを載せてやれば間違いなく女王だ。
そこで、ようやくターリャが女王候補というなんともフワフワしていた言葉がストンと腑に落ちた感じがした。
ターリャはしばらく自分の変化に驚いて手や体を観察していたが、突然俺を方を見てくるりと軽やかに回った。
「トキ、どう?私の姿は」
俺は眩しげに目を細め、笑顔を向ける。
「ああ、凄く綺麗だ」
「!」
ターリャが頬を赤く染めながら笑う。
すると、突然景色が変わった。
「ここは…」
身に覚えのある光景だった。
大きな鳥居のある川だった。いや、改めてみれば川というよりも湖になっていたが。
滝は相変わらず遥か上から飛沫をあげながら降ってきていて、辺りに薄い霧を発生させていた。
違う点と言えば空には月ではなく太陽が昇っていて、俺達は湖の上に立っていた事だ。
「盾を貰った場所か…」
「ここは私の聖域。ここから内の聖域に入ることが出来るの」
「今までの事思い出したのか?」
ターリャに訊ねたら恥ずかしそうに首を横に振った。
「思い出せたのはちょっとだけ。恥ずかしいけど、未だにセリアのこともスーグのことも全然思い出せない。でも、何で思い出せないのかは理解した」
「?」
ターリャがこちらを向き、俺の手を取った。
「トキと一緒に居たくて、対価として捧げたの」
「え」
どういう事だとターリャを見つめる。
だけどターリャは鳥居の方を見て、「さ、行こう」と手を引いた。
一歩足を踏み出せば、水はなんの問題もなく俺の、俺達の体を支える。この感覚にももう慣れたが、初めてここにきた時の事が懐かしい。
ピシャンピシャンと軽い水音を残して歩いていく。丸い波紋を残しながら歩いていく。
あの時の事を思い出す。
全てを失って絶望に打ちひしがれていたあの頃、ターリャと出会って全てが変わった。
この素晴らしい盾を手に入れ、優しい人達や師匠と出会い、恐ろしいながらも充実した生活を送り、ターリャの成長を見届けた。
何だろう。ほんの一年くらいの期間だというのに素晴らしい人生だったと素で言いたくなってくる。
俺的にはここで死んだとしても大往生の気分だ。
いや止めよう。縁起が悪い。
今までの思い出が脳裏を過りつつ、目の前のターリャの背中を微笑ましく眺める。
俺の人生を変えてくれた、俺の宝。
滝が近付いてくる。しかし、今度は割れず、ターリャはなんの問題もないと言うようにその中に入っていく。
体が滝に接触し、通過した。
世界が青に包まれて、切り替わる。
黒い壁のような崖に覆われた場所だ。一面緑が生い茂り、まるで楽園のようだ。あちらこちらに精霊の姿がはっきりと見えた。精霊の楽園だ。その上空を俺達は駆けている。見えない道を、ターリャに手を引かれて真っ直ぐに。目の前にあるのは白い大きな光。その中にターリャと共に飛び込むと、そこは恐ろしいほどの静寂な世界だった。
白い世界が何処までも広がり、痛いほどの静寂に包まれている。
「ここが、聖域か…」
「うん。世界の中心。ここで、世界の全てが決まるの」
ターリャが何もない空を見上げてそう言った。
言われてみれば、ここは真っ白な紙の上のようにも見える。
真っ白な紙の上に次の女王が君臨して、新しい色を重ねるのだ。
その時、白く霞んだ向こう側から誰かがやってくる。
赤い翼を持つ四精獣、スズと日向子だった。スズの姿を見るに、きちんと試験を突破してきたらしい。
というか。
「何でドレス??あれで戦ったのか??」
「絶対違う。きっと着替えを持ってきてたのよ。さすがに予想外だった」
「俺もだよ」
俺では考え付かなかった。そしてもちろん俺に育てられたターリャにも、だ。
大きな赤弓を持った日向子が俺達に気が付いたらしく、「おーい!」と嬉しげに呼びながら手を振っていた。
その隣でフフンとターリャにドレスを見せ付けるスズ。それに負けじと冒険者服に腰の剣の柄に軽く手を掛けてカッコつけている。
様になっているな、ターリャ。良く似合ってるよ。
そうこうしている間に二人はすぐ近くまでやってきた。
日向子は俺を見上げ、嬉しそうに笑った。
「良かった!トキナリさんも無事に合格できたんですね!」
ん?
俺は違和感に内心首を傾げた。突然、日向子の共通語が上達していた。まるで日本語を話すように流暢に喋るのだ。
「…日向子さん。もしかして日本語で話してます?」
「え、そうですけど、トキナリさんもですよね?」
「いや、俺は普通にここの言葉を話しているが」
「?」
「?」
どういう事だ?
「ねぇ、スズ。二人だけしか来ないの?」
ターリャが辺りを見回しながら訊ねると、スズが「いえ…」と言い淀む。
「一人でも条件を満たして聖域入りすれば、残りの四精獣も強制的にここに来るはずですけど…」
スズはそう言うが、実際此処には俺達しかいない。
「とするならば、考えられるのは一つしかありません」
「なに?」
スズが口を開いたその時、突然空から声が降ってきた。
──よくぞ、生きてここまで戻ってきました。
──玄武。
──朱雀。
柔らかな女性のような声だった。しかし同時に無機質なような印象を受けるその声がターリャとスズに名前ではなく種族の名前で呼び掛けた。
「はい」
ターリャは上を見上げたまま、姿勢を正して返事をする。
それだけで、この声がターリャ達の上の存在なのだと理解した。
フワリと優しい風が吹くと、空から女性が舞い降りた。明らかに人間ではない。かといって四精獣でもない。
白い布を身に纏ったその人物は全てが白だった。肌も髪も爪も何もかも。目元は布に覆われて見えない。
その人が俺と日向子を見ると、口許に柔らかな笑みを浮かべた。
『あなた達もよくぞ守り抜きました。私はキェティ。この空間、及び世界を回すモノです』
「……はぁ、どうもご丁寧に」
言っていることの半分も頭に入らずにどう返事をしていいのかわからない。思わず気の抜けた返事になってしまったが、キェティは笑みを崩さない。
その一ミリたりとも表情の変わらない様子に、俺は少し背筋が寒くなった。だけど、日向子はそうでもないらしい。「あの!」と手を上げた。
「まだ来ていない方達がいるのですが!」
するとキェティは笑みを崩さずに答えた。
『ええ、存じております。今回の代替えでは条件を満たせたモノ、女王足り得るモノが二人。
“残りは生き残れなかったモノ”となりますのでこちらにはいらしてはおりません』




