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未詳

作者: 弦祥 蓮

 死は何故悪しく言われるのだろうか。


 ふと頭を過ぎり、しかし消えることの無い疑問を手に余した。そして何故、生きることが善となされるか、次いで問う。


 まだ年号が変わる前、我が姉に訪ねたことがある。なぜ学問に長けた者は格好いいと言われるのか。

 それは、己には成せぬことをする能があると思わせるからだ。また、学問に長けるということは、学問に勤めなければならなく、それは、酷く大変であるからだ。苦労を耐えることこそ立派であると思わせるからだ。と言った。


 私は何故苦労に耐えることが立派となるのかと問うた。

 それは、皆にできることではないからだ。苦労は誰も、したいと思うものではあるまい、自らそれを受け入れ、それがあると知りながら道を進むことは容易ではないからだ。と言った。


 成程、姉の言葉は私を納得させるに十分であった。



 生きることが学問に長けることと同根なるならば、訳は後者に準ずるだろう。ともなれば、生きることとは苦労することである。

 ならばこそ、死が悪となれるは何故か。そも、誰もが生を素直に受容れることが出来るとも限るまい。臆病とも言われようが、全てを捨てたくなることもある。何も持たず、なにも感じずおりたいこともある。その時に死を夢見るも、罪なるだろうか。




 長らく饒舌多弁に私の一個人なる想いの丈を綴ったが、これはあくまにも一面である。我々は死が分からぬから、ありとあらゆる角度で覗き、その全貌を知ろうとする。

 しかしいつまで経ったとて限りなく広く、未だそれは未詳である。

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