09:武衝像
壇上に、ゼッカの見知った顔がある。
オウミ国王サワヤマ・ナナ。
つい昨夜、ミナムラ道場師範代、サナ――と名乗って、ゼッカに斬りかかった女性剣士であること、間違いはない。
当然、それは一時的に身分を偽っていたに過ぎまい。昨夜、ゴコウがサナを見かけた途端、やや挙動不審に陥っていたのも、そういう理由であったのだろう。
それにしても、なんという変わり身だろうか?
ゼッカは、驚きを通り越して、感嘆の念すらおぼえていた。
昨夜のサナは、女性ながら豪放磊落、気さくで勝気な傑女とは見えた。
いま壇上にあって、端然、ゼッカを見下ろすそのたたずまいには、昨夜は見られなかった圧迫感――国を治める為政者らしい凄味が、この大閣全体を握り潰すほどの圧力となって、ゼッカの頭を押さえつけていた。
――これが、王というものか。
……昨夜の、豪快な剣士という姿も、あながち、擬態というわけではなさそうに思える。あれも、彼女の一面の表出ではあるのだろう。
しかしながら、本質は、生まれついての為政者であり、人の上に立ち、国を統べるために生まれてきた存在だと、理屈抜きに、ゼッカは肌で感じていた。
いま壇上にあるオウミ国王としての姿こそ、彼女の天分たり本領であろうと……。
ようするにゼッカは、サワヤマ・ナナの峻烈な威厳と、眩いばかりの存在感に、圧倒されていたのである。
「これが、話に聞いておった獲物よな。また、なんと……見事なものよ」
そのナナが、壇上から、台車に奉じられた焔熊の骸を眺めて、穏やかに口を開いた。表情にこそ出ていないが、その声には、かすかな興奮と感嘆が滲んでいる。
「これを討ったのが、そこなる、ゼッカであるか」
と、ナナは、静かにゼッカへ眼差しを向けた。
当のゼッカは……まだ、やや呆気に取られた態で、半ば口を開けて、返事もせず、ぼんやりとナナを見つめていた。
「どうした。そんなに、余の顔が珍しいか?」
「……え」
ナナの言葉に、ゼッカはようやく我に返った。
「で、それを討ったのが、そなたであること、間違いないのだな?」
「ああ、ええと……さ、左様、で……」
重ねて問われ、ゼッカは慣れぬ言葉遣いで、かろうじて、うなずいてみせた。
「そうか。それは大儀であったな」
華やかな薄化粧に、ごく微かな笑みを浮かべて、ナナは、ゼッカを見下ろしている。
ゼッカの隣りでは、ゴコウが苦い顔をしていた。ゼッカに対してではなく、主君たるナナの悪ふざけに、内心、頭を抱えている様子である。
おそらく、師範代サナが、実はオウミの国主たること、ゼッカには決して洩らさぬよう、あらかじめ口止めをされていたものとみえる。
今度は、そのゴコウへ、ナナが声をかけてきた。
「ゴコウよ」
「はっ……!」
「あらまし、報告は聞いておるが、書面だけではわからぬことも多いのでな。そなた、ゼッカの介添人として、ここでいま一度、事情を詳らかに聞かせよ」
「はっ。されば、事の起こりは、コガワ村のはずれにて……」
ゴコウは、纏綿と語りはじめた。
ゴコウ自身は、ゼッカが焔熊を討つところに居合わせておらず、現場を見てもいない。
にも関わらず、ゴコウは、ゼッカの話を、まったく疑わなかった。
武士、またサムライとして、まだ知行こそ低いが、ゴコウも、腕には覚えのある剣士である。
コガワ村の決闘にて、そのゴコウを追い詰めたのは、自称、隣国セッツから来たという中年のロウニンであった。
ロウニンはあえて名乗りをあげず、その素性のほどは知りようもないが、剣の実力は、明らかにゴコウの数段上をいっていた。おそらく本来は、相当に名のあるサムライだったのではないか、とゴコウは推測している。
そのロウニンを、ゴコウともども、不意に突き飛ばし、一方的に決闘を中断させた者こそ、コガワ村の庶人、ゼッカ。
この時点で、ゼッカが既に武士の力を備えていることは明白であった。決闘の真っ只中、武士の動きに追随し、両者を突き飛ばすなど、武士でなければ到底なしうる道理はないからである。
あげく、指先一本で大樹の幹を砕き、ゴコウの刀をへし折るなど、並外れた力量を見せつけた。
そうして決闘がうやむやに終った直後、ゼッカは、とびきり大きな焔熊の死骸を、ゴコウに見せ示した。あろうことか、素手で殴り殺したという。
すでにゼッカの実力を肌で感得していたからこそ、ゴコウはその言を疑わなかった。それくらいのことは、当然にやってのけるであろうと、素直に納得できたからである。
――ゴコウがつぶさに語る事情を聞きながら、居並ぶ家臣たち、またその随員の一部など、あからさまな疑念をゼッカに向けはじめていた。
こんな女童のような小僧に、実際それほどの力があるものだろうか? 本当に、この華奢な少年が、焔熊を狩ったのか? ミナムラの息子は、妄想か幻覚でも語っているのではないか?
当のゼッカは、またもナナに見とれていた。ナナのほうでも、話を聞きながら、やけに機嫌よくゼッカを眺めおろしている。
肝胆相照らす――とでもいおうか、この両者には、なにか言葉以上、視線だけで通じあうように、相性が合っているようだった。
「……以上。それがしがゼッカを伴い、これまでへ至った経緯、つつまず申しあげました」
「その仔細、まことに偽りはなかろうな?」
やがてゴコウが一通りの説明を終えるや、まず壇上のナナが、念を押すごとくに尋ねてきた。
「ございませぬ」
ゴコウが短く応えると、ナナは、ふと眼差しを、脇に控える指南役、ミナムラ・ユキナガへと投げかけた。
「のう、師よ」
「はっ」
「ゴコウは、このように申しておるが。師の見立てはどうか。このゼッカという者について」
「さよう……」
ミナムラ・ユキナガは、ちらとゼッカへ顔を向けて、おごそかに応えた。
「口頭、迂生が千言万語を費やすより、ただ一つの実例をもって示すべしと存じます。ここにおられる諸臣方も、それをこそ、お望みでありましょう」
「実例、とな?」
「まず、お任せ願います」
「よかろう」
ナナがうなずくと、ユキナガは、あらためてゼッカへ声をかけた。
「ゼッカとやら。ひとつ、ここでやってみせてほしいことがある。頼めるか」
言われて、ゼッカは怪訝な顔を浮かべた。
「ん? その顔……もしかして、ゴコウの親父さん?」
「おいこらゼッカ、いらぬことは申すなと……」
横からゴコウが、慌てて口を挟んだ。
「いや、なんか、ゴコウに似てると思って。違うのか?」
「合ってるが……だからそれが余計なことだと」
「ゴコウ。話を続けてよいか?」
ユキナガに、かえって窘められ、ゴコウは口をつぐんだ。
「わしはミナムラ・ユキナガという。おぬしの言う通り、そこなゴコウの親よ。ここの城内で、剣術など教えておる身じゃ」
と、前置きをして、ユキナガは、あらためてゼッカへ依頼を告げた。
「なに、簡単なことだ。あれ、あそこに……」
ユキナガは、右手を挙げて、大閣の出入口付近を、指でさし示した。
「木像が立っておるであろう」
出入口の襖戸、その左右の壁際に、それぞれ高さ一丈ほどの、大きな木像が一体ずつ、対をなすように佇立していた。
いずれも、筋骨隆々たる雄々しい男神が、甲冑をまとい髪をさばき、見るもおそろしげな表情で刀を振るっている意匠で、それが左右から出入口を守護する門番でもあるように並んでいる。
武衝像といい、外来のとある宗教を、ヒノモト古来の土俗信仰に取り込んだことで生じた、祭神偶像の一種である。
信仰の対象というよりは、美術品、装飾品というような意味合いで、石灯籠などとともに、武家屋敷の門庭によく見られる。
「左右、どちらでもよい。おぬし、その場から動かず、素手で、あれを動かすことができようか」
武衝像は、床に直接固定されているわけではない。まず木製の台座が置かれ、その上に固定し、立たされているものであった。
それを移動させるとなると、台座ごと押してやる必要がある。台座と像をあわせれば、重量は二百貫近くになるであろう。
「ミナムラどの、それは……」
ユキナガの隣席にある重臣、兵衛方主簿タケイ・アサタカが、やや当惑げに呟いた。
ゼッカとゴコウが並ぶ大閣の中央から、その武衝像まで、五十歩ほどは離れている。そこから一歩も動くことなく、それも素手で、二百貫もの重量を動かすなど、いかな超人たる武士といえども不可能事に近い。
ここに居並ぶ重臣高官は、全員が例外なく武士である。それも武官文官の役儀に関わりなく、誰もが、ひとかたならぬ実力を擁している。
平時には政事を預かり、顕官然として取り澄ましていても、ひとたび戦時となれば、一方の大将たり、また旗頭として、万余の軍勢を率いて戦場を縦横し、大国オウミを支えてきた、天下有数の家臣団であった。
――とはいえ、実際、そこまでの芸当をやってのけられる者といえば、オウミ最強の『剣聖』ミナムラ・ユキナガ、その弟子にして、同じく『剣聖』サワヤマ・ナナ、この両者ぐらいのものであろう。
よりによって、ゼッカに、その難題をやってみせよという。
大閣に、小さなざわめきが流れた。
いささか酷ではないか――と思う者、時ならぬ見世物と、ただ面白がる者、最初からゴコウの報告を信じておらず、せいぜい小僧が恥をかくのを見てやろうと嘲笑う者など、反応は様々である。
ゼッカは、周囲の顔色など、まったく気にも留めぬ様子で、けろりとしていた。
「なんだ。そんなことでいいのか」
立ちあがりもせず、座る向きすらも変えず、ゼッカは、ただ腰をひねって、つと右手を出入口のほうへ向けると、背中ごしに、ひゅっ、と、人差し指を弾いた。
次の瞬間。
向かって右側の武衝像が、台座ごと吹っ飛び、轟音とともに背後の壁を突き破って、彼方へと消え去った。




