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07:朝飯前の一振り





 一夜明けて。

 ミナムラ道場。


 ゼッカは、ゴコウにあてがわれた寝所で目覚めると、もそもそと胴衣を着こんで、障子を開け、ひとり庭へ出た。

 晩秋早朝。まだ外は薄暗かった。空はよく晴れていて、白い星粒がまばらに見えている。東の彼方には、ぼんやりとした曙光が浮かび上がっていた。澄んだ外気が肌に心地よい。


 道場のほうでは、物々しい音と賑やかな掛け声が飛び交っていた。門下生の朝稽古であろう。

 ゼッカは、井戸のほうへ歩み寄ると、水を汲み、顔を洗った。


 ゴコウはまだ寝ているらしい。道場主の息子で、以前は師範もつとめていたというが、いまはサムライとして城仕えの身。わざわざ門下の稽古に付き合う必要もない、ということだろう。

 朝餉までには、まだ時間がありそうだし、かといって、いまは特にすべきこともない。


 さて、どうしようか……と、ゼッカが思案していると。

 複数の足音が、ゆっくりと道場から出て、次第に庭へ近付いてきた。


 ゼッカは気にも留めなかったが――。


「よう、そこの」


 やがて、ゼッカを見咎めたか、縁側で足音が止まり、誰か、そこから声をかけてきた。

 ゼッカが振り向いて見やれば、二人連れの男たち。

 黒袴に青い道着は、昨夜会った師範代……サナと同じ背格好である。顔つきなどは、ゴコウより幾分若いように見えた。


「昨日、若様が連れてきた客人よな? ゼッカとかいう」

「ちんちくりんのガキにしか見えんがなぁ。なんだって若様は、こんなのをうちに連れてきたのやら」


 ずけずけと言う。二人とも、いかにも胡散臭いものでも見るように、嘲りの目をゼッカへ向けていた。


「妖獣を殴り殺したって、ほんとかよ?」

「ああ」


 問われて、ゼッカが短く応えると、二人は声を放って笑った。


「ははははは、ありえねえ! でたらめもいいとこだ!」

「おまえみたいな土民が、その細っこい腕で、そんな真似できるものかよ! もう少しマシな嘘をつけってんだ!」

「嘘は言ってねえぞ。そりゃ実際、俺は土民だけどな」


 ゼッカは、眉ひとつ動かさず、ごく平然と応えた。

 その態度に、かえって自分たちへの侮蔑を感じたものか、二人はとうとう肩を怒らせ、声を荒げた。


「その土民が、ここに何の用だってんだよ。ここは由緒正しい武士の道場、土民が足を踏み入れていい場所じゃねえ」

「おまえみたいな薄汚いガキが、勝手にうろうろしてちゃ目障りなんだよ。この嘘つきの鼠が!」


 ゼッカは、小さく溜息をついた。


「はぁ。聞いてたとおり、武士ってのは、石頭が多いんだな。ゴコウも最初はそんな感じだったし。……それで」


 ふと顔を上げ、二人を見据える。


「確かに俺は土民だったが……俺も一応、今日から武士を名乗れるらしいぞ?」


 ゼッカの鋭い眼光が、矢のように二人を射抜いた。


「ふ、ふん。それとて、眉唾というものだ」


 まるで怯まぬゼッカの双眸に、かえって二人のほうが鼻白んだ。

 が、それでもなお、ゼッカを侮る心持ちまでは変わらなかったらしい。


「土民風情が、武士を名乗ることすらおこがましいが、あくまでそう言い張るなら、我らがじきじきに、その力量を見てやろうではないか」

「おい、鼠、ついてこい。いまから特別に道場へあがらせてやる。本物の武士の剣というものを、その身体に教えてくれるわ」


 言い放つ二人。

 ゼッカは微笑を浮かべた。


「そいつは楽しみだ」


 ゼッカは、むしろ嬉々として、二人の後について行った。






 その頃。

 ミナムラ・ゴコウは、まだ寝床にあったが、室外、廊下を駆けて来る慌しい足音で、目をさました。


 道場は、朝稽古の時間である。それにしても、いつになく物騒がしい様子。

 いったい何事か……と、襖を開けて、外へ出てみると、ちょうど若い門人がひとり、ゴコウのもとへ寄ってきて告げた。


「若様、すぐ道場へお越しください。その、揉め事が……」

「なんなのだ、この起き抜けに」

「昨日、若様がお連れになったお客人が」

「ん? ゼッカがどうかしたか」

「イシダ様とアラキ様と、道場で、立ち会うことになってしまったのです」

「……あの二人か」


 イシダ・ギヘイ、アラキ・シンザブロウ。いずれもミナムラ道場の師範である。

 もともと素行に問題があり、城の登用試験に落第して、ミナムラ道場に雇われていた。


 半ば、ごろつきに近いロウニンたちであるが、剣の腕前だけは確かで、この道場ではゴコウに次ぐほどの上位の実力を持っている。


「どうか止めてください。あの二人に目を付けられてしまっては、お客人は怪我どころでは済まないでしょう。下手すれば、殺されかね――」

「心配いらん」


 門人の言をさえぎって、ゴコウは苦笑を浮かべた。


「むしろ、ゼッカのほうを止めるべきかもしれんが……」

「は?」


 門人が首をかしげるのへ、ゴコウは穏やかに告げた。


「なに、そう焦るにはあたらん。おそらく、もう終っているだろうしな。一応、様子を見ておくか」


 ゴコウは、ひとつ大きな欠伸をすると、呆気に取られる若い門人を引き連れ、悠然と道場へ向かった。






 ゴコウの言にあやまたず、早々に決着は付いていた。

 門下二十余名が道場の壁際に連なって見守るなか、まずはゼッカとアラキ・シンザブロウが立ち会った。


 決闘ではなく、あくまで道場の試合ということで、二人は木刀で打ち合うことになった。

 普段から素行や性格に難ありとはいえ、そこはアラキもイシダも武士の端くれである。立会いそのものはごく尋常に、正々堂々と行なわれた。


 ――とはいえ。

 開始直後、まずアラキが、ゼッカの木刀に軽く撫でられ、あっさり失神してしまった。


 たちまち、道場に、唖然たる空気が流れた。

 いま、何が起こったのか。


 ゼッカが何をしたのか。

 観戦していた門人らの誰も、把握できなかったのである。


 唯一、イシダ・ギヘイだけは、ゼッカが恐るべき速度でアラキの側頭部を打った瞬間を、かろうじて捉えていた。


 ――油断しすぎだ、愚か者め。


 イシダは、内心で舌打ちしながら、木刀をひっさげてゼッカと向き合い、猛然と打ちかかった。

 本気の踏み込みだった。アラキへの一撃を目の当たりにしたことで、もはやイシダは、ゼッカを貧相な土民とは見ていなかった。


 それでも、ゼッカがアラキに対して、相当に手加減をしていたことまでは、まだイシダも見抜けなかった。

 ゼッカは、ほんの少し、木刀の先を動かして、イシダの打ち込みを、いとも軽々と弾き返した。


 ――え?


 と、当惑する間に、もうゼッカの突きが、イシダの胸もとをとらえていた。

 イシダは、猛烈な勢いで壁まで跳ね飛ばされ、全身を激しく打ち付け、あえなく気を失った。


「……っと。加減、間違ったかな」


 言いつつ、ゼッカは平然と、木刀を横たえた。


「これで終わりか?」


 周囲を見渡し、呟くゼッカ。

 誰一人、それへ応える者もなかった。


 居並ぶ門人たちは、ただただ、仰天の面持ちで、ゼッカの姿を凝視していた。

 師範二人ほど露骨ではないにせよ、つい先ほどまで、多かれ少なかれ、この場に居合わせた門人たちにも、ゼッカを侮る感情はあった。


 それも無理からぬことで――ゼッカの見ためはごく小柄で、両肩も腰つきも華奢で弱々しく、四肢も棒のように細い。

 女童とも見違えそうな容姿である。凡眼をもっては到底、その力量を押しはかることは難しい。


 ところが、そのゼッカに、道場の師範二人が、ほとんど一瞬で打ち倒されてしまった。

 本来、素直にゼッカを称賛すべき場面であろうが、誰も、それを口にすることを忘れていた。


 いったいどんな顔して、どう反応すればいいものか……あまりの出来事に、まだ驚き戸惑っていたのである。


「やはり、こうなったか」


 と、新たに道場へ踏み込んできた者がある。ゴコウだった。


「おう、ゴコウ。いま起きたのか」


 ゼッカは、ごく快濶に、ゴコウへ笑いかけた。


「木刀ってのも、思ったより悪くないもんだな。折らないように、ちょっと気を遣わなきゃなんねえけど」


 言いつつ、右手で、ひゅっ……と、一振り。それだけで強烈な風圧が生じ、壁に並ぶ門下たちの髪や道着を、ばさばさと靡かせた。


「でよ、こいつら、こんなにしちまったが……まずかったか?」


 木刀の先で、気絶したままの師範二人をさし示しつつ、ゼッカが訊いて来た。

 ゴコウは肩をすくめて応えた。


「気にするな。どうせ、そやつらが、きさまに絡んだのだろう?」

「まあな」

「なら、放っておけ。どうだ、朝餉に行かんか」

「もうそんな時間かぁ。ここのメシ、うまいからな。楽しみだ」

「今朝は、おリツが張り切って、わざわざ鮎を焼いてくれたらしいぞ」

「おっ、そりゃ豪気だ!」


 二人は談笑しながら、なんとも賑やかに道場を出て行った。

 それを見送りながら――。


 門人たちは、しばし、微動だにしなかった。できなかった。

 いましがた、ゼッカが何気なく見せた、木刀の一振り。


 皆が、それを目の当たりにしていた。

 あれをまともに受ければ――死ぬ。


 もはや誰の意識からも、ゼッカを嘲る感情など、きれいに吹き飛んでしまっていたのである。





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