06:血に教わる
……武士の適性試験。
律令によれば、本来は「十歩の距離から射放たれた弓箭を刀剣で弾く」のが、合格の条件とされる。
凡人には不可能な課題であること、いうまでもない。武士の動体視力と身体能力があって初めて可能な芸当である。
それが近年では、より殺傷力の高い新式兵器――火縄銃を用いるのが主流となっていた。
この戦国動乱の時代にあって、武士には年々、より高水準の能力が求められるようになっている。その風潮から、適性試験も、律令時代より数段、厳格な内容へと変化していた。
失敗すれば、よくて重傷。死亡する可能性も高い。
サナが装弾の準備を行なう間に、ゴコウがゼッカのもとへ歩み寄った。
「これを使え」
と、ゴコウが携えてきたのは、長さ三尺の太刀。
「……いや、俺はこんなの、使ったことねえんだけど」
ゼッカが少々戸惑い気味に呟くと、サナが笑って答えた。
「なーに。握りさえすりゃあ、最低限のことは、おまえの中の『血』が、教えてくれるさ。おまえが本物の武士ならば、な」
「なんだよそりゃ」
怪訝な顔つきで、ゴコウの差し出した太刀の柄を握る。
途端――。
「お……ッ?」
ゼッカの目に、強い驚きの色が浮かんだ。
鞘から、するりと刃を抜く。
両手で柄を握り、刃を前へかざす。
どう握ればよいのか。
どのような姿勢で、重心をどこに置くか。
いかに足をさばくか。
まるで、ずっと以前から、それらを熟知していたかのように。ごく自然に、身体が動く。
――馴染む。
「これは」
白刃に重さを感じない。まるで生まれたときからそれに触れて、扱ってきたかのように。
柄の感触が、じんわりと手に馴染む。
「……刀って、こういうものだったのか」
ゼッカの呟きに、ゴコウが横でうなずいた。
「そうだ。それがしも昔、まったく同じ経験をした。刀に限らず、武士というものは、血が覚えているのだ。武器の扱い方も、その戦い方もな。すでに血に目覚めてさえいれば、基礎などは誰に教わるまでもない。それが武士ということだ」
「そうか……!」
熱い息を吐き出す。
自分が、興奮していることを、ゼッカは自覚していた。
全身に、今まで自身でも知らなかった力と技がみなぎり、ゼッカの意識までも満たしはじめている。
たかが、刀一本、握っただけで。
それを振るべく、肉体が最適化されていることを、ゼッカは実感していた。
武士の本懐ともいうべき――剣戟の響きが、もう耳に聴こえるかのように、ゼッカには感じられた。
「ははは。もうすっかり『教わった』ようだねぇ」
サナの笑声に、ゼッカの意識は、眼前の現実へと一気に引き戻された。
「ああ。おかげでな」
「おうおう、良い顔になってる。じゃあ、もういいな?」
サナは既に弾込め、装薬も終えて、火縄に点火し、銃口をゼッカへ向けている。
「いつでも」
と、ゼッカが応えれば、サナはうなずき、引き金を引いた。
撃鉄が火縄を叩き、やや間を置いて、軽快な破裂音とともに、鉛の弾丸が銃口から放たれた。
ゼッカの眼は、その小さな鉛の塊を、しっかと捉えている。
意識を凝らせば、それはまるで、水面をゆったり漂いながら、緩慢にこちらへ寄ってくる、枯れた浮き草の欠片のごときものに見えた。
――なんだ、こんなもんか。
ゼッカは、ごく軽く、刃先を引くように、キラと白刃を閃かせた。
チンッ! と、金属の擦れ合う音が響く。
これでいいのかな?
と、ゼッカが太刀を下げ、ふと見やれば――。
脇に控えていたゴコウが、なにやら、ひどく驚いた態で瞠目している。
鉄砲から漂う白煙と、強い火薬臭の彼方で……サナもまた、眼を丸くして、ゼッカを見つめていた。
ゼッカの足元に――鉄砲から放たれた小さな鉛弾が、きれいに二つに割れて、床に転がっていた。
……否、割れたのではない。
ゼッカが。
斬ったのだ。飛来する銃弾を。
生まれて初めて握った太刀で。
銃弾を刀で弾く――どころか、斬った。真っ二つに。
サナもゴコウも、それを見ていた。
「あははっ!」
何思ったか、サナは、笑いながら、鉄砲を床へ放り捨てた。
「なあ、ゼッカ」
サナの双眸が、獲物を見定めた猛禽のごとく、鋭い眼光でゼッカを見据えた。
「なんだよ。……これで合格じゃねえのか?」
ゼッカが呟くのへ、サナは、小さくうなずいてみせた。
「ああ、文句なしに合格だ。これでおまえは、もう立派な武士さ。……でな。ついでに」
サナは、手近の壁面に掛けられていた太刀をひっ掴み、鞘から抜き放った。
「もういっちょう、いっとけ」
床を蹴り、突如として、サナはまっすぐゼッカへ斬りかかった。しなやかな猛鷲が、衝動的に獲物へ飛びかかるように。
異変に気付いたゴコウが、慌てて静止する間もあらばこそ――。
「受け止めてみな! されば、『剣豪』をくれてやる!」
サナの斬撃――迫る刃の速さは、銃弾をも遥かに超えている。
その強烈な踏み込み、振り上げた腕、一分の無駄もない動作、振り抜かんとする刃の煌き――すべてを、ゼッカは捕捉していた。
ゼッカは、両手で太刀を斜めにかざし、サナの一閃を、軽々と受け止めた。
衝撃波が、ごおうっ、と、二人の両脇を駆け抜ける。
打ち合わされた刃と刃が、激しい火花を散らした。
サナは、額から汗を伝らせながら、ゼッカを見ていた。
まるで何事でもないように、平然たる顔を向けてくるゼッカを。
「は……はは!」
サナの口から、乾いた笑声が洩れていた。
「受け止めやがった……! アタシの……『剣聖』の、初太刀を……!」
半ば驚き、半ば呆れたような面持ちで呟きながら、サナは、ぱっと後ろへ飛びすさり、ゼッカと距離を取った。
ゼッカは、ただ面倒くさそうにサナを見ている。
その顔つきを見て、ようやく、サナは冷静さを取り戻したらしい。
「はー、やれやれ」
手にした太刀を床へ放り投げ、大きく肩で息をついた。
「これで、終わりか?」
ゼッカが太刀を下げつつ訊く。
サナは苦笑を浮かべた。
「そうだ。今度こそな。まさか、これほどとは」
「これで俺は、武士になったのか?」
「ああ。もういまから、武士を名乗ったって構わないぞ。ただ正式に名乗れるようになるのは、明日からだな。ゴコウと一緒に御殿へ行け。そこで、最後の手続きを済ませりゃ、そのときから、おまえは武士……いや、『剣豪』になる」
「……剣豪?」
ゼッカは、首をかしげた。
「そういや、なんか、さっき言ってたな。なんのことだ?」
「なに、そう難しいことじゃない。詳しいことは、ゴコウに聞きな。なんにせよ、すべて明日のことさ。――じゃ、またな」
サナは、なぜか心底嬉しげな様子でゼッカに笑いかけると、くるりと背を向け、悠々、道場から立ち去っていった。
サナが去った後、ゴコウは大きく溜息をつき、胸を撫でおろしていた。
「まったく、あの御方は……なんという無茶をなさるものか。生きた心地がしなかった」
と、冷や汗にまみれて、しばし、その場にへたり込んでいた。
「そうか? ずいぶん加減してくれてたようだったけど」
一方、ゼッカは、けろりとしたものだった。
まだ道場の真ん中に立って、太刀の柄の感触を確かめるように、握ったり離したりして弄んでいる。
「しっかし、面白いもんだな、刀ってのは。まるで、自分の手が、刀の長さだけ伸びたみたいに感じたぞ」
初めて握った太刀について、ゼッカはそんな感想を述べた。よほどしっくりときたらしい。
「気に入ったなら、それはきさまにやろう」
「え、ほんとか! いいのか?」
「ああ」
「やった! 返せっていわれても、もう返さねえぞ!」
いつになく、はしゃいだ様子で嬉声をあげるゼッカ。
こいつでも、こんな無邪気な顔をすることがあるのか――と、ゴコウは内心、少し意外な感を持ちながら、大きくうなずいてみせた。
「かまわん。そう上物でもないが、それでも自分で贖うとなると、結構値が張るものだからな。そのかわり……」
「そのかわり?」
「先にも言ったが、明日、御殿で必ず、仕官の話があるはずだ。無理にとはいわんが、なるべく受けてくれんか。きさまには、ぜひオウミのサムライになってもらいたい」
「……条件によるかな。小難しい仕事なんて、俺にゃできねえし」
「それは心配なかろう。それがしのほうからも、きさまの適性については申し添えておくから」
「そうか。じゃあ、なるべく、そのつもりでいるようにする」
「ああ。それでいい」
ゴコウは、ようやく落ち着きを取り戻したように立ち上がった。
「そいつは大事にしまっておけ。腹が減ったろう、そろそろ夕餉にせぬか」
「お、晩メシか! どこで食えるんだ?」
「うちの食事は、おリツ……妹が、全てまかなっている。もう板間で待っているはずだ。ついてこい」
ゴコウは、ゼッカと連れだって、道場を出た。
その内心――いまだ、ゼッカとサナのやりとりについて、ゴコウの意識には、まだ鮮明な衝撃が残っている。
ゴコウには、何も……見えなかった。
サナの踏み込みも。
それを受け止めるゼッカの太刀筋も。
剣士として、まずまず、世に一流と目されるゴコウでさえ。
――次元が違いすぎる。
そう実感せざるをえなかった。
ゼッカは本物だった。それは、あの僻地の林中で出会ったときから感じていたが、今日、いっそう強く、その確信を抱いた。
この先――、ゼッカが、刀一本で、いったい、どれほどの高みへ駆け上がってゆくのか。
それをぜひ、この目で見てみたい。
いつしか、そんな想いすら、ゴコウの胸奥には芽生えはじめていたのである。




