05:ミナムラ道場
ヒコネ城下街の一角、東の街壁にほど近い区画に、その道場はあった。
武士の養成、武芸百般の練磨を掲げるミナムラ道場。
規模はさほどでもないが、名門として、夙に聞こえがある。
道場主はオウミの剣指南役ミナムラ・ユキナガ。門下にも優れた武士を数多く輩出していた。
ゴコウは、そのユキナガの長子で、以前には道場の師範をつとめていた時期もある。もとより実家であり、現在も、ゴコウはこの道場に起居して、衛門府へと出仕している。
――あらかじめ、ゴコウからの先触れが届いていたらしい。夕刻、ゴコウとゼッカを乗せた牛車が道場に到着すると、門人たちが打ち揃って迎えに出てきた。
「若様、お帰りなさいませ!」
白い胴着姿の門人たち十幾人が、一斉に頭を垂れた。
「なんだ、きさまら。出迎えなど無用と、伝えておいたろうが」
ゴコウは、怪訝そうな眼を門人らに向けた。
「は……そう聞いておりましたが、その」
年若い門人のひとりが、言いつつ、ゴコウの隣りに立つゼッカのほうへ、ちらと視線を送る。
「なにやら、大層な御仁をお連れになったとのことで……」
門人たちの注目はゼッカへ集まっている。
つまるところ、ゴコウを出迎える口実で、ゼッカを見物しに出てきた者たちであった。
「え……俺?」
ゼッカは、きょとんと目を見開いた。
「そういうことか……仕方の無いやつらだ」
ゴコウは小さく息をついた。
「どういうこった?」
「上のほうには、それがしの見聞したことを、ありのまま書簡にしたため、早馬を出して報告している。もう城内にも噂が広まっているようだ。……そりゃ、皆、きさまを見たがるだろうよ」
「そういうもんなのか」
「そういうものだ。きさまは、自分のやらかしたことが、どれほどの騒ぎとなっておるか、まだ実感もあるまいがな。さあ、ついてこい。道場へ案内してやろう」
「お、おう」
ゴコウは、門人らを一瞥すると、さっさと門をくぐってゆく。ゼッカも、後について歩を進めた。
そのゼッカの細い背中を、門人たちは眺め続けていた。
誰も一様に――胡散臭い、といわんばかりの眼差しで。
ゴコウに連れられて、しばし外廊を進み、段を上がると、一種異様な空間がゼッカの前に広がった。
空間自体は広々としていて、天井も高いが、出入口の扉、四面の内壁、床、天井、それらすべてに、ぶ厚い灰褐色の鉄板が張られ、三方の窓にも、内側から頑丈そうな鎧戸が降りている。
さながら、鉄の箱の中のような風情で、壁面には多くの燭が灯され、皓々と内部を照らしていた。
「これが道場か?」
ゼッカが呟くのへ、ゴコウが応えるより早く、空間の奥から「そうとも!」と、大きな声が響いた。
「なッ……!」
その声を聞くや、なぜか、ゴコウが小さな驚声を発した。
見やれば、黒袴に青い胴着の門人らしき影が、肩に木刀をひっかついで歩み寄って来る。
「よーこそ、ミナムラ道場へ! 待ちわびたぞ!」
燭に照らされ、その顔が、はっきりとゼッカの目にも見えた。
「……女?」
ゼッカは首をかしげた。その隣りで、ゴコウは、頬をこわばらせながら、背を張って居ずまいを正した。
「なっ、なにゆえ、あなたが……」
「おう、ゴコウ。相変わらずの石頭だな。そう驚くなよ」
女剣士は、からからと笑った。
長い黒髪を、やや高めに結わえて、背に流している。小顔で、眉目きりりと秀で、睫毛は黒々と長く、眼光は鋭い。しかして表情は明朗闊達、押しの強い、勝気な人柄を偲ばせる。
小柄ながらも、身体つきは、すらりと引き締まっている。挙措にもまったく隙がない。
年齢は、おそらくゼッカより二、三歳上くらいであろう。
それでもゴコウよりはだいぶ年下に見えるが、なぜかゴコウにとっては、目上の相手のようである。
「アタシは一応、ここの門下だぞ? ここにいて悪いか?」
「はっ、いえ……そのようなことは」
「なら、細かいことは言いっこナシだ。いいな?」
「はっ……」
ゴコウが恐縮の態でうなずくと、女剣士は満足げに微笑み、ゼッカのほうへ向き直った。
「おまえがゼッカだね?」
「そうだ」
「話は聞いてる。いい眼をしてるなぁ。アタシはここの師範代さ。名前は……サナ、とでも呼んでくれ」
「師範代……ってことは、あんたも立会人?」
「そう。アタシと、そこのゴコウが、此度の試験の立会人ってワケだ。おまえが真の武士かどうか、このアタシの目で、きっちり見極めてやるよ」
いかにも楽しげに、女剣士サナは告げた。
武士は、血である。
祖霊の血の発現が、大いなる超常の力となる。
武士の血を引き、なおかつ、その血に秘められた力を発現させた者が、すなわち武士と呼ばれるのである。
ヒノモトの民には、出身地域や性別、身分の貴賎などに関わらず、武士の祖たるモノ・ノベ氏の血が、濃淡はあるにせよ必ず流れている。
いいかえれば、ヒノモトの民は、誰もが武士の力に目覚めうる可能性を秘めているというも過言でなかった。
とはいえ、実際に力を発現させる者は稀である。
ことに渡来人との混血おびただしい庶人階層では、十年に一人か二人現れるかどうかという頻度でしかない。
例外として、モノ・ノベ氏の純血直系や、それに近い系譜を受け継ぐ一部の諸侯、豪族などは、確実に武士となる。
また、武士どうしでの通婚ならば、生まれてくる子は、非常に高い確率で武士の力を受け継いでいる。
ただ、いかなる家系であれ、生まれた瞬間から力に目覚めている者はいない。
ある程度まで成長したところで、前触れも無く、突如として覚醒の時が訪れる。
個人差はかなりあって、早くて四、五歳頃、遅い者だと、二十歳を過ぎてようやく力が発現する場合もある。
覚醒し、力を得ただけでは、まだ武士としては世に認められない。
しかるべき場所、しかるべき条件下にて、その適性が試され、規定の水準に達したものと認められれば、ただちに地域の国府に伝達され、兵衛部が司る「武士名簿」に、その姓名が登録される。それでようやく、晴れて武士を名乗ることができるようになる。
ミナムラ道場は、オウミにおける武士の試験場のひとつ――「しかるべき場所」である。
また、古来の律令に則り、試験には、最低でも二人以上の現役武士の立会いが必要となる。
ゴコウとサナが立会人をつとめることで「しかるべき条件」が満たされる。
そして肝心の、適性試験の内容は。
道場内。
ゼッカはゴコウの指示で、道場のほぼ中央に、つくねんと立たされていた。
「試験には、こいつを使う」
サナが、やや離れたところから、細長い筒状の器物をゼッカへ掲げて見せた。
「見たことあるか? ねーよな。こいつは、鉄砲ってんだ」
「話だけは聞いたことがあるな」
ゼッカは、少し眼を細めて、サナが手にした武器を見つめた。
「その筒から、鉄の玉が飛び出してくるんだろ?」
「そうだ。それも、とんでもない速さでな。正確には鉛の弾だ。まともに当たりゃ、武士でも死ぬくらいの威力がある。それで――」
言いつつ、サナは数歩後ずさり、ゼッカへ銃口を向けた。
「こいつの弾丸を、刀で弾くことができりゃあ、合格だ」




