20:槍の少女
年明けて、雪解けの頃。
ヒコネ城下に勢ぞろいをなしたオウミ軍は、総兵三万と号して、サワヤマ・ナナを総大将といただき、颯爽、出征の途についた。
目的は隣国カワチの征伐、平定。
「まずはカタノ城を目指すぞ。あそこを陥として、我らの足溜まりとなす」
総大将サワヤマ・ナナは、カワチ国北辺の前衛拠点にして、堅城と名高いカタノ城の攻略を、当面の目標として掲げた。
ヒコネからカワチまでの道程には、大きな街道も通っているが、それでも、カタノ城へ至るまで、いくつもの山谷渓水を越える必要がある。
出発から一月余りかかって、オウミ軍は、ちょうど旧ヤマシロ国の盆地帯、現在のオウミとカワチの国境近くまでさしかかった。
「軍隊ってのは、思ったより、随分のんびり行くもんだな」
一日、野営の片隅。
サワヤマ・ナナの近侍として帷幕にあるゼッカが、やや退屈そうな様子で、ゴコウにささやいていた。
「暇そうだな、きさまは」
ミナムラ・ゴコウは、後備えの一部将として、今回の征軍に参加している。
そのゴコウが、自陣の天幕にゼッカを迎え、鹿爪らしく説いた。
「我らサムライの足ならば、百里千里もそう遠いものでない。ただ、兵のほとんどは、武士ではなく、庶人であるからな。それが徒歩で隊伍を保ち、規律正しく進むとなれば、いかにせよ、進軍は遅鈍ならざるをえん。後尾には、輜重もあることだしな」
「ははあ。そんなもんか」
「この先には山越えもある。まだまだカタノまでの道のりは遠いぞ」
「それまでに、敵が襲ってきたりしないのか?」
ゼッカが訊ねると、ゴコウは、少々思案顔を浮かべた。
「このあたりの地形は、合戦をするには狭すぎる。さらに進んで、もう少しひらけた地勢になれば、そういう可能性も出てくるであろうな」
「じゃあ、まだ当分、戦いは無いってことか」
「どのみち、今度の出征では、きさまはあくまで主上の随員だ。たとえ戦端が開かれても、おとなしくしておれよ」
「わかってるって。ナナさんにも、そう言われてるからな」
ゼッカは、しおらしく、うなずいてみせた。
……それから、さらに幾日。
ここまで、カワチ側からは、これという反応もない。
ただ、クサカ・ゲンジョウ率いる諜報方は、本軍より先行して情勢を探り、こう報告を寄せてきていた。
「あちらは、足軽の小部隊を複数、国境へ向けて放っております。本隊の編成が済むまで、時を稼ぐつもりでありましょう」
果たして。
進軍の行手、錯綜する盆地の稜線の彼方に、いくつも煙が上がっている――。
この国境付近には、複数の小集落や宿場が点在している。いま、それらを何者かが襲撃し、火付け、略奪など行われている真っ最中であろうとは、誰にも容易に推測できた。
「浅ましきことよ」
馬上。
サワヤマ・ナナは、冷然たる微笑みとともに、左右の旗本らをかえりみた。
「誰ぞ、行って、蹴散らしてくるがよい」
その言葉に、「では、それがしが」と、静かに応えた者がいる。
寺社町方頭ヤマモト・サキョウ。平時は、ヒコネ城下の犯罪や暴力を取り締まる立場であり、オウミの警察長官兼最高裁判長というべき役職にある高官である。
年は四十を超えたばかり。若年から捕吏となり、厳格かつ公正な仕事ぶりで知られるが、少々融通がきかぬ面があり、一部の重臣らからは、(話の通じぬ頑固者よ)と、煙たがられてもいる。
そういう性分、また立場の人物ゆえに――。
「よかろう」
ナナは、満足げにうなずき、サキョウの先行を許可した。
「民を泣かせる賊、容赦は無用である。存分に粛正してくるがよい」
「御意」
サキョウは、一礼するや、馬上、槍をひっさげ、手勢三百騎を引き具し、疾風のごとく街道を駆けて行った。
いつの世も。
戦となれば、迷惑を蒙るのは、庶民である。
国と国の争いは、まず、平野山岳に陣を敷いて、正面から衝突し斬り結ぶ……合戦こそが華。
とはいえ実相は、そう華やかなばかりではない。
街道山路、軍勢の進むところ、その先々に村落あり田野あり。
暴兵の群れは、ほしいまま、それらを蹂躙してゆくものである。
戦が激化すればするほど、年々、そうした略奪の被害は民を脅かし、国土は荒廃の一途を辿る。
もとより、募りに参じてきた足軽雑兵の大半が、平時は社会の穀つぶしや鼻つまみとされるような小人輩の寄せ集め。
大掛かりな盗賊というも過言でない。雑兵どもは道々、調達やら徴発やらの名目で、民家を襲い、畑を踏み荒らし、作物、家畜など仮借なく奪い去ってゆくのが通例であった。
さすがに、正規のサムライが、それらの無道に加担することはほとんどない。しかしあえて止めだてもしない。
戦国の慣わしとして、どこの国主も、建前としては略奪を禁じつつも、実際には黙認している。扶持の薄い足軽者にとっては、またなき稼ぎ場であり、軍としても、敵国の百姓や土地に打撃を与え、敵の弱体化をはかる戦略という意味合いもあるからである。
敵軍の侵攻に応じ、焦土戦略として、あらかじめ自国内にて略奪放火を行う例なども珍しくない。
例外もある。
オウミ軍は、他国と異なり、末端の雑兵輩まで懇ろに手当てをするかわり、略奪行為を厳禁していた。
ただの建前でない。軍法にも大禁としてくどいほど銘記されており、違反者はいかなる抗弁も許されず、身分立場に関わりなく、必ず死罪斬刑となる。
さらには、自国の軍勢ばかりでなく、他国の無法行為にも、オウミはきわめて苛烈に対応してきた。
サワヤマ・ナナとは、そういう国主である。
――藁屋根がこぞって炎上し、黒煙白煙濛々たる小村落。
火に追われ、逃げ惑う住民らを、黒い暴兵の群れが追い回す。
刀槍白刃が閃くたび、こだまする悲鳴、絶叫。
あちらこちら、百姓の男どもが斬り斃され、あるいは槍先にて突き殺され、捕えられた婦女子どもの泣き喚く声が響き渡る。
炎は血風を巻いて燃え広がり、暴兵の狼藉とどまるところを知らず、酸鼻、目を覆わんばかり。
そこへ。
馬蹄の響きとともに、白馬朱鞍の騎馬武者の一団が駆けつけてきた。
「それ、突っ込め!」
土煙をあげ、先頭にて槍をかざすもの、ヤマモト・サキョウ。
その下知に応じ、騎馬の一団は、ぱっと左右に散開し、馬上から白刃をふるって、猛然、手近な雑兵どもを薙ぎ倒しはじめた。
「我こそオウミのヤマモト・サキョウ! 誰ぞ、我に当たる者あらんや!」
高らかに名乗りをあげると、たちまち雑兵どもは震い怖れ、ばらばら背を向け、逃走しはじめた。
「オウミが来た! もうオウミが来やがったぞ!」
「あれは……サムライだっ! 逃げろ!」
「死にたくねえっ!」
既に戦意もなく、捕らえた婦女子や穀壷、生きたままの鶏などの略奪品だけは意地汚く抱えながら、八方逃げ散らんとする狼藉者ども。
サキョウは、その職分と経験上、こういう手合いの扱いは熟知している。
彼らの行動の、先の先まで想定し、あらかじめ十分な配置は済ませてあった。
逃走路はすべて塞がっている。田野、山林、川伝い、賊がいかなる方角へ散ろうとも、オウミの騎馬隊は手具脛引いて待ち構え、逃がさじとばかり捕捉し、打ち倒してゆく。
サキョウが率いてきた手勢三百は、五名のサムライを組頭として、平常より寺社町方で鍛錬を積んできた精兵である。雑兵が抵抗しうる相手ではなかった。
そんな中――ただ一人、勇ましくも、槍をしごいてサキョウへ挑んでゆく者もあった。
「またなき大将首。そこ動くな」
と、常人離れした動きで、突如、喚きかかってきたのである。
「なんの、猪口才」
亜音速で繰り出される槍先を、馬上、自らの槍でいなしつつ、サキョウは苦笑を浮かべた。
相手は、ごく若い女性である。それも、まだ少女といってよい年頃に見える。
略奪には参加せず、戦いの機会を待ち受けていた様子。貧相な具足は、足軽のそれでありながら、身のこなしは武士の域に達していた。
黒髪童顔、小柄ながら、槍を振るう姿は威風凛々たるものがある。
「おぬし、なにゆえ足軽などやっている?」
とヤマモト・サキョウが問えば。
「好きでやってるもんか! 軍役ってやつだ!」
「仕官は?」
「おいら、背がちんまいから、まだ駄目だって。カワチのお城で、そういわれた」
「……なるほど」
こう会話する間にも、もう十数合、互いに猛刃を交わし、火花を散らして争っている。
とはいえ、技量差はすでにはっきりと現れていた。少女の槍は、まったく未熟。サキョウはあえて加減し、適度にあしらいつつ相手をしているに過ぎない。
サキョウの目からすると、この娘、ひどく小柄ではあるが、骨相や肉付きはしっかりしており、見ためほど子供ではない。年のころ、十五、六くらいだろうか。
どうも、武士の力を擁しながらも、おそらくカワチにおける武士認定の条件を満たせず、庶人の身のまま軍役に駆り出されて来たものらしい。
ロウニンともまた異なる、中途半端な身の上――先日までのサワヤマ・ゼッカと似た境遇にあるようだ。
埋もれた武士、とでもいうべき境遇。こうした前例は、数は多くないが、サキョウもいくつか見てきている。
技量は未熟だが、見るべきものはある……と、サキョウは感じた。先日のサワヤマ・ゼッカの例もある。
(思わぬ拾い物となるやもしれぬ)
サキョウは、この少女を生かして、本陣へ連行すべきと判断した。
「おぬし、名は?」
「おいらは、ハヤマ村のユキノ! いまはしがない足軽だけど、あんたの首を獲れば、きっとお城もおいらを認めてくれる! サムライになれる! おとなしく討たれろっ!」
名乗りつつ、猛然と吼えかかる少女……ユキノ。
しかしながら。
「――望むるはこれか」
サキョウの槍先がキラと閃き、ユキノの左肩を貫く。
どう、と、地に打ち臥すユキノ。
そこへ、ちょうど賊の掃討を終えたサキョウの部下らが駆けつけ、わっと寄り集まるや、たちまち高手小手に縛りあげてしまった。
サキョウは、槍を横たえ、手近の部下へ指示を下した。
「殺してはならぬ。しっかり拘束して、本隊へ送れ。治療も忘れずにな」
「尋問などはなさらぬので?」
「そんな暇はない」
すでに付近のカワチ兵は完全に制圧している。遺憾ながら、民家の半分は焼失し、田畑にも大きな被害が出たが、住民の死傷は最小限にとどめることができた。
ひとまず、ここでの目的は果たした――と、サキョウは判断していた。
ほどなくサキョウの手勢三百、ただ一兵も損なわれることなく、集落の広場へ再集結してきた。
同時に、生き残り、捕縛されたカワチの足軽どもが、縄で数珠繋ぎにされ、続々と連行されてくる。
「そやつらも本隊へ送れ。後の処遇は、主上がご裁決なされよう。我らには、まだ仕事が残っておる」
ここは手始めにすぎず、救うべき集落小村は、行手にいくつも待ちうけている。
オウミ本軍の進行を妨げぬよう、それらを素早く制圧し、治安を回復することが、彼らの任務であった。
「ぐずぐずしていると、本隊が追いついてくるぞ。それ、急げ」
サキョウは槍を掲げて手勢をさし招くと、そう叱咤をとばし、次なる集落へと向かっていった。




