表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/20

02:武士





 細い肩を、雨に打たれながら――。

 少年は、ぽそりと呟いた。


「……ずいぶん派手に倒してくれたな」


 言いつつ、左右を見渡す。その視線の先にあるのは、ロウニンの衝撃波で薙ぎ倒された林の惨状。

 幹をへし折られた十何本もの倒木が、無残な姿で連なり横たわっている。


「このへんの木はさ。勝手に生えてるわけじゃねえんだよ。里の人らが植えて、世話してきた林なんだ。あんたらみたいなのに、ここで暴れられちゃ困るんだよ」


 聞きながら、ゴコウは小首をかしげた。この小汚い少年は、いつ、どこから湧いてきたのか?

 そして、何を言っているのか?


「わははははは」


 哄笑が響いた。


「あー、いやいや、そうか。小僧よ、これは済まないことをした」


 いつしかロウニンが起き上がって、泥に足を浸し、なぜか笑っていた。


「木を倒したのは、かくいう、それがしだ。弁償などはできぬが、謝罪はさせてもらおう」


 何が楽しいのか、やけに快活な声を少年へ投げかけてくる。

 少年は、いささか怪訝そうな眼差しをロウニンへ向けた。


「わかってくれりゃ、それでいい」

「おお、そうか。話が早くてありがたい。で、ときに小僧、名はなんという?」

「聞いてどうするんだよ」

「なに、知っておきたくてな。それがしと、そこのサムライどのの間に、いきなり割って入って突き飛ばした、とんでもない豪傑の名前をな」


 やりとりを聞きながら、ゴコウは、ロウニンの言葉に、ひとり唖然としていた。

 あのロウニンは、いま何を口走ったのか。


 ――武士の決闘のど真ん中へ割って入り、両者を突き飛ばした……確かに、そう言った。

 自分を突き倒した黒い影の正体が、こんな少年だというのか?


 ありえない――武士の動きは、武士でなければ止められない。では、この少年は武士なのか? そんな筈はあるまい。

 こんな、見るから貧相な土民の子が、武士であるわけがない。何かの間違いではないのか。


「ゼッカだ。ついこの間から、そう名乗ってる。豪傑かどうかは、知らないけど」


 その少年……ゼッカの返答に、ロウニンは、いかにも興味深いという顔つきで、うなずいてみせた。


「ゼッカ……ね」

「……俺のことは、どうでもいいだろ。それより、殺し合いなら、どっか他所でやってくれねえかな。ここでやられちゃ迷惑だからさ」


 ゼッカが面倒くさげにそう告げるや――。


「控えろ、下郎ッ!」


 ゴコウが勃然、泥をはねあげ立ち上がった。


「黙って聞いておれば、なにが迷惑だ! 薄汚い下民の分際で、武士の決闘を愚弄するかッ!」


 面に血をそそぎ、怒声一喝、ゼッカへ向けて太刀を振りかざす。


「あー、やっぱり、こうなるか……」


 ゼッカは、ゴコウの剣幕に臆するふうもなく、ただ呆れたように溜息をついた。その物怖じせぬ態度からは、土民に似あわしからぬ不遜さが滲み出ている。

 ゴコウはゼッカの振舞いに、己れへの侮辱を感じ、さらに怒気を募らせて、太刀を振り上げた。


「下郎! そこへ直れ!」


 ここオウミの国において、城仕えのサムライには、切り捨て御免の特権が認められている。

 そう滅多に行使されるものではなく、実際に庶人を切り捨てた場合、世間に好ましからざる風評が立つことは覚悟せねばならない。


 それを踏まえてなお、ゴコウはゼッカを本気で斬らんとしていた。

 ……さしも荒れ狂っていた風雨も、次第におさまりつつある。


 濡れた白刃から水滴をふりこぼし、ゴコウはゼッカを睨みつけた。


「はははははは!」


 横から、またもロウニンの呵々たる笑声が響いた。


「おい其許(そこもと)、何を怒っている。それがしに負けかけたので、八つ当たりか?」

「八つ当たりなどではないッ! 武士たるもの――」

「やめとけ、やめとけ。其許の腕前では、その小僧は斬れんよ」


 悠然と告げるロウニン。


「なにを馬鹿な! こんな下民ごとき!」


 ゴコウの叫びに、ロウニンは、わずかに目を細めた。

 当のゼッカは、ぼりぼりと頭をかきながら、両者のやりとりを、つまらなさげに眺めている。


「其許は見えていたか? 先ほど、それがしらを突き飛ばした、小僧の……ゼッカの動きを。それがしでさえ、目の端に、ちらと顔が見えた程度だ。其許はどうだ?」

「あ、あれは、何かの間違いであろう! このような小僧に、あんなことができるはずは……」

「石頭め。やはり無理だ。やめたがいい」

「ええい、ならば見よッ!」


 ゴコウの刃が月光のごとく閃き、風を切ってゼッカの頭上へ迫る――。

 刹那。


 鈍い金属音が、ゴコウの鼓膜に響いた。

 ゴコウは全力で踏み込み、両腕を振り抜いていた。


 本来ならば、ゴコウの一刀は、小癪な下郎――ゼッカを、頭から真っ二つに斬り下げているはずだった。

 だが、ゼッカは依然、そこに立っている。


(……え?)


 ゴコウの眼前で、銀に輝く破片のようなものが、宙を舞っている。

 それは、太刀の刃先――だった。


 ほどなく、落ちてきた刃先が、ゴコウの足元近くの地面に突き立った。

 ゴコウは、信じられぬものを見るように、地に刺さる刃先と、いま振り下ろした自身の太刀とを見比べた。


「なんだ……これは」


 太刀が――刀身の半ばから、折れている。ゴコウにも、それだけはわかる。

 だがいったい何故か? いま何が起こったのか?

 

 驚き戸惑うゴコウの耳へ、ゼッカの、やけにのんびりした声が届く。


「あー、折れちまったか」


 ゴコウは、思わず、がばと顔をあげ、ゼッカの姿を凝視した。


「きさま、何を言っている……?」

「いや、危ないと思ったんで、こう、指で弾いただけだよ」

「指……で」


 呆然と呟くゴコウ。

 武士の動体視力は、超音速で動く物体をも捕捉する。ゴコウとて例外でない。しかし――。


(見えなかった)


 この貧相な土民の子が、いま何をしたのか。

 ゴコウの目には、まるで捉えられなかった。


「だから、よせと言ったろうが」


 横からロウニンが声をかけてくる。ゴコウは、折れた太刀を掴んだまま、慌ててロウニンのほうへ顔を振り向けた。


「そっ、其許は、見えていたのか? こやつが何をしたのか」

「それが……軽く、右手を動かすところまでは見えたが……」

「なんと?」

「速すぎて、見えなかったのだ。いったい何がどうなったのやら」

「べつに、たいしたことじゃない」


 二人のやりとりを聞いていたゼッカは、右手をつと前へ伸ばして、ピンッと人差し指を宙に弾いた。

 次の瞬間。


 ロウニンの背後で、太い倒木の幹が、音高く砕け散った。


「こんな具合に刀を弾いてみたんだ。ちょっと加減間違えて、折っちまったけど」


 ゼッカは何事でもないように、平然と言ってのけた。


「あ、でも謝らないからな。先に手を出してきたのは、そっちだし。これで気が済んだなら、もう帰ってくれよ」


 淡々と告げるゼッカ。

 その姿を前に、ゴコウは、ただ呆気に取られていた。ロウニンでさえ、あからさまに動揺し、かつ瞠目している。


 ゼッカがやってみせた芸当は、凡人に模倣できるようなものではない。

 刀も用いず、指先ひとつで衝撃波を生み出すなど――武士でも、よほどの修練を積まねば、到底なしうるものではなかった。ゴコウ自身、まだそのような域には、まるで達していない。


 いつしか、ゴコウの背に冷たい汗が流れていた。

 怒気も興奮も、とうに消し飛んでいる。


(なんだ……なんなのだ。何者だ、こやつは)


 ゴコウは、もはやゼッカを、貧相な土民の子とは見られなくなっていた。

 認めざるをえない。この少年――ゼッカは、明らかに、武士の力を備えている。それも、途方もなく大きな実力を。


 ロウニンの忠告は正しかった。

 ゴコウでは、ゼッカを斬ることなど不可能だった。


 そのロウニンは――と見やれば。

 既にその場にいなかった。忽然と姿をくらましている。


(……逃げたな)


 ゼッカの一撃によほど驚いたのか、風を食らって逃げ走ったらしい。

 あるいは何か、別の意図があって立ち去ったのかも知れないが、そこまではゴコウのあずかり知るところでない。


 ともあれ、勝敗はうやむやとなったが、相手が退散した以上、決闘の始末はついたといえる。

 ゴコウは折れた太刀を鞘に収め、やや態度をあらためて、ゼッカへ問いかけた。


「……いったい何者だ、きさまは」

「もう名乗っただろ? ゼッカだよ」

「それは聞いたが、武士ならば家名があろう」

「え?」


 ゼッカは、きょとんとまばたきをした。


「俺は庶人だ。そんなものは無いぞ」

「そんなはずはなかろう。それほどの力を――」

「いや、本当に違うから。だいたい、刀を握ったこともねえぞ、俺は」

「……?」


 ゼッカの弁に、ゴコウはしばし怪訝そうな顔つきで、ゼッカを見つめた。

 ……が、やがて、なにか気付いたように、納得げな面持ちを浮かべた。


「なん……と。そういうことか……。天下は広いな……」

「ん? なんだよ、どういうことだ」

「いいか。ゼッカとやら。よく聞け」


 ゴコウは、ゼッカの顔を見つめて、静かに告げた。


「田舎者ゆえ、これまで、己れの真価を知らず、ずっと埋もれ木となっていたのだ。きさまは」

「……真価?」

「そうだ。それがし……オウミのサムライ、ミナムラ・ゴコウが、保証してやろう。きさまには、武士を名乗れるだけの力がある」


 そう云われるや、ゼッカは、さも意外そうな眼差しをゴコウへ向けた。


「武士? 俺が……?」


 いつしか風雨は去り、暗い山裾に虫の声だけが聴こえている。

 雲間にのぞく三日月から、仄かな光が地上へ差し込み、ゼッカの頬を青白く照らし出していた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ