19:名分明らかに
ゼッカが武士となって初の決闘を終え、その刃を鞘に収めた頃合。
隣国カワチからヒコネ城下へ送り込まれていた密偵斥候のたぐいは、ひそかにその動向を監視していた側用人クサカ・ゲンジョウ、指南役ミナムラ・ユキナガ、寺社町方頭ヤマモト・サキョウらの陣頭指揮によって、一人余さず捕えられ、数珠繋ぎに奉行所へと引かれていった。
後日、厳しい取り調べのすえ、それらがカワチより潜入してきた諜者たること、ゼッカの捕縛拉致、ヒコネ城下の情報攪乱などを目的とし、秘密裏に活動していたことなど、様々な事実が、あらためて明白となった。
調べが進むうち、ゼッカ拉致の実行役としてミナムラ道場に侵入してきた隠密風の集団を率いていたのが、カワチの女剣豪ミヨシ・ミカゲであったことも判明し、オウミの重臣たちを大いに驚かせた。
ミヨシ・ミカゲは、カワチ国主ミヨシ・ナリチカの四女である。父の勧めに従って、政事には関わらず剣の道へ進み、長じて戦場へ出るや、居合抜刀の達人として遠近に武名を鳴らし、若くして剣豪位を掴み取っている。
そのミカゲ自ら、ゼッカを捕らえんものと、カワチの隠密方の精鋭とともに、ヒコネに乗り込んできていた――。
それも、ミカゲの独断先行ではなく、カワチ公ナリチカ直々の指示であることも、捕らえた隠密らの証言で明らかになっていた。
これらの事実は、カワチ側が、隣国オウミをよほどの脅威とみなし、対応に苦慮していた証左ともいえる。
ゼッカの身柄を奪うことで、どうにかオウミの弱味を握らんとて、いくら腕が立つとはいえ、わざわざ実娘まで送り込んできたという状況の裏側に、カワチ国主の焦燥すら透けて見えていた。
数日を経て、オウミ国主サワヤマ・ナナは、自ら宣楼門に立ち、一連の騒動について、その顛末まで余さず国中に公表した。
「何事にも、限度というものがある。よりによって、わが婿を拉し、あまっさえ余の城下に火を放たんなど、未然に防げたからよいようなものの、あまりに度を越した、不逞きわまる企みではないか。余の堪忍はもはや破れた。これ以上、カワチの跋扈を見過ごしにはしておけぬ。余は即刻、国中の精猛をすぐって、カワチを討つであろう」
すなわち戦力徴募の宣告である。
オウミは大国といえども、そう常時、大兵を養っているわけではない。
戦には名分が必要となる。名分なき戦いは、無名の師といわれ、これは武士にとって忌むべき悪評を後世にまで遺すこととなる。
ゆえにまず、名分を明らかにしたうえで、国中の壮丁を寄せ集めて編成し、隊伍を整え、行軍陣取りの計画まで定めて、ようやく出兵の段取りとなる。
編成される戦力の大半は足軽である。
内訳は、軍役に駆り出された若者らの他、地元の無職者やちんぴら、流れのあぶれ者、無法者、犯罪者などまで、雑多な人々が、金銭や食料で雇われ、ごく簡易的な速成教練を施された雑兵輩であった。
武士も、募りに応じてくる。
日ならずして、普段は僻地で小役人など勤める無名の士、また城下にたむろする無役のロウニンらも、いざ一働きせんものと、こぞって城下へ集まってきた。
不遇の武士にとっては、功名を遂げるまたとない機会である。受け入れる側としても、腐っても武士は武士、個々の能力は雑兵と比較にならない。募りに応じてきた武士には、身分閲歴によってしかるべき職分を授け、働きに応じた褒賞を約して戦場へ送り出すのが通例である。
国王ナナの出兵宣告を受けて、ここミナムラ道場も、俄かに、物々しい空気がみなぎりはじめた。
道場の門下生は、もとより修行中の若いサムライやロウニンたちが多くを占める。誰もが当然のごとく合戦への参加を決め込み、おのおの武具を吟味し、鎧甲をまとい刀剣を佩き、余念なく準備に取り掛かっていた。
「なんだ、あんたらも行くのか?」
道場の板間にて、師範イシダ・ギヘイ、アラキ・シンザブロウの両名が、古びた武者鎧姿で肩を並べ、ゼッカのもとへ挨拶に訪れていた。
両名いずれも、かつてヒコネ城の登用試験に落第し、ミナムラ道場に雇われていたロウニン者である。素行不良ながら、道場師範を務めるだけのことはあり、剣の実力については、まずまず評価されていた。
「ええ。我ら両名は、若様の衛士として、こたびの戦についてゆくことになりました。どうか、よしなにお願いいたします」
イシダとアラキは、慇懃に頭を下げた。
若様とは、道場の御曹司ミナムラ・ゴコウのことである。
そのゴコウは、もとよりオウミに仕えるサムライであり、当人の意思に関わりなく、一部将として、少なからぬ兵を率いてゆく身であった。今頃は衛門府に入って、部隊編成の実務に追われているところであろう。
「ゴコウの護衛ってことか。あんたら、合戦には何度も行ってるのか?」
ゼッカは尋ねた。
「いえ。実は我ら、初陣でして。この鎧は、安く譲ってもらった中古です」
「我ら、至らぬロウニン者ではありますが、この機会になにか功を遂げて、今度こそお城に召し抱えてもらおうと、二人で相談して決めたんでさ」
「なるほどな」
ゼッカはうなずいた。気心知れたゴコウの下で、どうにかひと手柄挙げんと気負いこんでいる。その並々ならぬ意気を、両者の顔つきからも窺い知れた。
そういうゼッカ自身は、総大将ナナの近侍として、出征には随行するものの、合戦には直接関与しない立場となっている。
――そちは確かに強いが、合戦はまた違うものでな。初陣のこたびは、合戦の空気を感じるだけでよい。おとなしく、余のそばについておれ。
……というナナじきじきの「説得」により、ゼッカは武将としてでなく、一随員として、合戦を見物する身となったのである。
ゼッカは、ナナの決定に、とくに不満などは感じていない。
(なんせ、たった一人を斬っただけで、あの様だ)
先日、ここミナムラ道場の庭先での「決闘」において――ゼッカは初めて人を斬った。
直後、どうにも複雑な感情がせめぎあって、自分がどんな顔をしているのか、どんな顔をすればよいものか、まるで把握できなかった。
ナナは、「褒美」として、そんなゼッカをふわりと包み込み、慰めてくれた。
その一事を思い出すたび、ゼッカは、胸のあたりに熱いものを感じている。
(いまの俺に、まだ合戦で活躍なんて無理だよな。ナナさんは、なんでもお見通しってわけだ)
不満どころではない。ゼッカは、ナナの「心遣い」を、有り難く思っていた。
一方、ヒコネ城内――。
「なにせい、ゼッカは強すぎるからのう。好き勝手にやらせておいたら、どんな無茶苦茶な暴れ方をするか、わかったものではない。合戦といえど、無用な殺戮は避けるべきであろう?」
「同感にございます」
オウミ国主サワヤマ・ナナと、ミナムラ道場主ユキナガ――二人の「剣聖」たちは、そのようなことを、しみじみ語り合っていた。
――合戦の刻は近い。




