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16:月下の剣(前編)





 宵ごろから、ヒコネの北町で、物騒がしく争う者たちがいた。

 酔っ払い同士の喧嘩であろう。


 若い男どもが、五、六人、飯屋の前でなにやら言い争い、入り混じってつかみあい、取っ組み合いになっていた。

 これがロウニンやサムライどうしの諍いならば、大変なことになるが――さいわいというべきか、それらは武士ではなく、オオツから来たという行商人どもと、地元の若衆らが揉めているにすぎなかった。


 とはいえ人数が多い。放置しておけば、周囲を巻き込んで被害が出かねない。

 付近の町人らの通報を受けて、寺社町方から巡邏の吏が五名、急いで駆けつけ、なんとかこれを取り鎮めた。


「今夜は、やけに酔いどれの喧嘩が多いな」

「こっちは二件目、西町でも三件。あちこちで騒ぎが起こってるそうだぞ」

「来てみれば、なんてことはない、ただの口論か庶人の喧嘩ばかりだが」

「忙しいことよな」


 寺社町方の吏たちは、このような事情から、やむなく分散して、せわしなく宵の町辻を走り回っていた。

 人手が足らぬとて、東町や南町の担当巡邏も、急ぎ別方面へ駆り出されている。城下の東側区画に配置されていた吏員数名も、本来の持ち場を遠く離れ、番所は無人となっていた。


 ミナムラ道場の所在は、まさに、その東の番所にほど近い、街壁沿いの区画だった。

 道場の周辺から巡邏の姿が消えるや、いずこからか、宵闇にまぎれ、一人、また一人……と、足音も忍びやかに、新たな人影が道場の土塀の下へ集いはじめた。


 総勢十二人。みな、真っ黒い装束に太刀を負い、顔まで黒頭巾で覆い隠し、声をひそめて、しめし合わせていた。


乱波(らっぱ)の陽動は、上首尾にござる。いま、ここいらは警邏も手薄。おのおの方、あとは手筈どおり――」

「わかっておる。ゼッカとかいう餓鬼を、ふん縛って、引きずってくればよいのだろう?」

「そうだ。他の住人には、無闇に手を出す必要もないが、万一見られた場合は始末してよい」

「道場主が出てきたらどうする。我らも腕にはおぼえがあるが、さすがに剣聖の相手は無理だ」

「その心配は無用でござる。毎月、この日頃は、道場主は必ず城内へ出向いて、道場には不在であること、調べがついておりますゆえ」

「そうか。では、いざ迅速に――」


 十二の怪影は、一斉に左右に散った。






 現在、ミナムラ道場には、ゼッカの他に、道場師範――イシダ・ギヘイ、アラキ・シンザブロウの両名と、下働きを兼ねて雇われている門弟数名が住み込んでいる。それらの人々は、敷地の南側、前棟の大部屋に寝泊りしていた。

 ミナムラ家の人々は、敷地北側の奥棟で暮らしている。ゼッカは、道場主ユキナガの厚意で、その奥棟に寝房をあてがわれていた。ゴコウとおリツの兄妹は、隣室に起居している。


 夜更け。

 ゼッカは、寝房の布団の上で、大の字に転がり、安らかな寝息を立てていた。


 わずかひと月前には、茅屋(あばらや)の藁をかぶって眠っていた身である。

 それが今では、立派な土塀に囲まれた屋敷で、やわらかな寝具にくるまって、なに不自由もなく、日々安臥できていた。


 道場への入門以来、ゼッカもこうした環境に慣れて、相当に気が緩んでいたことは否めない。

 雨中遠くに剣戟を聴き取るほど研ぎ澄まされた聴覚も、肝心の意識が、あまりに安らかな眠りの底に落ちてしまうと、もうさほど意味をなさなかった。


 ゆえに、気付くのが遅れた。

 ふと、異音を感じ取り、ゼッカが瞼を開いた頃には――すでに、異変は始まっていた。


 庭の向こう側、南の前棟のほうから、複数の足音や呼吸音が、かすかに聴こえている。

 ゼッカは、まだ半ばまどろみながら、それでもどこか不審な気配を感じて、ほとんど本能的に、身をかい起こしていた。


(なんだ? 盗ッ人か……?)


 次第に目もさめて、意識がはっきりしてきた。

 ゼッカは、わずかな音も聴きのがすまいと、さらに耳をそばだてた。


(ずいぶん大人数だ。それに刀を持ってる。こいつは、ほっとくわけにゃ、いかねえ)


 ゼッカは枕辺に掛けておいた太刀をひっ掴んだ。

 意を決し、そっと(ふすま)を開いて、廊下へと踏み出す。


 彼方の庭先は灯火もなく、真っ暗だったが、そこここに、複数の気配――それも、殺意の入りまじった険呑な気配が感じ取れる。


(ただの盗人じゃなさそうだな……何か探してるのか)


 ゼッカは、廊下から縁側へと、慎重に歩を進め、庭先へ近付いていった。






 十二人の侵入者たちは、いったん東西に散り、それぞれ土塀を乗り越えるや、庭の草木の間を縫って、南側の前棟へ向かって集結した。

 まず、二人が先行し、忍びやかに縁側から前棟の廊下へ乗り込んだ。


 大部屋の襖に取り付き、開けてみると――。


「や。誰もおらぬ」


 大部屋は、無人だった。


「事前の調べでは、師範や門弟は、ここに寝ているはず――」

「どうなっておる。よもや、すでに事が洩れておったか?」

「そんなはずはない」


 想定外の空振り。襲撃者たちの目に、やや焦りの色が浮かびかけたものの、すぐさま気を持ち直し、新たに断を下した。


彼奴(きやつ)が、この敷地に寝泊りしておることは確かなのだ。こうなれば、手分けして探すしかあるまい」

「承知した。ここは貴様らに任せる。四人ほど、わしに付いてこい。北側の部屋を探るぞ」


 十二人は、再び左右に分かれた。

 そのうち五人、一斉に踵を返し、影を連ねて、北の奥棟へと向かう。


「あそこは、ミナムラ家の者しかおらぬはずだが」

「彼奴、この道場でも随分と優遇されておると聞く。ひょッとすると、あちら側にいるかもしれん」

「それにたしか、あちらにはミナムラの娘がいたはずだ。いざという際には、人質に使えよう」

「――待て。気配が」


 五人は、砂を踏みしめて足を止めた。

 暗い庭内、石灯籠の傍ら。


 月下。

 青い光を浴びて、太刀をさげ、ひとり佇む、胴着姿の少年。


「よう」


 少年は、穏やかに口を開いた。


「この道場に、何の用だ?」


 平然と声を投げかけてくる。

 五つの影は、少年の姿を認めるや、無言で目線を交わし、うなずきあった。


 一人、背を向けて、その場を駆け去らんとする。残る四人が、少年の進路を阻むように、背の太刀を抜き放ち、並んで一歩進み出た。


「サワヤマ・ゼッカとは、其許(そこもと)のことか」


 一人が、声をひそめて訊いた。


「そうだ」


 ゼッカは、静かにうなずいた。





 ゼッカの眼前にいるのは、これまでに見聞してきた武士の姿とは、明らかに異質な気配をまとう一団だった。

 どう見ても、まっとうな人間とは思えない。目的を果たすためならば、いかなる手段も辞さぬ――殺伐たる意志が、ゼッカの肌にまで伝わってくる。


 ――武士には、こんな連中もいるのか。


 ゼッカは、襲撃者らの風体を見渡しながら、内心、そんなことを考えていた。


「おまえら、もしかして、俺を探してたのか?」

「いかにも」


 ひとり、うなずいて応えた。


「サワヤマ・ゼッカ。我らにご同行を願おう。抵抗せぬなら、こちらも手荒な真似をせずに済む」

「断る」


 言下に、ゼッカは拒絶した。


「聴こえてたぞ。娘を人質にするとか、どうとか。まっとうな武士の……いや、人のやることとは、思えねえな。そんな外道の言いなりなんざ、御免こうむる」


 前髪の下からのぞくゼッカの眼光が、鋭く険しく、襲撃者らの肺腑を射抜いた。


「青くさいことを……ならば、力ずくで抑えるまで」


 四人は、太刀の刃を返して身構えた。あえて峰打ちで、ゼッカを無力化せんとの意図であろう。

 ――土を蹴り、左右から、襲撃者たちは疾風のごとくゼッカめがけて飛び掛かってゆく。


 ゼッカの手許で、白刃、月光に躍る。

 四人は、ゼッカに一太刀も浴びせぬまま、声もあげず、その場に倒れ伏した。


 全員、既に失神している。ただし、誰も外傷は負っていなかった。


「なるほどな。殺す必要がないなら、こっちで叩けばいいわけだ」


 と、ゼッカは、自らの太刀を月にかざし、その刀身を、しげしげと眺めやった。

 相手に合わせて、峰打ちというものを、初めて試してみたらしい。


「たぶん、骨の何本か、砕けてるだろうけど……それぐらいは我慢してもらうか」


 小さく息をつき、太刀を鞘に戻すゼッカ。

 ちょうどそこへ、新たな足音が聴こえはじめた。南の縁側のほうから、続々、庭へと踏み込んでくる様子。


 おそらく、先にこの場を離れた一人が、仲間を呼び集めて戻ってきたものであろう。


「多いな」


 ゼッカは、あらためて太刀の柄を握りしめた。

 ――襲撃者、残り八人。





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