15:戦国世情
夕刻。
暗くなりかけた秋空には早、ぽつぽつと星粒が浮かびはじめている。
ミナムラ道場の門前にも燭が灯され、一日の稽古を終えた門下生たちが、帰宅の途へつきはじめていた。
おだやかな薄暮のひととき――。
「たのもう!」
と、大音声が響いた。
身の丈七尺はありそうな中年の壮漢が、太刀を佩き、道場の門を叩いている。
応対に出た若い門下生が、いささかうんざり顔で、その壮漢へ声をかけ、中へ引き入れた。
「身共、ミカワの産にて、ハヤカゲ一刀流、サカダ・マサイエと申す者。剣豪サワヤマ・ゼッカどのとのお手合わせを願いたく」
ゼッカへ挑まんとする、道場破りのロウニンである。
同様の輩はゼッカの入門以来、三十人以上も押しかけてきていた。
「またかよ。今日はもう三人目だぞ」
道場にて、サカダなるロウニンとゼッカは、木刀を携えて向き合った。さすがに、ゼッカも、立会役をつとめる若い門人も、揃って面倒くさげな様子である。
その態度が、少々、サカダの癇に触れたらしい。
「……小僧。きさま、本当に、剣豪のサワヤマ・ゼッカか? よもや身共をたばかっておるのではあるまいな?」
ゼッカは、溜息をついて応えた。
「もう毎度、似たような事をいわれるんだよな。そんなに俺、武士らしく見えねえのかな」
「まったく見えん」
身も蓋も無いサカダの返答に、ゼッカは軽く肩を落した。
「はあ。もう、どうでもいいや……。どこからでも、かかってこい」
「おう、言われずとも! いざ尋常に!」
サカダは木刀を両手で構え直すや、床音高く、猛然、ゼッカめがけ踏み込んだ。
振りおろされるサカダの斬撃を、ゼッカは眉ひとつ動かさず、木刀の先で、軽々と弾き返した。
「なッ――」
と、驚く間もあらばこそ、もうゼッカの剣先が、サカダの側頭部を軽く撫でつけている。
サカダの巨体は、道場の床へ横ざまにくずおれ、倒れ込んだ。
「終わりか。……今日来たやつらの中じゃ、一番強かったかな」
あえなく失神して大の字となったサカダを見下ろし、ゼッカは息をついた。
「それはそうだろう」
新たな人影が道場へ踏み込んできた。ミナムラ・ゴコウである。出仕を終え、ちょうど帰宅してきたものらしい。
「サカダ・マサイエといえば、ハヤカゲ一刀流の免許皆伝だ。称号こそ得ておらぬが、ミカワでは十指に入る達人といわれておる者だぞ」
「そうか。たしかに、ちょっと手ごたえが、他のやつらと違ってたな」
ゼッカは木刀を壁に掛けると、ゴコウと肩を並べて、庭先の廊下へ出た。
すでに日は暮れて、真っ暗な庭に、石灯籠が鈍く光っている。
「でもよ、毎日毎日、なんでこんなに、俺と立ち合いたがる奴が多いんだ?」
「今更、それを聞くか……」
ゴコウは、少し呆れ顔で応えた。
「まだ自覚しておるまいが、年若くして焔熊を狩ったことで、きさまの武名は、もう遠近鳴り響いている。しかも、うちの道場に住み込んでいることも知られている。長年うだつの上がらぬロウニンどもにとって、きさまは、名を売るための格好の的となっているのだ」
「俺に勝てば、有名になれるってことか」
「そうだ。それに……きさまは、主上より剣豪の称号を授かっている。今はきさま自身、他人に剣士の称号を与えられる身となっているのだ。とすれば、きさまに実力を認めてもらい、あわよくば……などと考えている輩もいるだろう。おそらく、いまのサカダも、そのたぐいの者であろうな」
「ふーん。そういうのもあるのか。でも、ナナさんから、無闇に称号を他人にやるなって言われてるから、やらねえけど」
「それでよいと思うぞ」
言いつつ、ゴコウは苦笑を浮かべた。ゼッカに剣豪位を授けた張本人が、それを言うか――と、内心おかしく感じたからである。
私的な場においてのみ、オウミ国王の名を直接呼ぶことができるのも、サワヤマの婿としてゼッカに与えられた特権のひとつである。もっとも、公の場では、あくまで家臣として振舞わねばならず、きちんと尊称で呼ばねばならないが。
「だが、ミカワの達人でも、きさまの相手にはならなかった。これが知れ渡れば、この騒ぎも、さすがに収まってくるだろう。もうしばらくの辛抱だな」
「ああ。こう毎日じゃ、飛刃落葉の鍛錬も、ちっとも進まねえしな」
「父からは、随分、上達したと聞いておるが」
「いや、まだまだだよ」
ゼッカは首を振った。
「あとさ、よその奴に会うたんび、見ためでどうこういわれるのも、さすがにうんざりしてきたな」
「それは仕方ない。しっかり食って、大きくなるしかなかろう」
「そうだなあ。そういや、腹減ってきた。もう夕餉、できてるかな」
「今日は、鴨鍋だそうだぞ。おリツが先日、オオツの行商から買い付けた、とっておきの食材なんだと」
「おおー、そりゃ豪勢だな! 行こう行こう」
二人は、足取り軽く、板間へと向かっていった。
同時刻、ヒコネ城内。
御殿の内苑、池の畔の水閣に、男女三人が集い、灯火をかこんで、静かに額を寄せ合っていた。
オウミ国王サワヤマ・ナナ。
側用人クサカ・ゲンジョウ。
指南役ミナムラ・ユキナガ。
側用人とは、国王の側近であり、国王の意思を家臣団に伝達する役割を持つ。
ただの伝令役ではなく、国王の代理として家臣団を取りまとめる権限を付与されており、筆頭家老と同格、場合によってはさらに上位にあたる、重臣中の重臣といえる。
その側用人をつとめるクサカ・ゲンジョウは、旧イガ国――すでに滅亡し、現在はオウミ領となっている――の出身で、剣豪位を持つ初老の剣客である。
指南役ミナムラ・ユキナガとは同世代で、かつて戦場で刃を交わしたこともある間柄であった。
「調べは、もう済んでおるか?」
まず、口を開いたのは、ナナである。
桜色の小袖に赤袴の装い、髪を高く結わえて、薄化粧に薄紅をほどこし、オウミ国主たる威儀を正しつつ、峻烈な感情を抑え込むように、静かに瞼を伏せている。
「すでに八名、調べがついております」
と、クサカがおだやかに応える。
「キイとオワリから、密偵一名ずつ。あとの六名は、カワチの諜者です。おそらく、まだ調べがついておらぬ者どもも、その多くがカワチの手の者でありましょう」
「ほう。カワチですか」
ユキナガが、やや意外そうな顔を浮かべた。
「てッきり、仕掛けてくるのは、セッツあたりかと思うておりましたが」
「セッツには、まだ、これという動きは見られませんな。また、キイやオワリの者どもは、たんに探りを入れに来ただけに見受けられます」
「では、いま警戒すべきは、カワチの動向であると」
「左様。すでに、盲動をはじめておりますな。新たに五人ほど、行商を装って北町に入り込み、木賃に分散して泊まり、こそこそ連絡を取り合っておる様子にて」
ユキナガの言にクサカがうなずくと、ナナは、冷然たる微笑を浮かべた。
「ふふ。カワチの老狸が、わざわざ討伐の名分を、あちらから持ってきてくれるか。これを取らずんば、かえって天意に背くというものよな」
この連日、ミナムラ道場へ押しかけてくるロウニンたち。
実にその半数以上が、他国からひそかに遣わされて来た諜者密偵であった。
近頃、オウミ国王サワヤマ・ナナが、婿を迎えた――という情報は、すでに周辺の諸国にまで知れ渡っている。
その人物、サワヤマ・ゼッカなる弱冠の武士は、なぜかヒコネの御殿ではなく、城下の道場に住み込み修行中の身であるという。
現状、周辺諸国いずれも、オウミを脅威と見做し、突くべき間隙を常々探り、狙っている。
なればこそ、この情報に、乗ずるべき隙がありはしないか――と、諸国が思い至るのは当然のことであった。まず諜者を放ち、情報の真偽、虚実内情をくまなく探り、しかるべき対応を図らねばならない。
しかるべき対応……すなわち、ゼッカなる人物の身柄確保。
これへ真っ先に動いたのが、カワチ国であった。
ゼッカが、真にサワヤマ家の婿養子で、しかも無防備に道場住まいなどしているなら、問答無用でこれを捕獲する。手練れの武士を十人も揃えて寝込みを突けば、いかに剣豪とて、ひとたまりもないはずである。
そうして婿養子の身柄を抑え、人質としておいて、大国オウミへ交渉を持ちかける――それがカワチ国の思惑である。
実際、過去には、いくつもの国で、似たような前例が数多ある。
要人の暗殺、誘拐略奪など珍しくもない殺伐たる乱世の外交謀略。
どこの国も、この生き馬の目を抜く争乱に勝ち抜き生き残り、天下に覇を唱えんとするなれば、そう綺麗事ばかりを言ってはおられない現今の世情であった。
……そうした動きをあらかじめ看破、把握し、それへ逆手をはかるもまた、戦国の非情。
「動静から見て、カワチの奴輩どもは、今夜にも道場へ仕掛けてくるでありましょう。いかがなさいますか」
クサカが告げる。ナナは小さくうなずいてみせた。
「未然に防いでしまってもよいが、それでは面白くなかろう。こちらは監視するにとどめ、顛末を見届けるだけでよい。ただし」
ナナは、ユキナガに鋭い眼光を向けた。
「火だけは、使わせぬようにせよ。道場が焼けてしまっては困るのでな。あとは……一人か二人、早めに捕らえておくがよい。それ以外は、師の裁量に委ねおくぞ」
「御意」
ユキナガは、深々と頭を垂れた。
ナナは、そっと立ち上がり、閣の襖を開けた。
暗い夜空、内苑の松の上に、細い銀月が、冴えざえと浮かんでいる。
「さて。ゼッカは、どんな戦いを見せてくれるかな……」
誰に言うでもなく、ナナは目を細めて呟いた。
松の梢は、微風にざわめいて、池の水面に影を落している。
夜は、まだ宵の口であった。




