11:位階と称号
この日。
コガワ村の庶人ゼッカは、オウミのサムライ、サワヤマ・ゼッカとなった。
サワヤマの家名を受けるにおいては、ナナの婿としてサワヤマの養子となる、という形式を踏むことになる。
オウミへの仕官を決めたゼッカに対し、最大限の高待遇を与えるための、あくまで便宜上の婚姻であった。
今後ゼッカは、正式にオウミの家臣団に加わることになる。オウミの王家たるサワヤマを名乗りつつ、一家臣としてナナに仕えるという、かなり特殊な立場となる。
家臣団に組み込まれても、実質、王族の一員たるゼッカの上に立つのはナナただ一人であり、ゼッカは、ナナの意思にのみ従う義務を負う。それ以外にゼッカに並び立つ者はなく、余人にはゼッカに指図をすることも、掣肘することもできない。
なにかしら仕事などを依頼することはできても、それを受けるや否やは、ゼッカの判断による。ゼッカはまさに、前例のない破格の待遇を受ける身となったわけである。
ただし――。
「なにせ余もゼッカも、まだ伴侶を迎えるような年歯でないし、ことにゼッカに、そのつもりがあるまい。ゆえに、今は自由にさせてやるとも。だが、いずれ本当に、きちんと祝言を挙げて、本物の婿になってもらうからな? もう余は一生、ゼッカを手離すつもりはないぞ?」
形式上には、既に婚姻を結んだこととなり、実質上では、許婚者という位置付けとなる。それがナナの意図するところであった。
ゼッカには当面、枷をつけるようなことはせず、猶予期間として、自由意思での行動を認める。しかし将来的には必ず、ゼッカの血を王家に取り込むであろうと――その意志を、自ら明言したものだった。
居並ぶ諸臣は、ナナの大胆きわまる宣告に、いまだ思考停止を余儀なくされている。
なにより、主上たるナナ自身がそう決めたことであれば、臣下たる身に到底、異論を差し挟む余地はなかった。
一方、そのゼッカは。
「なあ、こういう場合、どう返事すりゃいいんだ?」
と、小声で、隣りのゴコウに訊ねていた。
「きさまは、すでにオウミのサムライだ。主上の御意に、是も非もない。ただ、承りました、とだけ言えばよい」
「そうか。じゃあ、えーと……うけたま、わりました」
あっさりと、ナナのほうへ向き直り、そう応えた。
「よしよし。委細、余に任せておくがよい。誓って、悪いようにはせぬぞ」
ナナは、ことのほか満足げに、ゼッカへほほえんでみせた。
続いて、国主ナナ手ずから、ゼッカへの位階と称号の授与が行なわれた。
オウミの家臣団は、国主たるナナ自身をも含め、例外なく、ヒノモト古来の律令に基づく位階官職を持つ。
オウミは実質、独立した国家ではあるが、形式上は現在でもイズミの皇帝家の臣下である。
国主は代々、莫大な朝貢と引き換えに、朝廷における高い地位と、ある程度の発言権を確保していた。
オウミ国内の身分制度も、基本的に律令時代から続く官位相当制がそのまま適用されていた。新たにオウミの家臣となるゼッカにも、そうした官位が与えられることになる。
まず、散位従五位下の位階に叙せられ、六百石の位禄を受ける身となった。
散位とは、位階はあるが定まった官職のない者を表す。
従五位下は、律令が定める諸臣官位三十階のうち、イズミの朝廷の意思によらず、国司の裁量による補任が認められる最上級の官位であった。たとえばゴコウは正六位下左衛門少尉で、これはナナから叙任された位階官職である。
そのナナ自身は、イズミの朝廷より正三位大納言の位階官職を授かっていた。
この叙位により、ゼッカは官位において国主ナナ、筆頭家老サダノに次ぎ、各部署の頭領と同格の位階となった。
位階においても、ゼッカは並み居る先輩家臣らに並び立つこととなる。
散位たるゆえに、具体的な権限などはないが、城内、殿中における自由行動が保証されたという意味で、やはり破格の待遇であった。
位階の授与に続き、式典は称号授与の段に入る。
武士には、官位とは別に、称号というものがある。
律令の定めるところ――。
剣士。
剣豪。
剣聖。
称号自体には、なんらの権力も恩典も付随するものではない。称号は、その実力を示す指標であり、武士道において重要な――名誉、そのものといえた。
下は剣士、中は剣豪、上は剣聖。
これらの称号持ちには、その実力の程度を表すような異名が付くことが多い。『剛剣』や『黒の剣士』『一騎当千』『国士無双』などといった具合で、当人の活躍ぶりに応じて、自然と、そのような異名で呼ばわれるようになるものである。
当然ながら、相当な実力のある武士でなければ、称号を授かることはできない。サムライとロウニンとを問わず、称号持ちの武士は、それだけで敬われる対象であった。
ヒノモト全土における武士の人口は二千人ほどといわれる。
そのうち、下位称号たる剣士の保持者ですら七十名ほど。オウミにはわずか十一名しかいない。ミナムラ・ゴコウは、その一人である。
剣豪となると、ヒノモト全体で三十名に満たず、オウミにも六名がいるのみ。側用人クサカ・ゲンジョウ、兵衛方頭ハザマ・ミチタカなどがそれにあたる。
剣聖は、ヒノモトでただの五名。そのうち二人が、オウミのミナムラ・ユキナガ、サワヤマ・ナナの両名である。
称号の授与とは、既に剣聖もしくは剣豪の位を持つ武士が、実力を認めた者に対して、自分より下位の称号を任意に与えることができる仕組みであった。
剣豪ならば、剣士の称号を他人に授けることができ、剣聖ならば剣豪、剣士のどちらでも自己裁量で授与できる。
ただし、剣聖以上の称号については、イズミの皇帝家にのみ認定権がある。
剣聖より上の称号も、一応、存在している。
武神、という。
律令制定このかた、ヒノモト千二百年の歴史において、ただの一人も、その条件を満たした者は出ておらず、実質、存在しないも同然の、幻の称号とされているものである。
いずれにせよ、称号授与にはそれぞれの国元に届け出が必要とされる。
口頭だけでなく、授ける側が、わざわざ書類上の手続きを踏まねばならないため、時間も手間もかかる。いわゆる称号持ちが、なかなか増えぬ理由のひとつであった。
「ゼッカよ。――剣聖サワヤマ・ナナの名において、そちに、剣豪の称号を授けよう。なにせ昨夜、約束しておるしな。手続きはこの場で済ませておくゆえ、もう今からそう名乗っても構わぬぞ」
ナナが告げると、家臣の列から、一斉に賛嘆の声があがった。オウミで七人目となる剣豪の誕生を、ごく素直に受け入れていたのである。
ゼッカの実力を既に見ていればこそ、誰も否やを唱える者もなかった。
昨夜の約束――ミナムラ道場にて、ナナの初太刀を浴びせられた際、ナナ自ら口走ったことである。
ゼッカは、見事に剣聖ナナの斬撃を受け切り、提示された条件を満たした。剣豪位の授与は、その約束の履行である。兵衛方主簿が列席していたのは、まさにこの手続きのためだった。
「ええと……ありがたく、お受け……いた、します」
ゼッカは一応、型どおりに謝辞を述べ、うなずいてみせた。
ただ、称号についても、また位階などの件についても、さほど有り難がっている様子でもない。そもそも、まだ何ら実感がないからである。つい昨日まで庶人だったゼッカとしては、無理からぬ反応であった。
なによりゼッカは、また相変わらず、ナナに見惚れていた。位階を叙され、称号を授かる間も、周囲の反応などは耳にも入っていなかった。
ナナの声は、銀鈴の鳴るごとき涼やかさで、ゼッカの耳に心地よく響く。
その姿といったら、華厳凛々たる大輪の花が、眩い陽光を浴びて、まっすぐ天へ向かって咲き誇っているかのように――ゼッカの眼には映っていた。
他人をこうも意識するのは、おそらく生まれて以来のことで、ゼッカ自身、いまの感覚を表現すべき言葉を持たない。
ただ、ゼッカは、ナナをひたすらに見ていた。
いくら見ても飽きないと――場所柄など気にもかけず、そんなことを思い浮かべていた。




