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10:家名





 二百貫の武衝(ぶつ)像が。

 ゼッカの指一本で消し飛んだ。


 荒肝では人後に落ちぬオウミの重臣団も、さらにゼッカにそう指図をしたユキナガや、当のゼッカをこれへ引きこんできたゴコウでさえも――。

 誰もが、ただ度肝を抜かれた。


 武衝像の立っていたあたりは、床板すら無残に剥がれ飛び、薄靄のように砕片粉々と漂うなか、背後の壁面には、まるで見えざる巨大な鉄槌で打ち抜かれたような大穴が穿たれていた。

 そこからは、廊下の向こうの内苑の景色すら、うかがい見ることができる。


 ……武士は、一種の超人である。

 その太刀筋は音の速さに匹敵し、その脚力は一日に千里を駆ける。


 そうした超人たちの眼にすらも。


 ――こんな人間が、この世にいるものか。


 と、信じられぬものを見るような面持ちで、息を呑み、瞠目していた。

 ゼッカの力量に疑いを抱く者など、一人とて、この場にはいなくなっていた。


「これでいいのか?」


 ゼッカは、ユキナガのほうへ顔を向けて、何事でもないように訊いた。

 ユキナガは、まだ絶句したまま、口も聞けない。


 その反応を、どう解釈したものか、ゼッカは、少し眉をひそめて呟いた。


「なんだよ。もっと遠くまで飛ばしたほうがよかったか? なら、今度は反対のやつを――」

「いやいや、待て待て待て!」


 少し腰を浮かしかけたゼッカへ、ユキナガが、慌てて声をかけ、制止した。


「もう、十分じゃ。おとなしくしておれ」

「そうか」


 ゼッカは、ひょこっと座り直した。

 そこへ――。


「あーっははははは! わはははは!」


 不意に、大閣全体、快濶きわまる大きな笑い声が響き渡った。

 諸臣、一斉に、声のするほうへ――すなわち壇上、サワヤマ・ナナへと向き直った。


「いや、これはまた! 実に面白いものが見られたわ! あははは!」


 ナナは、ことのほか、ご機嫌うるわしき様子である。


「ふふふふ、ははは、ああ、笑いが止まらぬ。……のう、皆のもの。ゴコウの報告が、まったく真実であること、ようわかったであろう。余は、一足先に知っておったがな!」

「……と、申されますと」


 ユキナガが訊ねると、ナナは、からからと豪快に笑った。


「実はのう。昨夜、余は、そこなゴコウとともに、ゼッカの試験に立ち会うておるのだ。ゆえに余は、とうにゼッカを見知っておるのよ。その力量もな」

「な、なんですと……!」

「いや、本当に、凄いものであったぞ? なにせゼッカは、余の不意打ちの初太刀を、事もなげに受け止めおったのだ」


 ナナが楽しげに語ると、たちまち閣内にざわめきが生じた。


「しゅ、主上の剣を……?」

「一閃、千騎を薙ぐ、あの剛剣をっ?」

「剣聖の初太刀を受けたと……!」


 居並ぶ家臣団の顔色から、一気に血の気が失せてゆく。

 その様子を、ナナはしばし、さもおかしげに眺めおろしていたが、やがて壇上に威儀を正して、鋭い眼光を諸臣へ投げかけた。


「……さて、これで証明も済んだであろう。皆、さわぐをやめよ」


 冷ややかな声で告げられるや、重臣随員、みな水を打ったように、ひたと押し黙った。

 いきなり、気さくな町娘のように、明るく笑ったかと思えば、たちまち冷徹な国主へと立ち返る。


 この切り替えの早さも、ナナの為政者たる天性のなせるわざであろうと……ゼッカはナナを見つめながら、なんとなく、そんなことを感じていた。






 ひとしきり騒ぎがおさまると、ようやく、予定の式典が再開された。

 まず、妖獣討伐の褒賞が、ゼッカに与えられた。


 居並ぶ重臣高官らの注視するなか、国主じきじきの「お言葉」を、ゼッカに賜るというものである。


「ゼッカよ。焔熊(ほむらぐま)の討伐、大儀であった。民に害なす怪異を討つべく、今後も、力を振るうてくれよ」


 およそ型どおりの賛辞をナナが述べ、ゼッカは「承りました」と、これも型通りに返事をした。

 このあたりのやりとりについては、あくまで形式に過ぎず、あらかじめゴコウから次第を教わっていたため、ゼッカも戸惑うことはなかった。


 続いて、報奨として、勘定方より、膨大な金品がゼッカへと贈られた。何百両という黄金の大判が、黒い箱に収められ、ゼッカに直接、手渡されたのである。

 箱からずしりと感じる重みに、ゼッカも少しばかり興奮していた。さほど金銀に執着があるわけでもないが、僻地で貧乏暮らしをしてきた身であればこそ。これでもう、一生食うには困らないだろうと――単純に喜んでいたのである。


 その横で、ゴコウも、ほっとしたような顔をしていた。


「ようやく、きさまに正当な報酬が渡ったな。それがしも、肩の荷が降りたというものだ」


 ゴコウとしては、まさにそのために、ゼッカをこの場まで引きずってきたようなものであった。

 僻地にゼッカを見出した者として、ゼッカへ正当な評価と正当な報酬をもたらすことが、ゴコウなりの筋の通し方であったのだろう。


「さて、ゼッカよ」


 黒箱を膝にかかえ、満足げなゼッカへ、あらためてナナが告げた。


「そちは昨夜、試験を終えて、正式な武士となった。だが、まだそちの名は、わがオウミの兵衛の簿に記されてはおらぬ」


 これも、ゴコウから、あらかじめ教わっている話だった。

 古来の律令によれば、武士は必ず家名を持たねばならない。


 ゼッカのように、庶人から武士となった例は、古今決して少なくないが、その場合、庶人はもともと家名を持たないため、律令に則り、新たな家名を設けることになる。

 そうしてはじめて、武士名簿に登録され、広く世間に武士と認知されるのである。


「そちが自分で新たな家を興したいなら、それもよい。……だがもし、そちが余に仕える気があるならば、余から、そちに由緒ある家名を授けてやることもできる」


 ようは、オウミへの仕官の打診である。

 君主から「由緒ある」家名を授かるということは、ただの命名ではなく、重臣のいずれかの家の養子となるか、もしくは既に廃された名家を再興させ、その家名を継ぐか、どちらかである。いずれの場合においても、家名に付随して、臣下として相応の位階勲爵をも同時に贈られることになる。


 ゴコウからは、この打診があった場合、なるべく受けるよう頼まれてはいたが――ゼッカは、あまり深く考えていなかった。

 オウミ王がいかなる人物か、それを見てから判断するも遅くない、と気楽に構えていたからである。


「どうする、ゼッカよ。余は、決して無理強いはせぬ。だが、余としても、そちにはオウミに留まってほしいと望んでおる」


 ナナは、つとめて優しく、しかし静かな熱を声に籠めて、ゼッカへ説いた。

 オウミは大国なればこそ、ゼッカへ様々な便宜や融通をはかってやることができる。家臣団も、既にゼッカの実力を見ている。今後決して、ゼッカを軽んじることはないであろう……。


「ええと……」


 ゼッカは、返答しようとして、言葉に詰まった。

 一応、予習していたはずの言葉遣いを、忘れてしまっていたからである。


 わざわざ説かれるまでもなかった。

 ゼッカは、ここでオウミ国王たるナナの姿をひと目見るや、すっかり気に入っていた。


 その上、ナナのほうからも、そう熱心に求めてくれるものなら、もはやゼッカの返答は決まったも同然であった。


「……つ、つしんで、お受け、いたし……ます」


 かろうじて、ゼッカがそう応えると。

 たちまち――ぱっ、とナナの顔に朱がさした。


「おお! 受けてくれるか!」


 心底から嬉しそうに、ナナは大きくうなずいてみせた。

 途端、閣内にどよめきが沸きあがった。


 新たな武士の誕生。新たな家臣の加入。それを祝い喜ぶ人々の声が、大閣を満たし響き渡ったのである。

 その声もまだ、おさまらぬうち――。


 ナナは、さらなる一言を、悠然とゼッカへ投げかけた。


「ゼッカよ。そちは今後、サワヤマを名乗るがよい」


 喜び騒いでいた諸臣が、ナナの告げる声に、全員いきなり凍り付いた。

 ……あらかじめ、「由緒ある家名」と、ナナは言っていた。


 サワヤマとは、ナナの家名であり、すなわち、オウミの王家である。

 由緒がある、どころの騒ぎではない。


 サワヤマ家は、武士の祖霊たるモノ・ノベ氏の直系四血族のひとつにあたり、ヒノモトにおいて十指のうちに入るほどの家格。名家のなかの名家であった。

 分家というなら、まだ理解もできよう。しかしサワヤマ姓を直接、ゼッカに与えるということは――。


「……主上。いくらなんでも、それは」


 筆頭家老たるサダノ・タダスケすら、常にないほど狼狽の態で、ナナの顔色をうかがった。

 ナナは、むしろ当然という顔をして、落ち着き払ってサダノに告げた。


「正式な祝言は、まだ先のこととなろう。だが、当面、形だけは先に整えて、内外に布令ておく。もう決めたことだ」

「は……その、つまり」


 サダノの額に、汗が滲んでいる。

 ナナは、ゼッカをサワヤマ家の養子に……すなわち、ナナの婿に。


 いずれ迎え取る、と。


「誰にも、否やはいわせぬぞ」


 そう、明言したのだった。




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