第四話「非日常の開幕」
非日常 その記念すべき一日目
「うぅん……?」
黒坂 康介の顔にカーテンの間から入り込んだ日差しが当たる。
その光で、康介は目を覚ました。
緑色のソファーの上で上半身を起こす。
あれ……? 俺は昨日……
自分の記憶を振り返ってみると、殺人鬼を目の前にして、転んだ瞬間までしか覚えていない。
それから自分はどうなったのか?
そもそも、香奈は?
あの殺人鬼は?
そんな事を考えながらも、とりあえず今は、状況判断をしようという結論に至った。
「此処は……?」
何処か、見覚えのある部屋。
テレビにソファー。
部屋の奥にはカウンター式のキッチン。
俺は……この場所を知っている……?
昔。小さい頃に……
「あ、おはよう。康介」
「ひゃい!?」
いきなり背後から声をかけられ、康介は身を震わせ、みっともない声を出す。
「あはは……驚かせちゃった?」
「え……な、何だ。香奈かぁ……って、昨日はあれからどうなったのさ!?」
無事だった幼馴染を見て、安心した康介だったが、先に、昨夜のその後が気になり、香奈の顔ギリギリまで近づいて、尋ねる。
「お、落ち着いて……順を追って、説明するから、ね?」
康介を落ち着かせ、自らもソファーに腰掛ける。
まぁ、香奈の鼓動は非常に早まっていたわけだが。
「まずは、昨日のその後から」
「うん」
そう言って、香奈は昨夜の出来事を「殺人鬼が死んだ」という事実を「倒した」に変えて、全て話した。
「で、気を失った康介を、私が私の家まで運んだの」
「そ、そうなんだ……ごめん。迷惑かけちゃって……」
落ち込む康介に対し、香奈は首を横に振る。
「それは私の台詞。元はと言えば、あの殺人鬼が悪いんだけど、康介を日常から突き放した原因は私だから……」
と、その台詞で、二人の脳内に「香奈の力を康介に分けた瞬間」が思い出される。
「………」
「………」
お互いに顔を真っ赤にしながら、俯く。
それから数分後
香奈は溜め息と同時に、康介に問う。
「それで、康介には話さなくちゃね……私の家系と私の全てを」
その一言で、場の空気が変わる。
康介も香奈も真面目な表情になる。
「私の家系は遠い昔から『吸血鬼』だったの。その血がずっと受け継がれて来てたんだけど……私の3代前から血が薄くなっちゃって……もう家系の人物の殆どは『人間』になりつつあったんだ……でも」
そこで、一旦、香奈は言葉を区切る。
「突然、私だけ『吸血鬼』の血が濃く、産まれてきてしまったの」
その言葉をただ、康介は聞くだけ。
「でも、不幸中の幸い……なのかな? 私は『人間』になれる能力を持った吸血鬼として産まれた。だから、普通の人間にも吸血鬼にもなれる生物になっちゃったんだ……」
「自分自身で、その事を認識してたせいか。康介に出会う前までは、誰も心から「友達」って呼べる存在が居なかったんだ……」
「それで、塞ぎこむようになっちゃって……寂しかった。お父さんもお母さんも、殆ど人間だもん。でも、私は「吸血鬼でもあるし、人間でもある、凄く中途半端な存在」なんだよ? 凄く悲しかった……」
「でも、そんなある時、康介に出会った。康介のお陰で、私は本当の「友達」が出来たし、塞ぎこむ事も無くなった。康介には本当に感謝してるんだ……」
「だからこそ、私の正体を康介に知られたくなかった。絶対に拒否されると思ったから! でも……でも、そんな私でも康介は受け入れてくれた! あの時は本当に嬉しかった!」
段々と、涙目になりながら、感情的に話す香奈。
そこで、康介は一言だけ述べる。
「大丈夫。香奈が俺の事を「本当の友人」と思ってくれているように、俺も香奈の事は大事に思ってるから」
笑顔で。
優しい笑顔で、それだけ告げた。
「うぅ……康介はやっぱり康介だよぉ!」
流石に昨夜とは違い、感情をコントロール出来たのか。
康介の胸には飛び込まず、右手で涙を拭う。
こんな感じで、二人の友情は更に深まった。
のだが……
「ところで……今日も学校じゃないの?」
「……あ」
一瞬の沈黙の後、二人はパニックに陥る。
「そ、そうだよ! 今日も学校だよ! は、早く準備しなくちゃ!」
「わわっ! 俺は一回、帰るね! 香奈! また後で!」
「あ、う、うん!」
その騒がしい中で、康介は急いで、香奈の自宅から飛び出していく。
「……はぁ。何か、良かったな……」
康介が去ったリビングのソファーの上で、香奈は静かに喜びを噛み締める。
自分が人間でないと、知った上での反応。
これは長年、悩んでいた香奈にとっては大きな進歩である。
「嬉しいななぁ……! ますます好きになっちゃった……!」
近くにあったクッションを抱きかかえ、クックッと笑う。
「昨日はキスもしちゃったし……あぁ! そういえば、しちゃったんだよね! 康介と!」
恥ずかしさと嬉しさのあまり、足をバタバタさせる。
と、そこで、一つの事実に気付く。
「あ……学校まで、まだまだ時間あるんだっけ……だから、事情を説明しようとか思ったのに……もぅ。康介は慌てんぼうだなぁ」
自分も慌てていたのだが、そんな事を忘れ、康介の慌てた表情を思い出し、またクックッと笑い始める。
「でも、私もそろそろ準備しようっと……あ……」
そう言って、香奈はシャワーを浴びに風呂場へと向かおうとする。
と、そこで、香奈の身体が大きく曲がる。
咄嗟にソファーの背もたれに捕まり、倒れこみはしなかった。
「あぅ……何でだろう……吸血鬼になってる間は全然平気だったのに……」
既に瞳の色が黒に戻っている香奈は、現在は人間になっている。
そんな香奈の調子は、非常に悪そうである。
「うっ……で、でも、康介を心配させる訳にはいかない……」
そう言って、自分の部屋と足を進める。
自分一人しか住んでいない家の中を。
同時刻
康介は自宅へと朝日の射す住宅街を走っていた。
まだ人気はなく、雀の鳴き声が冷たい空気に響くだけだ。
「そういえば……この辺りだったよね。昨日、俺が襲われた場所は」
走りながらも、そんな事を喋る余裕がある康介。
やはり、昨日、香奈の「吸血鬼」として力が働いてるようだ。
でも、朝なのに、何で吸血鬼の力が働くんだろう……?
そう不思議に思いながらも、康介は走る。
直後に、香奈に力を分けられた瞬間を思い出し、再び顔を赤くするのだが。
「うわ……恥ずかしい……」
その記憶を消し去るように猛ダッシュで駆ける。
何事も無かったかのように元通りになっている、昨夜の場所を。




