第十話「魂の意思に関係なく分裂した日」
暗黒が支配する時間。つまり夜
ガチャ……
屋上への扉を開けるのは、走ったために息を切らした康介。
走ってきた理由は、幼馴染が連れ去られたため。
何故、連れ去られたか?
それは、今に分かる。
「ようこそ。異なる者よ」
建設途中のビルの屋上。
赤い鉄骨が柱の延長線上に剥き出しで飛び出ている。
天井など、当然なく、落ちないようにと設置させる鉄柵などもない。
正真正銘の絶景が見渡せる場所。
其処に、ソイツは居た。
康介に背を向け、暗い街を見渡す様にして立っていた。
深い緑の色をした、肩にかかる程度の長さの髪。
数十本ほど、纏まった前髪が曲線を描いて自己主張をしている。
いわゆる「アホ毛」って奴だ。
漫画の博士が着るような白衣に身を包み、ソイツはゆっくりと振り返る。
赤い瞳が吸血鬼である事を語っている。
「私の名前は『リミー・ディジョン』 とっくにお気づきかもしれないが吸血鬼だ」
両手を肘の高さまで上げながら、リミーは康介に近づくために歩いて来る。
背後には香奈を攫った20代後半の男が、その香奈を抱えて立っていた。
「……貴方の目的は何ですか……」
香奈の無事に安堵の息を漏らしたかったが、この街を変な風にした張本人が目の前まで迫ってきていたために、睨みを崩さずに尋ねる。
「目的かね? 今の目的は……君の正体を知りたいだけだな」
康介と息がかかるぐらいまで接近したリミーは顔を康介の目の前に持ってくる。
普段の康介ならば、怯えてしまう所だが、香奈が攫われている手前、そんな事は出来ない。
「俺の……正体……?」
その聞きなれない言葉に、康介は首を傾げる。
無論。睨みは解いていない。
「そう。君の正体だよ」
顔を康介の顔から離し、リミーは語りだす。
「私は吸血鬼だ。同時に、私は“魂”を操れる吸血鬼である」
右手の人差し指を天に向かって刺し、リミーは説明を始める。
康介の「魂を操れる……?」と呟いた疑問など知った事ではないと思うように。
「私は自らの魂を“分裂”させ、他人の身体を乗っ取る事が出来るのだよ」
「もちろん。無条件で乗っ取れる訳ではない。乗っ取る際には、その身体の持ち主である魂と精神勝負を行うのだがね」
「だが、並みの人間の魂が私に勝てるハズがない。まぁ、こちらが負けても、「リミー・ディジョン」という吸血鬼が、この世界に存在する。という情報を渡してしまうだけなのだがね。当然。そうなった場合は、その人間を殺すが」
そう一気に語り、リミーは右手を下ろす。
そして一息。
「……それで、この街の人たちに違和感があったんだ……」
康介は少し前から感じていた“何か”の正体がリミーであった事を悟る。
と、リミーは腕を軽く上げ、再び話し出す。
「支配した人間は私の意のままに操作可能。だが、支配した人間の、それまで得た知識や情報、記憶を見る事は出来ない」
「だが、支配した後に“視認”した物は、私も視認出来るようになる」
「そうして……私の支配が効かなかった君達の情報を得た」
腕を下ろし、またも一息。
そして、康介に向かって指を差す。
「黒坂 康介。夢野 香奈。灰野 菊知 智樹 夢」
「この五人は、私の支配が効かなかったのだ!!」
ここで感情的になり、リミーの語りは止まる事を知らなくなる。
「灰野の三人は分かった。先ほどの貴様との会話でな。ダンピールだったとは。それでは、私が精神勝負で負けて当然だ。ダンピールとなった人間は、吸血鬼となる力に打ち勝った人間だからな」
「夢野 香奈。コイツは一度、私の支配を受けた。だが、その支配を逃れた! 何故か? これも分かった! コイツは極稀な「人間になれる吸血鬼」だからだ! 精神勝負で勝ったとしても、吸血鬼に戻っては支配からも逃れられよう! まぁ、完全には支配から脱してなかったため、体調が優れないようだがな」
これまた、謎が一つ解けた。
最近の香奈の調子が悪かったのは、リミーのせいだったのだ。
というか、殆ど、この吸血鬼のせいなんじゃない……?
とすら、康介は思えてきた。
「だが、だがしかし! 黒坂 康介! 貴様だけは分からないのだよ! 貴様は人間のハズだ! 夢野 香奈から吸血鬼の力の一部を貰おうが、その前から私の支配は効かなかった!! 十二年前も! 今もな!!」
「……………え?」
今、この吸血鬼はなんて言った……?
十二年前……?
それって…………
「あの忌々しい実験失敗の時だ! 私の魂分裂は“街”という名が付く場所ならば、何処までも分裂可能だが、それ以上の範囲にはどうやっても広がらない! だから、範囲を広げるための実験を行っていたというのに……人間どもの魂が暴走。どいつもこいつも、殺戮・破壊衝動に支配され、非常に醜い同士討ちを始めた!」
それ……じゃあ……
あの事件は……
「私はこの“核”となる魂が宿った身体が無事ならば、問題など無いのでな。さっさと逃げ、様子を見ていた。実に滑稽だったな。そして、幼かった貴様を見た」
「私は貴様に興味を持ったよ。何故、私の支配を受けなかったのか、とな。そして魂を分裂させ、支配しようと思った所に、あの灰野 菊知 智樹 夢がやって来た」
じゃあ……あの人は……
「当然。支配しようとした。が、私は精神勝負に敗北し、自分の存在を明かしてしまった。だが、幸いな事に、実験に失敗した私の魂は本来の力を持っておらず、精神勝負に敗北しても「吸血鬼が居る」という情報しか、あの三人に与えなかったようだ。実に僥倖」
「だが、頂けなかったのは、菊知が気絶した貴様を連れ、隣町に行ってしまった事だ。どうやら貴様を病院に運んだらしいな。お陰で、貴様の支配が出来なかった。だが、菊知の後を追い、私も隣町へ向かった。そこで力が戻るまで休んだ」
「この街は実に不思議でな。私の力もすぐに戻った。そして、私はこの街を支配した。当然、夢野 香奈も支配した……が、貴様だけは、貴様だけは支配出来なかった!!」
「何故だ!? 何故なんだ!! 黒坂 康介!! 貴様は一体、何m「あぁぁ……うぁ……」の……」
康介に指を差し、熱心に語り、我を、辺りを忘れていたリミーだったが、康介の怯えぶりを見て、冷静さを取り戻す。
「そうだったな。貴様は、あの事件で絶対的なトラウマを抱えていたんだったな。その張本人が、今、目の前に居るとなれば、怯えもするさ」
「フッ」と鼻で笑い、康介を見下すリミー。
康介は腰を抜かしてしまい、立ち上がる事も容易に出来なくなっていた。
「あぅ……うあ……あ……」
康介の脳内に呼び戻される、あの時の記憶。
血が大地を。空を。木々を。街を。人を。そして康介を覆っていた。
それを引き起こしたのは、灰野 菊知だとばかり思っていた。
だが、実際は違った。
目の前に居る「リミー・ディジョン」こそが元凶だったのだ。
しかも、単なる「実験」のためだけに、引き起こされた事件。
「恐いかね? 恐ろしいかね? 怯えるかね? 実に滑稽。本当に愚か。人間はこれだから嫌いだ。早く全人類を支配し、私の安息の地を作りたいものだ」
安息の地を得る。
何気ない一言だが、これこそが「リミー・ディジョン」の目的。
全人類を支配し、安全を確保する。
それだけのために、リミーは実験を繰り返してきたのだった。
と、そこでリミーは誰かと話すように喋り始める。
「そうだな。こちらも大方、片付きそうだ。良いだろう」と
康介は、そんなリミーの言葉にも反応出来ない。
「どうやら、下も面白くなってきたようだな……おっと」
またリミーは一人で喋り始める。
「本来ならば拳銃がベストだが……生憎、警官は最下層でな。我慢してくれ」
それだけ言い、リミーの意識は再び、康介の方に向く。
が、当の康介は俯いたまま、身体を震わせるだけ。
「……下らない。いつまでもそうしてるが良い。私は先に、夢野 香奈の始末でもしよう」
そう言って、リミーは康介から離れ、香奈を抱きかかえている男の下へ向かう。
「え……?」
ここで、ようやく康介が反応を示す。
ピクッと身体を動かし、頭を上げる。
「今……なんて言った……?」
恐怖で全身を支配されたためか、康介は腰を抜かしたままで聞く。
「夢野 香奈を始末するのだよ。私の存在を知られたからな。その後は君だ。後は、灰野の三人もだな。本当は、下に居る殺人鬼に頼みたいのだが……奴の実力では不可能だろう」
そうして、リミーは男から香奈を奪い、抱きかかえる。
「そ……んな……」
康介は身体を小刻みに揺らしつつも、立ち上がる。
そんな康介を見て、リミーは不思議に思う。
「何故、立ち上がる? あぁ。逃げるためか。醜い人間には相応しい行動だ。だが、無駄だな。この街の住人は私の支配下にある。逃げられるわk「事は……させない」……何?」
「そんな事は……させない……って、言ったんだ……!」
康介が立ち上がり、一歩一歩、リミーに向かって歩き出す。
「先ほどまで震える事しか出来なかった人間風情が何を言う」
リミーの言葉が言い終わると同時に、リミーに香奈を渡した20代後半の男性が、康介に殴りかかる。
「うぐっ!」
無防備な康介に加えられる腹部への一撃。
康介は膝を付き、腹部を右手で押さえる。
そこに男の追撃、頭部への肘撃ちが襲い掛かる。
「やはり人間か……む?」
康介の身体能力が人間並みである事を確認したリミーの下に、再び下からの応答が求められる。
「先ほど、黒坂 康介に話したばかりだ。二度も同じ事を言うのは面倒だ」とだけ返事をし、リミーの意識は殴られ続ける康介に向けられる。
「ぐ……くぅ……!」
亀のように身体を縮め、攻撃から身を守っている康介は、リミーから見たら滑稽以外の何者でもなかった。
「滑稽。では、そろそろ夢野 香奈を突き落とすか……」
リミーは夢野 香奈を右手一本で肩を抱くように持つ。
右腕を香奈から離せば、香奈は背中から自動的に落ちていくようにしながら。
そうした後で、リミーは溜め息を吐く。
「やはり……ダンピールだけある……」
「気絶させる気か。良いだろう」と呟き、その数十秒後には「やるな……総攻撃でお相手しよう」と返事をせざるを得ない状況に、下がなっている事を把握した。
その間にも、康介は一方的な暴力を受け続けていた。
香奈を助けたい気持ちもあるが、一方ではリミーに対する恐怖も残っている。
いや、どちらかというと、未だに恐怖の方が強い。
そのため、身体が動かない。
現在、受け続けている暴力よりも、リミーの恐怖の方は大きい。
香奈……香奈、香奈……!!
心の中でそう叫ぶが、香奈には聞こえない。
そこで香奈の方を見ようと頭を上げる。
すると、リミーが香奈を落とそうとする恰好でこちらを見ていた。
康介がこちらを見ている事に気付いたリミーは顔をニヤつかせる。
その時
まずは康介を殴っていた男が吹き飛んだ。
屋上へと続く扉の中へと吹っ飛んでいき、その勢いで開けっ放しだった扉が閉まる。
幸い、階段付近には壁が設置してあったために、男は落ちずに済んだ。
妙な作りである。
次に白くなった。
康介の身体が。
全身から白い光を放ち、全身にあった傷を癒し、オーラとも取れるエフェクトを放ちながら、康介は立ち上がった。
その目は確実にリミーを睨みつけていた。
意味不明。
理解不能。
何がなんだか、理解出来ない。
私は科学者だ。
何故、理解出来ない。
理解したくない。
したくない?
訳が分からない。
もはや私の手に負えない。
不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明不能不明
「「「「「「「「「「「「「「「「「ハァァァァァァァァァァァァッッッッッ!!!??」」」」」」」」」」」」」」」」
そこで、あの絶叫が放たれた。
「香奈を離せ。吸血鬼」
康介が、そう話す。
その威圧感。全てを圧倒する勢い。
だが、静かな勢いであった。
「ぐっ……くぅ……」
僅か一瞬で立場逆転。
いや、何故、立場が逆転している……?
何も変わっていない……!!
アイツは白くなっただけ! そう! 白くなっただけだ!!
これで支配が効かない理由も分かった!
白いからだ! 白いから効かないんだ! いや、人間じゃないからだ!
あぁ。納得! 納得だ!!
だが……だが、何だ!?
この敗北感は……!!
大丈夫だ……!!
夢野 香奈がこちらに居る限りは、私は絶対大丈夫だ……!!
心の中で混乱を沈めさせ、リミーは言う。
「い、嫌だと……言ったら……?」
格下と見下していた相手に対し、言葉を噛んでしまった事を、リミーは後悔した。
しかし、今はそんな場合ではない。
「お前を倒す」
決意の篭った目で、康介はリミーを睨む。
ずっと睨み続ける。
もう康介のトラウマは消え失せていた。
今の康介を支配しているのは「香奈を助ける」という気持ちのみ。
「こ……の……」
何か言おうとしても言えない。
喋りたいのに喋れない。
下手な事を言ったら、確実に倒される。
そんな不確かだが何処か現実味を帯びている不安に駆られるリミー。
そんな時、リミーの背後……下の方から声が聞こえてきた。
「こぉぉ……まぁぁ……! 死……! る……ー……! こー……台……の仲……絶命……だね〜……!」
「ぬ……?」
聞いた事のある声に首だけを僅かに振り返らせようとした。
その時。
下方から飛んできた鉄骨が、リミーの腹部を貫いた。
「ギッ……!!」
声にならない声をあげ、仰向けに倒れていくリミー。
そうなれば当然、背後は重力の流れに沿って、落ちていく訳で。
もちろん。リミーに支えられていた香奈も。
「ッ……香奈ッ!!」
走り出した康介は、落ちる事も構わずに、床を蹴り、外へと飛ぶ。
そして、香奈を抱きしめ、共に落ちていく。
地面が近づいてくる。
このままでは二人とも地面に激突し、潰れたトマトのような惨状を曝してしまうだろう。
「香奈……」
康介は腕の中で、今も気絶している香奈の顔を見つめ、ギュッと抱きしめる。
そして、左手の平を地面に向ける。
本当にそれだけ。
本当にそれだけなのに。
地面にぶつかる直前に、康介たちは一瞬、止まった。
それから地面に着いた。
勢いづいた衝撃は、空中で止まった際に全てリセットされ、その後、再び生まれた衝撃では、人は殺せなかった。
むしろ水晶玉さえも割れはしないだろう。
そして、康介と香奈は地面に着地した。
だが、さすがに左腕一本では、直立不動など出来ず、康介は背から地面に倒れこむ。
腕の中の香奈が傷つかないように。
「ふぅ……」
軽く一息。
天を仰ぎ見る。
気がつけば、輝いていた星と月は徐々に姿を薄めていた。
側には香奈の顔。
一応は、解決……かな?
二日ほど続いた康介の非日常は、とりあえずの形で、終幕を迎えようとしていた……




