其の四 我が家の会話は非常にめんどくさいです、領主様。【前編】
我が家のことをご紹介します。
私の家は普通の家とちょっと変わっています。
学び舎経営のこともそうですし、神社生まれもそうですし、忍者の家系もそうですし、居候もまたしかり。
私の両親はいつも家に居ません。
何か月も顔を見ないことも日常茶飯事です。
何をしているかと言いますと……実のところ、私もよく分かっていません。
分かっているのは常に朱雀国内や他国のどこかに居るということだけです。
手紙はよく送ってきてくれます。
父はマメではありませんが、母はよく送ってきてくれます。
この前の手紙には二人で玄武国に居たそうです。
なぜかよく分かりませんが、お土産に『領主様そっくりの古狸像』を特殊配達で送ってきてくれました。
正直嬉しくないです。
狛犬の横に設置されていますが、神社がよく分からないものになりつつあります。
狛犬さんも信者さんもとても困惑しています。
それはさておき。
私はこの神社で祖父母とともに暮らしています。
居候のことは嫌いなので割愛です。
祖父母は忍者を引退して、今は近所の子供たちに学問を教えることや神社を経営することを主として生活しています。
引退時には領主様からいっぱい退職金をもらったそうですが、どこに埋蔵したのかは不明です。
我が家の金銭事情については横に置くとして。
我が家はとても平和です。
ただ一つだけ問題があるとすれば、それは家族間での会話だと思います。
先にも述べました通り、我が家系とその一族は裏稼業として忍者をしています。
もちろん親戚と話す時も非常に面倒です。
いちいち忍んで話さなければなりません。
それが我が家系とその一族の“しきたり”なんだそうです。
はぁ。めんどくさい。
なんか、こう、もっと、言葉を忍術で飛ばして気楽で簡単に意思疎通できないものなんでしょうか。
平賀源内辺りが発明してくれないかなぁ……。
縁側の廊下の窓から、私は青いお空を見つめてそんな遠い未来を想像しながら溜め息をこぼしました。
これから私は非常にめんどくさい家族会話をしなければならなくなりました。
さきほど居候──虎之介から受けた伝言。
お祖父さんが私を呼んでいるそうです。
だから今、こうして本堂──神社の中に居ます。
ちなみに学び舎は離れ道場で行われており、教鞭は祖母がしています。
信者さんたちも午後から集まりますし、祖父の暇さ加減が伺えます。
──というわけで。
私はこれから祖父の居る部屋へ行って参ります。
祖父の部屋までの道のりは至って単純です。
本堂勝手口から台所を通って居間に通り抜けて縁側の廊下を程よく歩いて辿り着きます。
道のりは単純です。
大変なのはここからです。
祖父も祖母も、躾や素行にはとても厳格な方です。
忍者という仕事柄でもありますし、何より領主様やお侍さんとも接点を持たなければなりません。
だから先祖代々より幼少期から厳しい指導が行われます。
品行方正な態度でなければ裏稼業が成り立っていかなくなるからです。
そういうわけで。
私はいつも通りに襖をすぐには開けず、襖のすぐ傍で辺りを警戒気味に見回した後に腰を落として片足を立て、声を落として祖父に呼びかけます。
「朱夏、只今参上仕りました。お呼びでしょうか、お祖父様」
部屋の中から祖父が言います。
「お前が本当に朱夏なのか怪しい。合言葉を言うが良い」
(ほら、来たやっぱり……)
私は面倒くさく顔をしかめます。
こんなのはまだ日常茶飯事の始まりに過ぎません。
ほんの少し間を置いていると、部屋の中から痺れを切らした祖父が言ってきます。
「本当に“可愛い可愛い我が孫の朱夏”であるならば合言葉が言えるはずじゃ」
(あーはいはい。言います、言いますとも)
私はいつものように短く端的に答えます。
「山」
部屋の中から祖父が答えてきます。
「川」
私はその言葉に続けます。
「谷」
「千葉」
「滋賀」
「佐賀」
「NIPPONの首都は?」
「千葉滋賀佐賀」
「いつも心に」
「千葉滋賀佐賀」
「……ふむ。どうやら本物の“可愛い我が孫の朱夏”のようじゃ。入るが良い」
「……」
正直、もういいかげんその言い方やめてほしい。
私は祖父の言葉通りに襖をほんの少し開けて顔を覗かせる。
部屋の最奥に背中向きで座る祖父の姿。
元上忍とあってか隙も無く、それでいて背中なのにそれだけでも威厳を感じる。
私は襖をさらに開けて、ほんのわずか部屋に体を入れる。
「お祖父様。私をお呼びでしょうか?」
「……」
返事がない。
たまに以前、背中越しで会話をしてくることもあった。
そのまた以前には服を前後逆に着て会話してくることもあった。
祖父の頭には髪がない。
つんつるぴかぴか照る坊主。
故にどちらが前で後ろなのかと幼少期には真剣に悩んだ日もあった。
慣れた今ではそんな些細なことはもうどうでもいい。
私は会話を続ける。
「虎之介の伝言を聞きました。私をお呼びでしょうか?」
「……」
返事なし。
これは厄介だ。
私はしばらく悩んだ挙句、暴挙に出ることにした。
「失礼します」
一言断りを入れてから、祖父の傍に近づく。
その途中。
戸棚からはみ出ている『エロい女体本』を見かけたが、今はそっとしておこう。(祖母へ通告予定)
私は祖父の背に手を当てると声をかけようとした。
──気付く!
「こ、これはッ!」