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ガネット  作者: ワイト
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一夜 銀の狐、緋の瞳



人の形を保ち、獣の力を得た種族-獣人ビースト-

その身体には能力を意味するような身体的特徴を持つものが数多存在する。

翼を持つ者は空を舞い、獣の尾や耳を持つ者はバランス感覚や聴覚が鋭いという。

そして此処にも、黒猫の耳と尾を持つ一人の青年が佇んでいた。

夜風にも良く似た暗く冷たい瞳の青年が。


   △▽△▽△


獣人のみが住まう世界 -コク- の片隅に存在する国【天羽テンハ】は、治安が必ずしも良いとは言えない国である。

儲け話も多く、きらびやかな一面もあるが、光りの強い処には同じくらい闇が在るものなのだ。

隙を見せれば、深みに沈めば、二度と目を覚ませなくなる。そんな国だ。

「…っ、くし…ぅぅ…」

その国の宵闇に紛れ、一つ嚔を落とす黒猫の獣人がそこにいた。

無月ムツキ菖蒲アヤメ。其れが飄々とした態度で、身震いと供に嚔を落とした黒猫の名である。

現在時刻は深夜二時を周り、晩秋の夜風は身体に染みる。

無月の仕事は情報屋兼掃除屋の為、仕事がら恨みを買うことが多く、暗闇の濃い深夜は特に狙われやすい。

急いで自宅のアパートに帰り、疲れた身体を休めたいと思いを馳せる。

「ふぁぁ…ねむ…ん?」

欠伸を噛み殺し前方の細い路地に歩みを進めていくと、街灯の付近に女性の人影が見えた。

こんな深夜に、女性が一人で暗い夜道を歩くのは些か危険だろう。

元々治安の良くない国なので、それなりに護身の心得の一つや二つくらいは有るのかもしれないが、それでも何が起こるかわからないのが世の中というものだ。

「…お姉さん、こんな時間にこんな所で彷徨いてたら危ないよ?」

距離を詰め近づくと、彼女は無月に気づき此方を振り向いた。

街灯と月明かりの下で見えた彼女の容姿は、なかなか魅力的だった。

灰色の狼らしい艶めいた美しい毛並みの耳と、長い尾。長いストレートの髪も彼女の毛並みと同じ綺麗な灰色である。

そんな彼女が無月を見つめる瞳は。

アカい…、瞳…?」

無月の住む世界【刻】で、紅い瞳の獣人は珍しい。

金、銀、黒、緑等々、瞳の色は多種多様な獣人の世界だが、無月の情報でも紅は聞いたことも見たこともなかった。

呆然と見つめていると、彼女はゆるりと距離を詰めてきた。

嫌な予感がする。

掃除屋という血生臭い仕事を続けている無月の勘が、早くその場を逃げろと警鐘を鳴らす。しかし、動揺とその瞳の美しさに、身体が硬直したまま動けずにいた。

「っ…、くっ…」

何か、どうにか動かなくては。

ようやく強い意思によって指先が小さく動いたのと、彼女が無月の右肩に触れたのはほぼ同時だった。

「…っ、…はっ…」

素早く後ろに後退する際、彼女の鋭い爪が無月の肩を深々と抉った。

「オニイサン…、ナゼ、ニゲルノ?」

爪に絡む血肉を美味しそうに舐め、魅惑的な狼が微笑んだ。

「俺もお姉さんみたいな美人さんは嫌いじゃないけど、生憎痛みの伴うプレイは好みじゃないんだ…」

肩の出血は、直ぐに手当てをすれば問題ないだろう。

だが、彼女の様子はどう見ても正気ではない。

(さぁて、どうしたものかな)

痛みには慣れているが傷が深い。右腕は諦めるしかなさそうだ。

それだけでも厄介だというのに彼女はたぶん、無月の掃除リストに載ってはいないだろう。

何故なら現在手帳の掃除リストにあるのは、どれも男なのだから。

後々面倒事にならないようにするには、生かして倒すのがセオリーだ。

しかしそれは、それが可能な場合を指しているわけで、彼女はそこから逸脱している。

(面倒くさいのは嫌だけど、今回は仕方がないよな)

女性の命を奪うのは気が進まないが、こちらも死に急ぐ気はさらさらない。

両腰に着けているホルスターから、手慣れた手つきで左手でナイフを取る。

ナイフの刃渡りは十センチ弱。シンプルだが銀製の扱いやすいデザイン。

「こんな路地で長々過ごして風邪なんか引きたくないし、折角のお誘いだけどさっさと終わらせてもらうよ!」

全速力で彼女の横をすり抜け、交わる寸前に首筋を狙ってナイフを切りつける。

「オニイサン、オニイサン、ヒドイワ…。ワタシ、オニイサントモットアソビタイノニ…」

狼らしい素早さで彼女はナイフを僅かに避けた。

しかし完全にはかわしきれなかったのだろう。

首筋から赤い鮮血が散り、花吹雪のような滴が無月の右肩にも落ちた。

だが鮮血を浴びることなど日常的な事の一つでしかない。

「そろそろお別れだね」

彼女の足元には浅い血溜まりが出来ていた。放っておけば勝手に命を落とすだろう。

だが異質な人物を前に油断するほど、無月も馬鹿ではない。

完全に息の根を止める。それが必然だと本能から伝わる。

舗装されたアスファルトの地面を蹴り、彼女に止めを刺そうとしたその時。無月の身体に異変が起きた。

「…っ?…な、…」

体内を循環する血液が沸騰するように熱い。鼓動が激しく乱れて、まともに息が出来ない。

頭の中が痺れて、身体が何かを求めていく…。

「っ…は、ぁ…。…ぐ…ゥ…」

目の前の血濡れた彼女を切りつけるどころか、立っているのも難しい。

今日の仕事で大きな怪我はしていなかった。

体調も特に悪くはなく、そもそも普段から病気らしいものになる事もほぼない。

思い当たるのは彼女から舞い散り、無月の肩に溶けた数滴の鮮血。

「…怖い、お姉サん…だナ…っ…」

忌々しげに見つめる先にいる狼は、既に事切れたように赤い血溜まりのなか、綺麗な身体を浸していた。

生かしておけば、何か情報を得られたかもしれない。

致命傷を負わせてしまった事を後悔した。

「はっ、ァ…ゥ」

脳内を支配していく殺戮欲求。それらを抑えようとする僅かな理性。

今ならば彼女のあの行動も理解出来る。

どうすれば良い。自ら自身の命を絶とうにも、本能がそれを許さない。

ふらつく身体を路地の塀に預けていると、無月が歩いてきた方角から一人の男の影が見えた。

「あーあ、派手に殺ったな。まぁ、手間が省けて助かったけどさ」

現れたのは白銀の狐だった。

月明かりが、初雪を思わせる狐の耳と尾をダイヤモンドダストのように輝かせ、それは彼の銀髪へと散り艶めいていく。

本能との戦いを強いられていた無月の心はその獣へと一瞬思考が捕らわれていたため、本能の暴走が進んでしまったようだ。

無月の心を蝕むのは、目の前の獣を切り裂き、その血を命を味わう。それが全てとなり、理性は悲鳴を上げ、砕かれた。

「オニイ…サン。オレト、アソ、ボウ…」

確実に距離を詰める狐の男へ、自身の声とは思えない、片言の言葉を注ぐ。

「あれ?何だよ、お姉ちゃんと派手に遊んで興奮させられちゃったのか?」

苦笑を滲ませる割に、面倒とは思っていない素振りの彼の首を目掛け、無月の持つナイフが唸る。

熱い、燃えるような熱い身体が、狐の細く色白な首を切り裂こうと肉薄した。

本能のまま動く事で、無月の五感はより研ぎ澄まされ、外すわけがない。そう思っていたのだが…。

「気持ちはありがたいが、俺は男を満足させる趣味はねぇな」

捉えたと思った同時に狐は身体を捻り、あっさりとナイフを避けてしまう。

「つうか、他のやつと楽しんだばっかのモノで、他の奴とやろうとするのってマナー違反だろう?」

そう、無月が切りつけたナイフには、先ほど息絶えた彼女の血液で赤く濡れていた。

「こんなお粗末なモノで、俺は誘われないぜ?」

無月の引くナイフを狐は、容易く白い手袋を着けた右手の指先で奪い取る。

白い手袋は見た目こそただの布手袋だが、何か撥水加工でもしているのだろうか。

ナイフの血が滲むことはなく、変わらず白さを保っていた。

「さて、それじゃ今度はこっちから行くとするか」

狐は自身の白衣と黒のワイシャツを風にたなびかせ、腰元から一振りの刀を抜き取る。

鈍く輝く黒の刀身は彼の銀髪と対称的で、どこか幻想的とすら思わせた。

「ッ…ァア、ハヤ…ク、アソボウ?」

幻想との斬りあいなど一人遊びにすら思えそうだが、彼の、狐の、黄金コガネ色の瞳がそれを現実だと突きつける。

無月の内に秘められた、獣の本能を呼び起こすには充分なものだった。

予備のナイフを片手に、無月は再び跳躍を織り混ぜ距離を詰める。

狙うはその彼の心臓一つ。

首は狙いやすいが、そのぶん連続で狙うとかわされやすい。

そのため致死率が高く、それでいてナイフで仕留めやすい心臓へと狙いを変更したのだ。

今度こそ仕留めた!黒猫が妖艶に笑う。

「甘いな」

狐の内に入った瞬間、無月の左腰から血飛沫が舞った。

「…エ?…ァ」

無月のナイフは空を斬り、目の前の男には届かない。

熱をも焦がすような苦痛、力が抜けていく身体。灰色のワイシャツは無月の赤い血液で侵食されていく。

「ようやく落ち着いたか、黒猫君?」

距離を置いて地に足を着いた無月へ、狐は柔らかな笑みを浮かべ距離を詰める。

まずい、このままでは殺されてしまう。

霞む視界に鞭を打つよう狐を睨み付けるが、血を流しすぎたためだろうか。ナイフを持つ手に力が入らない。

自分はこのまま死んでしまうのだろうか。

わけもわからないまま、命を狩られるのだろうか。

だが不意にとった目の前の男の行動に無月は驚きを覚える。彼は刀を一振りし、絡みつく鮮血を払うとそれを鞘に納めたのだ。

薄れ行く意識の中困惑を滲ませ、狐を見る。

「それじゃここからが本題だ」

狐の手元には小さな刀。俗に言う小太刀のような物と、一本の小瓶。

それらを持ち無月に迫る。

もうナイフを持つ力も、起き上がる気力もない。

「さぁ、今日は上手くいくかな?死にかけだから暴れる事はないと思うんだけど」

暴れる?何を言っているのだろう。薄暗い闇が視界に溶け、もはや痛覚も消えた。

近くからは小さな水音。先ほどの小瓶に入っていた紅い液体だろうか。

しかし今の無月にとってそんなことはどうでも良い。

冷えた身体は死への通り道。先ほどの甘い痺れもいずれ消え行くのだろう。

不意に首筋に金属の触れる感触があった。あの小太刀で斬りつけられたのだろうか。

深い深い闇のなか、狐の声が聴こえた気がした。

「…ら……な。………こ…だ……」

何も感じない。何も見えない。

深い眠りに落ちた無月に、最後に触れた柔らかな感触は何だったのだろうか。

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