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8 再会

 梅山にはああ言ったが、実は屋上に入れないこともないのだ。

 昼休みの時間ならどうしようもないが、放課後なら屋上に入ることが許される部活があった。


 それは天体観測を主題とする天文部である。


 一年生の頃に一時期天文部の部員だったこともあり、夜空の天体観測と称して顧問の先生から屋上に入るのを許可されることを知っていた俺は、ダメ元で現在の部長に屋上に入れないかと頼んでみたところ、何と人の好い部長はジュース一本の驕りで屋上の鍵を貸してくれた。


 これ幸いと部長にオマケでもう一本ジュースをつけて渡し、屋上に訪れる。

 放課後なのですでに帰っている可能性も高いが、その時はその時だ。


 最初からすでに鍵が外れている扉を不審に感じながらも開けると――いた。


 屋上に一つだけあるベンチに座って夕空を見上げる少女。


 俺が屋上に入って来たのにも気に留めずに、目を細めて東の空を眺めているので、その視線を追うと、薄赤の空を昇る夏の大三角形があった。


「……みんなはさ。ずっと星なんか見ていて飽きないの? っていうけどさ。彼らはきっと世の中のしがらみに追われ過ぎて「何もしない楽しさ」を忘れているのだろうね」


 昨日と同じ夕暮れの世界で唐突に語りだす少女。


 その視線は未だ夕空に囚われている。


「星を見ることが楽しいわけじゃない。もちろん、それが楽しいと言う人もいるけど。ボクの場合は違う。

 少しずつ動き続ける星空の様子を、眺めている自分自身を楽しんでいるのさ。

 夜という膨大な時間を、星を眺めることのみに費やすその無意味さがいいんだよね。

 この時に他のことを考えてはいけない。世事の煩わしさから逃れるためにやっているのに、あえて考える必要はないのだから」


 ようやく少女が空から目線を切り、俺と目を合わせる。

 琥珀色の瞳が俺の内心を覗き見しているような、そんな居心地の悪さを感じて、反射的に視線を逸らす。


「……朧月夜。で、いいんだよな?」

「うん。昨日ぶりだね」


 北連高校の制服を着て、気怠そうにベンチにもたれ掛るその姿。

 間違いなくトラックに轢かれそうになった俺を、引っ張って助けてくれた少女その人だ。


 本当にうちの高校の学生だったのか。


「傘。返しに来たよ。雨は結局降らなかったけど」


 僅かに咎めるような口調で呟き、俺はショルダーバッグから取り出した花柄の傘を取り出す。


 月夜はクスリと笑い、手渡した傘を受け取った。


「雨はきっと降ったんだよ、貴方の知らないうちに。――その様子だと、ちゃんと役に立ったみたいだね。ボクの見立ては正しかったみたい」


 よくわからない台詞を言って傘を仕舞う月夜。


「……昨日に比べて上機嫌だな」

「あの時はちょっと急いでいたからね。多少雑な態度だったのは許して」

「いや、別に謝る必要はないよ」


 許すも何も、命の恩人に文句なんて言い様がない。別に雨が降る降らないなど、どうでもいいのだ。月夜は善意で貸してくれたに違いないのだから。


「星を見る為に屋上に来たのか?」

「まぁね。授業を受けるのも面倒だから朝からここに居たけどさ」

「……鍵のかかった扉はどうした? 普段から解放されているはずじゃないが」

「鍵をちょっとくすねて、開けて、すぐ戻してきた。それだけだけど?」


 想像以上に大胆な奴らしい。

 度胸があるのはいいことだが、やっていることは泥棒なのだから笑い事では済まないのだが。


「……帰る時は俺が鍵を閉める。先生には黙っていてあげるから、次はこんなことするなよ。校則違反だぞ一応」

「善処すると思う」

「と思う、って……」

「ボクってその場の気分で動くから」


 反省の色を全く見せないなこいつは。


 命の恩人だから強気に注意出来ないけど、まさかここまで不良的な少女だったとは。

 いや、どちらかというと社会に縛られないマイペースさと言うべきか。

 規則を破るのは頂けないが、俺とは真逆のタイプでちょっと新鮮な気分だ。


「――貴方は星空を眺めたりする?」


 唐突に東の空を指さす月夜に、躊躇いながらも肯定する。


「星は嫌いじゃない。じ、実は天体観測が趣味だったりするから、晴れていて気分が乗ったら、家のベランダから望遠鏡で空を観察したり……する」

「へぇ」


 人に言うと意外な趣味だと驚かれるので、明かすのは少し恥ずかしい。

 普段は大っぴらに言いふらしたりしないのだが、何故か月夜に対してはすんなりと喋ってしまった。

 月夜が最初に独白していた内容が、あまりに俺の考え方と似ていたので同族意識でも持ってしまったか。

 でもそれくらい先程のセリフは、俺の天体観測に関する価値観に響いたのだ。


「夜空を見ていたのか? この時期で有名なものだと夏の大三角形などだが」

「そう。まだ空が明るいからそれくらいしか見えないね。一等星のベガ、アルタイル、それから……、えーっと、なんだっけ?」

「デネブ?」

「そうそれ、ベガ、アルタイル、デネブの三星。七夕の織姫と彦星であるベガとアルタイルは覚えているけど、デネブって忘れやすいよね。冬の大三角形に関しては全部わからないし」

「冬はシリウス、ベテルギウス、プロキオンの三つだな」

「おお、博識だ。やっぱり趣味と称するからにはそれくらい知って当然なのかな」


 感心した風に唸る月夜。

 そう言う彼女も「等星」という星の明るさを表す単位を知っているくらいには天体に詳しいのだろう。逆にそれを知っていて、何故デネブの名前が出なかったのか不思議だ。


「朧さんは星が好きなのか?」

「月夜」

「え?」

「朧って苗字の響き、あんまりよくないでしょ。名前は下の方で呼んで。それとさん付けもやめて。鬱陶しい」

「は、はい」


 感情の読めない淡々とした口調に押され、戸惑い気味に頷く。


「さっきも言っていたと思うけど、別に星自体が好きなわけじゃない。星空を眺めている瞬間が好きなの。星を見ている時は色々なことを忘れられる。疲れ切った心が洗い流される気がするから、何か失敗したり、不幸なことがあったり、そんな時に星空を望む。

 ――貴方も今夜あたり星を見てみたら? 忘れたいこと、あると思うよ?」


 小麦色の髪が夏の暖かい風に弄られるのも構わず、俺の瞳を覗き込む月夜。


 昨日、彼女は俺の失恋を察している風だった。

 ……もしかすると、傷心している俺を慰めてくれているのだろうか?


 そういえば、しばらく天体望遠鏡に触っていなかった気がする。この空模様なら今夜は晴れるだろうし、彼女の助言に従ってみるのも悪くない。


「そうさせてもらうよ」

「……うん、そうして」

「なんか、悪いな。気を遣わせてしまったみたいで」

「なんのこと? ボクは言いたいことを言っただけだよ」


 いい笑顔でとぼける月夜。

 マイペースな風に見えて、気配りや優しさのあるいい人だ。

 普通の女子は、色恋の話とくると相手の気も知らずがっつくイメージだが、月夜は事情には踏み込まずにフォローだけしてくれる。フォローの内容も俺的に的を得ていて助かる。


 粗暴な妹にも、是非とも見習ってほしい。


「――それと、屋上の戸締りをしたいんだが、もういいか?」

「いいよ。良い子は帰る時間だしね」


 よっこらせっ、と立ち上がった月夜は、思い出した風に「ああそういえば」と呟く。


「貴方の名前なんていうの? 教えて?」

「ああ、ごめん。名乗ってなかったな。俺の名前は武島天馬だ。武士の武に、海に浮かぶ島で武島。下は空飛ぶ馬という意味で天馬」

「うん、記憶した。天馬か。かっこいい名前だね」


 本気か、世辞なのかわからない月夜の言葉に苦笑する。


 小学校の時のあだ名が「ペガサス」だったこともあり、あまりいい思い入れのある名前ではないが、褒められると満更でもない気分になるのは不思議だ。


「でさ、天馬。昨日言っていたよね? 「助けてくれたお礼がしたい」って」

「言ったけど……」


 名前を聞くのは本題ではないらしく、月夜の話は続く。

 もしや、俺に頼みたいことがあるのか?


 そもそも、月夜に会いに来たのは傘を返すことと、命を助けてくれた「恩を返す」こと。俺に出来ることで、彼女の役に立つことがあるのなら是非とも力になりたい。


 お金はそんなに持っていないけど……。

 それとも力仕事だろうか? あるいは誰かを紹介してほしいとかか? 今までに三回ほど妹を紹介してくれと頼まれたこともあるが、全員男だったし、参考にはならないな。


「いきなりだけど聞いて欲しいことがあるんだ。ちょっとしたお願いだよ」

「な、なに?」


 緊張しながらも月夜の次の言葉を待つ俺に、「そんな身構えなくていい」と前置きして彼女は――


「不肖ながらこのボクと、結婚を前提にお付き合いしてくれないかな?」


 と、言った。


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