47 海
青く透き通った美しい海。
鼻を届く潮の香りに包まれながら、広げられたレジャーシートの上で寝っ転がってただ耳を澄ます。
ビーチに来たら、まず海の広大さと偉大さに思わず声を漏らす。次にサンダルの下から伝わる砂浜の柔らかさに驚く。そして独特の匂いと潮気の混じった風を全身で感じ入る。そのすべてが新鮮で心震わせ離さない。
俺の中をそれらの感動が通り過ぎていき、最後に残ったのは音だった。
波の音が、優しく耳を触る。
いつまでも、いつまでも。
それだけで体から力が抜けて、張り詰めていた精神が解けるよう。
照りつけ輝く太陽も、夏の燃え盛るような暑さも、その音を聞いているだけで遠い出来事のように感じる。
俺は目を瞑り、ただただ無言で微睡み続ける。
「ねぇ」
「……」
「ねぇ、アニキってば」
「……」
「聞いてる? さっさと起きてこっち向きなよ。ほら早く」
「…………何だよ」
かまってちゃんがしつこい。
雰囲気を壊したくないから狸寝入りしていたのに、遠慮することなく騒ぎ立てる妹のやがましさときたら、五月蠅すぎて波の音が聞こえやしない。
仕方なく体を起こして目をしばたたくと、目の前には水着姿の天音が。
藍色一色で揃えたクロスデザインのビキニを身に纏い、スレンダーながらも出るところは適度に出て引き締まった健康的な肢体を誇示。その肌と髪に塗れて滲む汗が、さらに麗容さを際立たせている。
自分をより良く見せるための洗練された立ち居振る舞いは、モデルもかくやと言ったところ。
己の魅力を余すとこなく理解しているからこそ、それらを意識して表に出すことができる点は流石。凡人なら羞恥心が先行して動きが固くなるところだが、自負の固まりである天音にそれはない。
自信あふれた笑みを浮かべた天音は、それで、と唇を震わす。
「どう? 私の姿を見て何か言いたいことない?」
「……言うこと?」
「私の水着を見るのだって初めてだろうし、胸の内に浮かんだ感想の1つや2つあるでしょ。ほら、存分に絶賛しなさい? 遠慮せずに」
自信満々な態度のまま両手を腰に手を当てて、仁王立ちする天音。
呆れながらその水着姿を半目で眺め、顎に手をやって片眉を上げる。
「あー。うん、いいスタイルと服選びのセンスしてるよ。普通にカッコいい」
「――なにその反応。そこは可愛いとか、エロいとか言って、舐めまわすような目をしながら興奮するところでしょ! あと「普通に」じゃなくて「最高に」に言い直して。私に失礼」
素直に褒めてやると、何故か不満そうな反応が返ってくる。
……何を期待していたのやら。
「嘘は言ってない。身内贔屓を差し引いた純粋な評価だ」
「アニキの目は節穴なんじゃないの?」
「かもな。天音の水着姿が並外れた上物であることは認めるから、それで納得してくれ。頼むよ」
「…………ふん。そうやって朧月夜のことも褒めるくせに」
「はあ? どーしてそうなる。別に俺が絶賛しようと酷評しようと、お前の見た目は変わらないのだろ。月夜のことを悪く言うのも自重しろよな」
ぐちぐちと文句を垂れる天音にピシャリと言い放ち、重い腰を上げて背筋を伸ばした俺は、他の皆はどうしてるかと思って周囲を見渡す。
右端から左端まで南国の島特有の美しい海と白い砂の浜があり、波旬島に訪れた数少ない観光客がまばらに散っている。
俺たちも綺麗な海を堪能できるビーチがあると聞いて、足を運んで来てみたわけだが、想像以上に人かいなくてビックリした。
ここと似たような有名なビーチならあたり一面人で埋まることを考えると、さながらプライベートビーチのような貸し切り状態に近い。このビーチだけでも、観光地としては評価が高いと思うのだが、年間観光客数が少ないのか不思議だ。
梅山と貝塚は少し離れたところで砂城を製作していた。
単なる砂遊びかと思ったら、大量の砂の山を集めて模型さながらの本格的なサンドアートに腐心していたようで、砂城はまだごく一部しか形になってないが、相当の熱意と創意工夫が盛り込まれているのが見て取れた。
砂場での創作は男の子の原点。思い出す子どもの頃の思い出。
あー……懐かしい。童心に返る。
「――俺も参加しようかな」
胸の内に湧き上がる衝動に、うずうずと手先が動いて全身が身震いする。
そんな俺の様子に、月夜が胡乱げな視線を向けてくる。
「あの子供の遊びに参加? ……さっきまで近くで見てたけど、ホントに地味でつまんない作業だったし、やめたほうがいいんじゃない? それに、来年には高校を卒業する身分なんだから、子供っぽいは卒業するべきでしょ」
「何と言われようと、男のロマンにけちはつかない」
「……はあ、馬鹿らしい」
ため息をつく天音を背にして、梅山たちの元へ足を踏み出す。
そこに――
「あれ、どこに行くの天馬? せっかく四季も連れてきたのに」
「ち、ちょっと。月夜さんひっぱ……、引っ張らないでくださいって……。お願いですから、聞いて……聞いてないですねわかります」
いつも通りの凛とした落ち着いた声と、気怠さが混じった焦りの強い声。
その二人の言葉に思わず振り向く。
「……!」
「えへへ。どうかなこれ。実は四季と一緒に選んだ水着なんだけど」
「あ、ああ。似合ってる……な」
月夜が着ていたのは、パステルカラーの薄黄色をまぶしたフレアビキニ。
フリフリが付いた可愛らしいデザインで、月夜の落ち着いた雰囲気を損なうことなく整った肢体を着飾っている。下にパレオと呼ばれる同色の腰布を巻いているのも、それに一役買っているのだろう。
こう言うのも恥ずかしいが……、体のラインが際立って露出の多い天音よりも、不思議と艶っぽい。
体つきは天音と似通っているのに、着る水着の違いでここまで差が出るのか。
「一緒に選んだって……。無理やり買い物に付き合わされただけなのに……」
「四季も背中に隠れてないで。ほら」
月夜に引っ張り出される四季もまた、水着の女子に変身していた。
トップスとボトムスが繋がっているワンピース水着で、学校の水泳などで女子が着るスク水と同じ形の見慣れたデザイン。
日焼けを嫌ってなのか、上からパーカーを羽織っているので露出は一番少ない。
――なのだが。正直、俺は3人の中で一番衝撃を受けた。
「――あれ、え……ええ!? マジか……、水着つけるとこうなるのか……!?」
息を呑む俺の反応に、四季が眉を顰めてムスッとした顔をする。
「……。……変に気を遣われるのもあれですが、それはそれでムカつく反応ですね。……何ですか?そんなに似合わないですか? ……いえいえ、言わなくてもわかってますよ。自分が醜いことくらい、自分がよくわかってますって」
「いやまて、そういう意味じゃない。その逆だ」
「はい?」
「天音と月夜には及ばないが、でも、想像以上に似合っていて可愛いぞお前」
予想してなかった答えなのか、目を丸くする四季。
俺も正直意外だった。四季は年中体力不足で不健康な生活の上、顔色も悪いものだから、体の方もガリガリに痩せこけた感じで、水着なんか来たらその貧相な痩身が浮き出て残念な感じになると思っていた。
――だが、いざ見てみたら普通にしっかりした体つき。
お肉が付くところには付いていて、キッチリとバランスの取れた立派な体だ。
「着痩せするタイプだったのか。うん、いいじゃないか」
「……! は、はあ。褒めてくれるのは有難いですが、お二方の前でそれはちょっと。それに、あまり見ないでください。……羞恥の感情くらいありますから」
らしくなく照れる四季。褒められるのに慣れてない様子。
しかし、こうして見ると、覇気のない瞳と酷い隈がなければ美人と言って相違ない整った外観をしている。素材は悪くないのだ。素材は……。
性格と生活習慣を改善さえできればモテるかもしれないのに、ホント勿体ない。
そんなことを思案しながら眺めていた俺だが、背中に突き刺さる妹の視線が殺気を帯びてきたので、咳払いで誤魔化しつつ梅山たちの方を向く。
「それじゃあ、俺は砂城作りに参加しに――」
「あれ? せっかくビーチバレーでもしようかと思ったのに。天馬は一緒にやらないの?」
「バレー? そう言えばバレーボール持っているな」
水着に気を取られて見落としていたが、腕と腰に挟むようにして確かに持っている。
それを指摘すると、月夜は空いた方の手で東の浜辺を指差す。
「あっちにコートがあってね。気になってビーチスタッフに聞いたら、快く場所と道具を貸してくれたんだよ。幸運にもね」
「なにが幸運ですか……。水着姿に鼻を伸ばしていた職員に、色仕掛けでお願いしただけでしょうに。ほんっと、美人って奴は……」
「? そんなことしてないけど?」
月夜の返答に四季は、意識していないから尚のことたちが悪いのです。と口元を歪めて悪態をつく。月夜の行動に付き合わされてウンザリしているようだ。
なるほど、大体の事情は察した。
だがしかし、ビーチバレーは一人でプレイする競技じゃない。通常の室内バレーと違い人数は2対2で最小の人数で済むとしても、月夜を含めて後3人は要る。俺はその人数合わせに呼ばれたわけか……。
「天音ちゃんもどう?」
「……」
俺が悩んでいると、月夜は俺の背後で不穏な気配を漂わせていた天音にも、誘いの言葉をかける。
先ほどから他の娘の水着に視線を遣るたびに、無言の圧力でこちらの精神を削っていた天音だったが、自分に話の矛先が向いたと知ると、馬鹿にするなとばかりに鼻で笑う。
「どうして私がアンタとスポーツなんかしないといけない訳? 馬鹿じゃないの?」
「体を動かすのは、楽しいと思うけど?」
「だろうね。でも今の私は、気に入らない相手と楽しく遊ぶって気分じゃないし、第一、スポーツを遊びでやるのは性に合わない。――それと、アニキは渡さないから、やるなら他の奴と勝手にやってて」
遠慮のない物言いに、俺を含めた当事者以外の二人は顔色を変えるが、しかし月夜の涼しい表情は変わらない。天音も仏頂面を貫き通す。
四季はぽかんと口を開けていたが、「へぇ」と呟き、何やら意味深な表情で顎に手を当て、俺は相変わらず態度の軟化しない妹に、呆れと焦りをを歯の間に挟んで噛みしめる。
「言うに事を欠いて、まだそんな口の利き方を――」
「まあまあ。ここはボクに任せて」
ガツンと叱ってやろうしていた俺は、月夜に制されて仕方なく口を噤む。
その様子を見た天音が、表情を歪ませ舌打ちする。
「人の兄に指図しやがって……っ。そういう所もムカつく。カマトトぶるな」
「そう。わかったよ」
「ああ?」
「天音ちゃんがボクのことを敵視しているのはわかった。天馬のことを大事に思っていることもね。――だったら尚のこと、その不満を胸の内にため込むべきじゃない。ここはお互いの優劣を決めて、今後の上下関係を明確にしようじゃないか」
月夜は持っていたバレーボールをパスする。
唐突な行動だったが、反射神経に優れる天音は極めて正確にキャッチする。
その後、胡乱げにボールを見下ろした天音にピンと人差し指を上げて宣言する。
「さっき天音ちゃん言ったよね。「スポーツを遊びでやるのは性に合わない」って。なら、天音ちゃんの流儀に則って、本気の勝負を挑ませてもらうとするよ」
「…………それはつまり」
「お互いの立場を決める勝負。そのボールに賭けて競おうじゃないか」
優しい口調で、しかし余りに重たい意味を持った宣戦布告。
その意味を理解した俺は息を呑む。
尋常でない話の流れに戸惑う暇もなく、場に張り詰めた緊張はいつの間にか極限にまで膨れ上がり、向き合う二人の間から見えない火花が散る。
夏場の一番暑い時間帯だというのに、背筋を寒気が駆けあがるのを感じた。
天音は一瞬なにかを考える素振りをして、ゆっくりと顔を上げる。
「――つまり、アンタの負け顔が拝めるって訳ね」
おおよそ美少女が浮かべるべきでない、悪魔のような笑みがそこに在った。