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4 天才たる妹

 我が家に辿り着いたころには、辺りはすっかり暗闇に堕ち、夜の帳が下りることで、昼間に比べて涼しい風が街並みを駆け抜けていた。


 玄関を抜けてリビングに入ると、夕飯の支度をしている母さんを見つけたので、丁度いいと天音の所在を聞くと、鬱陶しそうにチラリと俺を見遣った後、無言で天井を指さす。


 妹は二階の自分の部屋にいるらしい。


 頼まれていたアイスの件を伝えに行かないといけないのだが、あいつが部屋に引きこもっている時に訪ねると、目に見えて不機嫌になるから面倒だ。

 年頃の女の子なのだから当たり前とはいえ、問題は、妹の癇癪を受け止めるだけの心の余裕が今の俺にはないということにある。


 アイスは駄目になってしまったから、ヒステリックに怒鳴り散らされて役立たず扱いされるのは火を見るよりも明らかだ。


 憂鬱な気分が、更に乱高下して、目の前の障害に頭が痛くなってくる。


 というか。報告に行く必要があるだろうか?


 どうせ喧嘩になるなら、別にしらを切ってしまってもいい気がしてきた。問題を先送りにしているだけではあるが、今は鹿目の事を自分なりに考えて、現実を飲み込むだけの時間が欲しい。

 妹の相手は自分の気持ちを納得させた後に、いくらでもしてやろう。


 名案に思えてきたので、そうと決まればさっさと自分の部屋に引きこもりたい。


 そう思って二階に上がろうとすると、母さんが鋭い視線をこちらに投げる。


「――天馬。部屋に戻るのはいいけど、あの子は今が大切な時期なのだから、邪魔だけはしないでよね」

「……わかってる」


 釘を刺さす母さんに、俺は吐き捨てるよう返事をして階段を駆け上がった。



 * * * * * * * * * * * * * * * * *



 妹である武島天音(むとうあまね)は、周囲の人間から神童と期待されている少女だ。


 頭脳、肉体、感覚共に最高級の物を持ち合わせた天才であり、様々な分野に挑戦し、その全てにおいて努力を惜しまない秀才でもある。


 どんなことも始めた時点から人並みの結果を出すことができ、僅か数か月の間の努力で教師や師範代を超えるほど急成長を遂げる姿を、俺はすぐ隣で見続けてきた。


 天音が不得手なことなど何もない。完璧な少女。おまけに見目も麗しい美少女ときたら、誰だって数十年に一度の逸材だと褒めそやすのは当然のこと。


 人はそんな天音の輝かしさに目が眩み、将来に天音が成し遂げるであろう偉業に思いを馳せるのである。

 そして、その立派な神童の陰に、特に取り柄のない兄がいることなどまるで目に入っていないかのように振る舞うのだ。


 その傾向が特に強かったのが両親である。


 今はもう、慣れてしまったことではあるが、中学の時は随分とそのことで心が荒んで、両親に対して反発的な態度を取っていた。

 そのせいで余計に仲が悪くなってしまい、結果として彼らが俺に対してとる態度は、無関心という冷たい関係になってしまった。

 まあ、過度な期待を背負わされるよりも気楽でよいが。


 よって、両親が俺に対して期待することは優秀な妹の邪魔をしないことに一貫している。


 それなら天音の邪魔をしないよう、自分の部屋に引きこもろう、そうしよう。

 代わりに俺の邪魔もしないでくれ、今夜は一人で一人寂しく傷心に浸りたいのだ。


 足音を立てないよう気を張りながら天音の部屋の前を通り過ぎ、俺は自分の部屋のドアノブを捻る。


「ん?」


 扉の隙間から漏れる光に首を傾げながらも、深く考えず部屋に入った俺は、勝手にテレビをつけてテレビゲームを楽しむそいつに面喰ってしまう。


「おー。やっと帰って来たねアニキ」


 こちらを見もせずに部屋の主を迎えるインベーダー。天音だ。


 思わずため息が出そうになるのを耐えて、部屋の扉を閉めてたのち、脱いだパーカーを箪笥の上に置く。

 直後、テレビから勝利を讃えるファンファーレの祝福が鳴り響く。


 ちょうどゲームクリアしたらしい天音は、「さて」と言って不敵に俺を睨む。


「でさー……。今何時だと思ってんのよ。時計の数字がまともに数えられないなら小学校やりなおしてきたら? それとも、時計の針が見えないってんなら、いい眼科を紹介するけど? 

 ……ああ、もしかして頭の問題かな? だとしたら神経内科か、脳神経外科に行って馬鹿に効く薬もらってきたら? どちらにしても、私の名前は出さないでね。こんな無能の妹だって思われたくないから」


 遠慮のない罵倒に、言い返すこともできずに苦笑いを浮かべる俺。

 すぐさま部屋から追い出したいのはやまやまだが、アイスを買ってこれなかった弱みがあるので、この後の事を思うと何も言えない。


 天音の啖呵は続く。


「私がお使いの連絡入れた時、アニキは「三十分もかからない」って返したけど。もう夜じゃん! 一時間半以上かかってんじゃん! 約束事やルールはきっちり守るのがアニキの長所なのに、それを抜いたら何が残る訳? 完全無欠の私にアニキに相応しいとこが一つでも残ってるとでも?」

「う……」

「ないでしょ? ったく。自分の言った言葉に責任持てないなら、初めから言わなければいいのよ全く……。まあ、それはいいよ。これでアニキに貸し一つになるからね」


 ベッドにもたれ掛りながら悪い笑みを浮かべて、口の隙間から犬歯を覗かせる。


 母親譲りの茶髪を横にまとめたサイドテールが憎たらしいほどに似合っていて、適度に引き締まったスレンダーな体躯から、生意気な猫を感じさせる雰囲気がにじみ出ている。

 小柄に見えるが、身体能力は俺の倍以上あるのだから人は見かけによらない。


 落ち着きのある美人の鹿目に対し、その場に居るだけで場が盛り上がるような快活な美少女。天望高校でも大層男子にモテるらしいが、今はそれどころではない。


「――で、ツインバーアイスは? ちゃんとグリーハワイ味なんでしょうね?」


 始めからその為に俺の部屋に待機していたのだろう。

 ほれと、手を差し出す天音。


 来たかと。心の中で身構える。


 変に誤魔化すと話がこじれそうだから、もう言うしかない。

 誠意を込めて対処しよう。

 ベッドの向かい側に腰を下ろし、同じ目線でしっかりと目を合わす。それにちょっとたじろぐ天音。


「な、何?」

「えっとな……、頼まれたアイス持ってこれなかったわ。ホント御免」


 両手を床に付けた上で頭を下げる。土下座ではないが、それに近い謝罪。

 俺が謝る様子に目を吊り上げる天音。


「はぁ!? それは一体どういう了見で…………、――? アニキ?」


 不安げな声に顔を上げると、先ほどのふてぶてしい態度はどこへやら、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる天音の姿があった。


「……兄さん、なんかあった? よく見るとめちゃくちゃ落ち込んでるし、それに目が死んだ動物の目みたいにってるけど……。ちょっと今までに見たことがないくらい雰囲気が暗いし……。もしかして、体調が悪いとか? 熱ある?」

「――? 大丈夫だよ別に」


 急に近づいて額に手を伸ばしてくる天音を、体を逸らしてかわす。

 ――が、上手く立ち回られてすぐさま捕まった俺。


 ポーカーフェイスを保っていたつもりだが、流石は家族というべきか。僅かな会話でこちらの精神的不調を見抜くとは。

 天音が「アニキ」でなく「兄さん」呼びする時は相当俺に気をつかっている証拠だ。年に一、二回あるかないかの相当珍しい態度で、こうなると普段の態度が嘘みたいにしおらしくなるのだが、それほど俺の様子がおかしかったのだろうか……。


「熱はない。恐らく三十六度そこそこ……かな。十分平熱。――脈も正常。若干速い程度。眼に充血は……なし。うーん……。特に体に何かあるってことはなさそうだけど」

「いやだから大丈夫だって。もういいよ。ありがとな」


 優しく天音の手を払いのけて距離を取る。


 改めて自分の態度を鑑みて恥ずかしくなったのか、天音は軽く赤面しながら咳払いをした後、髪の尻尾を弄りながら口を開く。


「お使いの事はもういいよ……。それでなんかあったのわけ? せめてそれくらいは話しなよ。このままだんまりってのはなしね。私が気になるし」

「……なんもないよ」

「嘘つくなハゲ。もう何年兄さんと兄妹やってきてると思ってんの? 隠してんのバレバレだっての」


 ぼそりと嘘をついた途端、顔面に飛んで来た枕を慌てて受け止める。


 これ以上誤魔化すと、今度は硬いものが飛んできそうだったので、しょうがなく事情を説明することにする。

 天音は俺が鹿目と付き合っていること知っている数少ない一人だし、鹿目と同じ学校の同じ学年らしいから、隠してもいずれバレるだろう。


 ……それと、俺はハゲてない。


「……アイス買った帰りにな。鹿目を見たんだよ。河川敷向うの繁華街で」

「ふーん。それで?」

「それで……。俺の知らない男と、……歩いていた。腕を組んで」

「! あーそういう……」


 いざ口に出して説明してみると。胸の奥の重しが何割増しに膨らんだ気がした。


 抑揚のない俺の声に、全ての事情を察した天音は引き攣った表情を浮かべる。


「勘違い、とかは?」

「たぶんない。天音だってその時の光景を見たらわかる。あれは彼氏彼女の雰囲気だった……。俺と居る時より楽しそうだったよ。よく笑ってた」


 その時のことは思い出したくないが、嫌でも脳裏にフラッシュバックする二人の姿。忘れようと思っても忘れられるものじゃない。


 気まずそうにぽりぽりと頭の後ろかく天音。

 すると、唐突に聞き捨てならないことを聞いてくる。


「もしかしてだけどさ。相手の男って、身長高くて細マッチョ系のイケメンで、私よりも暗い茶髪じゃなかった?」

「――え? 何でお前がそれ知ってるんだ!?」

「お、落ち着いて」


 思いもよらない情報源に詰め寄ると、天音は申し訳なさそうに俺の肩に手を置いて、決定的な一言を発す。


「ほら、私っていろんな部活に精通してんじゃん? そんで、うちの高校のバスケ部の先輩たちと世間話をしてたらさ、何でも二年バスケ部の高良田(たからだ)と鹿目がどうも付き合い始めたらしい、ってゆう話を聞いちゃって……。あくまで噂だったから、こいつらの勘違いだろうって思ってたんだけど。まさか、こんなことになるなんて……」

「……」


 ゆっくりと椅子にもたれ掛って顔を両手で抑える。


 疑惑が確信へと変わった瞬間だった。


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