36 締め
お腹の不調から帰って来ると、何故か汗をかいて微妙な表情を浮かべる鹿目が待って居たが、「特に何もなかった」と言い張るので深く追求せず、バスに乗って目的地へと向かった。
デート最後の締めに選んだのは「天宙館」。
民間のプラネタリウム商業施設だ。
プラネタリウムと言えば天文台や博物館といった場所が有名だが、中には一般で公開、営業している専門の施設もあり、ここはそういったプラネタリウム施設であって恐らくこの街唯一の場所。
そこまで有名ではないのか、いつ来ても座席は空いているので知る人ぞ知る場所なのかもしれない。ある意味で絶好の穴場のスポットなのだろう。
ともかく、天体観測が趣味の俺はちょくちょくここに足を運んだことがあり、いつか鹿目と来てみたいと思っていたのだ。
鹿目も星空を眺めることは嫌いではない。というか、初対面だった時は天体観測の話題で盛り上がったことも懐かしい思い出であり、この共通の趣味があったおかげで仲良くなれたと言えた。
だからこそ、きっと鹿目も気に入るであろうという思惑があった。
しかし――。
「あ。ここ知ってます。お気に入りの場所です!」
との反応に、嬉しいようなそうでないような微妙な気持ちになる俺。
目的地に到着して、さてどんなリアクションをしてくれるかな? と楽しみにしてただけに、俺がこの場所を知る前から常連だったと事実が発覚した時の、俺の何とも言えない表情。
自分ではどんな顔していたかわからないが、鹿目が顔を逸らして笑いをこらえている様子からすべてを察した。……普通に恥ずかしい。
まあ、サプライズは不発で終わったが、天体上映自体は十二分に楽しむことができた。
他では見ない独特のドーム状天井は、外の世界と一線をかくした独特の雰囲気を持ち、不可思議な形をした巨大投影機と相まって宇宙船の中にいるかのような気分になる。気分はまさに宇宙旅行。銀河鉄道の夜だ。
映画館にも似ているが、視界全てが満点の星空に包まれる体験はそれとは一味違う。
プラネタリウムの宇宙の旅は一種のトランス状態を引き起こし、胸の内から心が抜け出て宇宙に飛び立っていく感覚に嵌る。恍惚の境地で頭空っぽになって、気が付けばあっという間に時間が流れる。宇宙の旅とは心の旅と同義でもあるのかもしれない。
解説員の説明もなかなかレベルが高く、心地よい声に聞きほれて時間を過ごすことができた。
概ねデートの締めとして満点な出来上がりに、ようやく俺の肩の荷が下りる。
――まだまだ未熟だが、鹿目は楽しんでいるようだったし、概ねよくできた仕上がりだったと自分を褒めてあげたい。前日から色々考えて計画を立てていたが、その甲斐が報われたのは本当に有難い。
「先輩! 今日は楽しかったです。また、すぐにでも一緒に遊びましょうね」
「ああ、お疲れ」
「はい。先輩もお疲れ様です」
日が傾き、夕方となってお互いに帰る時間。駅前の噴水傍。
夕陽に照らされて世界が朱色に染まる中、律儀に頭を下げて挨拶する鹿目に苦笑しつつ、背を向けた鹿目が人混みの中に消えていくのを見送る。
その後、しばらくたって俺も噴水の縁から立ち上がって今日一日のことを思い出しながら帰宅の途につく。
「……」
喫茶店では少し気まずい雰囲気にはなったが、一日を通して見れば概ね普通のデートだったはずだ。心配していたことは起きなかった。そのことをまずは感謝しよう。
「鹿目の態度も普通だった……かな。これなら……」
――これなら、これからも上手くやっていけるかもしれない。
となると月夜の返事は……どうするべきなのだろうか?
帰り道を歩きながら思い出した例の選択。逃れられない板挟みに胸の内がモヤモヤする。
浮気が発覚した直後は、月夜の方に気持ちが流れていたふしが俺にはあった。
……が、今はどちらに感情が偏っているか俺自身にもわからなく微妙なところ。別にどちらも嫌いでは無いし、どっちに対しても好感度は高い。どちらかが優れているとか強いとか、そういうことじゃないのだ。
遅かれ早かれ選択したいといけない。これで迷うことは二人に対する侮辱に他ならない。本来悩んではいけない問題だ。全くもって誠実な悩みではない。
鹿目とそのまま付き合い続けるか。月夜の気持ちに応えるか……。
「はは、……最低だな。これが世にいる二股男の心情ってやつか。俺には縁遠い悩みだと思っていたのに、まさかこんな夜の恋愛ドラマみたいな悩みを抱えるなんて……」
自嘲気な笑みを浮かべてため息をついた俺は、何気なしに空を見上げて赤く染まった天空を望む。空気は熱気を孕み、ほとんど雲のない空が無限に広がっている。
その空の色は、どこか……小麦色によく似ていていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
その日の夜。寝床に潜って意識を手放した俺は例の夢を見た。
海中に沈んだ神秘的な街。教卓の上に置かれたラジオからは毎度同じ音楽が流れ、窓から入る太陽の光が寂しい教室の中を優しく照らす。そんな不思議な夢の中の心象世界。
この場に居るのは俺と、正体不明の仮面の少女。
夢を見始めた最初の時期、俺は正体がわからない仮面少女を不審に思っていた。
夢の中だからと楽観視こそしていたが、そもそも、不気味な仮面と掴みどころのない性格に警戒しない方がおかしい。それ故の当然の対応。
だが、いつしか歯に衣着せぬ物言いとこちらの胸の内を全て知り尽くしたゆえの上から目線を相手にしていたら、身構えるのも馬鹿馬鹿しくなり、どころか、それが癖になって次第と彼女に心を許すようになっていた。
今となっては、会うたびに人生相談をしてもらう仲。
今日も今日とて、デートの感想を述べた後に胸の内の不安を吐露する。
「――というわけで、鹿目とは上手くいっているよ。まだギクシャクする場面もあるけど、浮気事件があってしばらくした後のデートとしては、最高の出来だったと思っている。この感じなら破局という最悪の事態は避けられそうだ」
「へえ、それはよかったじゃない。喧嘩してから数週間でここまで仲を持ち直したのは快挙と言っていいよ。――真実の愛は不滅っ!! ……ってやつだね」
「お互いの真摯な態度と、歩み寄る努力のおかげだよ」
「――言うじゃんか。流石は私のダーリンだ」
ケラケラ笑いながら、小さな拍手を送る仮面の少女。
仮面で表情が覆われているので確かなことは言えないが、普通に祝福してくれている様子。
脇に俺の人生を書き記した分厚い本を挟み、器用に両手を叩いて「ヒューヒュー! お熱いことで!」と古臭い反応をひとしきりした後、よっこらせと重い本を机の隅に置いて「さて」と言う仮面の少女。
「それじゃあ、何でそんな憂鬱そうなわけ」
「……やっぱり、お見通しだよな」
「もちろん、天馬のことなら黒子の位置からエロの趣向まで知り尽くしていますから。――で、それはいいからさっさと言いなよ」
机の頬杖する少女はちょんちょんと、指でつついて催促する。
一切遠慮しない直球さに苦笑する俺だが、不思議と嫌な思いはしない。
これがこの仮面の少女の魅力と言うか、付き合いやすい理由だよな。相手が一切遠慮しないおかげでこちらも遠慮しなくていいし、俺のことを全て知った上で会話に付き合ってくれているから意志疎通の齟齬がない。
だからこそ、悩みを相談するにはうってつけの相手であり、彼女の人徳に自然と口が解けて胸の内がポツリポツリと漏れ出る。
「大したことじゃ……。いや、大したことだけど。まあ、ようするに鹿目との仲が解消されたことで、落ち着いて現状を吟味することができるようになったわけだ。それで今更ながらに浅ましい俺自身に嫌気が差してきて……」
「ん? 何どゆこと?」
「だから、二股かけている俺最低だなって」
俺は頭を掻いて恥ずかしさを誤魔化す。
――今日、鹿目とのデートの感触から、俺たちの仲はそこまで悪くないことが判明。
鹿目は浮気をしたことを反省して誠実な行動を心掛けているし、俺自身の心象も時間が経つことで、あの時感じた怒りや悲しみの感情が緩和している。そのおかげか、俺たち二人の関係は元通りとはいかないものの、即座に別れる心配はなくなった。
それ自体はいいことだが、月夜とのこともある以上は素直に喜べないのが心情。
問題の肝はもちろん。月夜と鹿目を天秤にかけていることであり、未だに決心と覚悟が固まってない俺の未熟さだ。
「鹿目との上手くいった今、俺は鹿目との付き合いを維持することになる。となると、筋を通すなら月夜の想いを裏切らないといけない。実際、月夜もそういう約束だったし……。でも――」
「ははーん! それってつまり、「俺はどちらかなんて選べないよ! 二人とも同じくらい愛しているんだ!!」――って奴だね。昼ドラとかで屑男がよく言うあれ。それを悩んでいる訳ね。そりゃあまた贅沢な悩みだこと」
そんなもん自業自得だとばかりに、せせら笑う仮面の少女。
遠慮の欠片もなく馬鹿にしてくる謎の少女相手にぐうの音も出ない。
誰から見ても女性関係にだらしない俺が悪いに決まっているし、俺がコイツの立場だったら笑い飛ばすだけじゃ済まさず、「男として最低だ。相手の気持ちも考えろ!」と説教しているだろう。
立場って変わるものだな。気に食わないテレビの中の屑男に俺自身がなりそうだっていうんだから、皮肉過ぎて涙ちょちょ切れそうだ。反省してもしきれない。
そうして、反論もできずに閉口している俺を散々笑いものにした少女は、ひとしきりこの話題で弄った後、満足そうに頷いて椅子にもたれ掛る。
「あー、笑った笑った! しっかし、うん。ホントに天馬はダメダメだわ。
でもまあ、ダメなのはしょうがないから、せめて今のうちに悩めるだけ悩むことね。そしてキッチリどちらかを選ぶこと。それが天馬に出来ることよ。
……もう時間がないから端的に言うけど。二人は貴方のことが心底好きだし、振られたからってそうそう簡単には諦めない。だって恋する乙女のパワーは尋常じゃないんだから。
何時までも迷っていたら――修羅場になっちゃうかもよ?」
巻き気味にアドバイスをまくし立てた仮面の少女。
いつもの様に表情は見えないが、どことなく名残惜しそうに「またね」と可愛く手を振る姿に、まだまだ相談したいことのあった俺は「あっ」と情けない声を漏らす。
そして訪れる意識の混濁と、視界を塗りつぶす靄。
抗うことのできない夢からの覚醒。現実に引っ張られる不快な感覚に、俺はただただ身を任せるしかなかった。
――ああ、そうそう。
最後に、前の夢で言っていた「鹿目と天音が同一人物」という発言について問い詰めたかったな……。あれは一体。どういう冗談だったんだろう?