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35 格闘の天才

 武島天音は天才だ。そして、周囲から褒めそやされ期待され羨望の眼差しの中で生きてきた天音は、大きく肥大化した自尊心を持っている。


 彼女に身の程をわからせて心を折ることができた者は一人もおらず、実際、彼女はそのプライドに見合った実力を所持していると言えた。

 だからこそ、その大きすぎる自尊心は当然のもので、勝ち続けた経歴がさらに彼女のプライドを加速させて、今もその並みではない自負を抱えて天音は様々な伝説を作り上げているわけだ。


 ただ、そんな彼女にも嫌なこと、やりたくやられたくないことはある。正確には最も自尊心を傷つけられることなのだが。



 そして、それが何かというと、――体に触れられることであった。



 これには二つの理由がある。


 一つは、天音が生娘であるということだろう。


 その傲慢さから周囲には意外に思われるが、男女経験のない天音は異性に触れられることに慣れていなかった。誰かに無遠慮に触れられることは天音にとって忌避することで、生理的に受け入れることができない事柄だったのだ。


 意中の相手である天馬に対しては、むしろ触れて欲しいと思っている天音。


 だが、それ以外の人、特に家族以外の全ての人々には、例え友達であっても相手から触れさせることを内心嫌がることもあり、男に対してはそれが顕著に表れていた。


 二つ目の理由。


 これは一つ目の理由にも直結するが、天音は軽度の潔癖症であるということ。


 潔癖症と言っても、天音の場合は比較的軽度のものであって、普段の生活にはなんら支障はない。


 それこそ、汚いものに触れる時に微かに躊躇したり、逆に触れられたりすると一瞬頭が真っ白になるといった精神的なもので、どちらも天音本人の意志によって抑えられて誰にも感づかれてはいないため、天馬を含めたごくわずか親類しか知らない秘密の一つとなっていた。


 以下の事から、汚いものに触れられるということは、天音にとってかなりのストレスを内心にため込むことになる。


 今回の場合、それが着火剤になってしまったのだ。




 * * * * * * * * * * * * * * * * * * 




 自分よりも一回りデカい男を張り倒すことなんて容易い事。


 だけれども、道場でもリングの上でもない場所で一般の人を相手に手を出してしまったことは、いくら何でもやりすぎだとわかる。


 暴行罪という立派な罪だし、私のように様々な格闘技の有段者が喧嘩で手傷を負わせれば、裁判では不利な要素として取り上げられるだろう。

 ……あくまでも警察のお世話になった場合だが。


 それに心理的にも後ろめたい気持ちは少しある。腕を掴まれた咄嗟のこととはいえ、相手をノックアウトするのはやりすぎた。暴力を無闇に振るうことを正当化するつもりもないし、いささか過剰な反応だったことは認めるしかない。

 カッ、と熱くなってやり過ぎたと思う。良心の呵責を感じる。


 ……でもまあ、殴ってスッキリしたし、張り倒したことに後悔はないんだけど。


「大体さ。私に触れたのが悪いよね。女の子に気安く触れるんじゃないっての」


 ――それは私にとっての逆鱗だ。


 足元に転がるチャラ男を見下ろしながら、吐き捨てる様に言う。


 私から触れることや、悪意なしの無害な手ならともかく、チャラ男の欲望にまみれた手に触れられるなんてありえない。何様のつもりだホント。虫唾が走るし、寒気がするしで不快にもほどがある。

 殴った私が全面的に悪いとしても、――でも私に触れたのは許せない。


 ……うん。やっぱりこいつが悪いな。そういうことにしよう。


「おい、てめぇ何しやがる! 暴力は最低だろうが!!」


 野太い怒号が周囲に響き渡る。なかなかの声量だ。


 何かと思って顔を上げると、呆気に取られていたナンパ集団から、いかにも血の気が多そうな大男が怒りの形相でこちらに近寄ってくる。――完全にお怒りの様子だ。仲間思いで熱血漢といったキャラか?


 どうしてこんな奴がナンパ集団に混じっているのやら。少なくとも私は暑苦しくて嫌いなタイプだ。天馬みたいに細身になってから出直してこい。


「おい! 聞いているのか!!」

「……うるさい。静かに出来ないの? 三流格闘家の脳筋野郎」

「っ!! なんだと!」


 大男は顔を真っ赤にして更に怒りの色を強くする大男。


 独特の立ち振る舞いや、歩き方に独特の癖が格闘家にはある。

 格闘技が何たるかを知っていて、なおかつ観察眼を持つ人が見れば心得の有無などすぐわかる。漫画じゃないけど、一目で相手の実力を測る、なんてことも可能なのだ。


 おまけに、チャラ男に対して格闘技を使って倒したことに激怒したことも、見抜いた要因の一つとなった。


 一般的な道場出身者は「格闘技を一般人に使ってはいけない」と骨の髄まで叩き込まれるため、躊躇なく格闘技を暴力として使った私に対して怒りを覚えているのだろう。

 それは格闘技界のタブーであり、その道を行くものとして看過できない。……とか、そういう感じだと思う。


 馬鹿馬鹿しい話だ。

 ナンパされて無理やり連れてかれそうになっていた私の方が被害者だろうに。

 ものの見方がまるでなってない。


 文字通り、頭まで筋肉でできているのか? コイツ……。


「てめぇ……。いい加減に――」


 お互いの間合いにまで近づてきた大男は、私に向かって手を伸ばす。


 再び脊髄を走る電撃。


 何処の誰とも知れない男に触れられる悪寒。先程の気持ち悪い感触が想起されて鳥肌が全身に広がる。撃鉄が弾けたかのような衝撃が脳内を駆け巡り、目を見開く。


 ……肩を掴むつもり? 無遠慮に許可もとらず?

 そう、お前も私を侮辱しようってわけ。――身の程を知れよ単細胞。


「――!」


 上体を落として脚に溜まった瞬発力を開放。超加速によって弾け跳ぶ間合い。


 向かってきた掌の下をくぐり抜けて大男の懐に潜り込む。


 引き絞った左拳が弩の如く炸裂。水中を思わせるほど重く鈍い空気を切り裂いて、移動による加速と全身の捻りを加えた拳突が、想像を絶する速度と勢いを生み出す。


 対象に肉薄、射程有効。狙いは胴体の中心点――。


「――――っッ!!」


 狙い違えず、手抜き抜きの衝撃を大男の胴体に突き刺す。


 尋常ではない衝突音が響き渡り、拳に乗っていた破壊力が内臓を貫いたことで、大男の腹の中の空気が「こひゅ」と激痛で歪んだ口元から漏れる。


 だが、怯み方が甘い。

 私の頭上にある眼がギロリとこちらを見下ろす。


 流石はどこぞの道場出身者、チャラ男とは鍛え方が違う。恵まれた体格と鍛えられた根性で体勢を立て直そうとしてくるが、――あまりに遅い。


 私は一発タイプじゃなくて、スピード重視の連打型。


「――ッシ!」


 僅かでも隙ができれば十分。


 続く連撃を機関銃の掃射のように胴体へと突き刺さし、雷となった左拳の連打が光の点滅の速度で瞬く。もちろん、その全てが初撃と遜色のない破壊力を纏わせてだ。


 連打。連打。連打。そして更に連打。


 いくら何でも耐え切れないと胴体を太い腕でガードする大男。

 左拳打が頑丈な二の腕に塞がれそうになる刹那の時。()()()()()()()()()()()()()()()()


 大男が驚きで眼を見開くのを無視し、左重視の体勢を反転。罠にかかって安直な防御に走った敵の滑稽さに笑みを浮かべて、重心を反転させた勢いをそのままに右の拳を解き放つ。


 私は右利き。だから右拳打の鋭さは左の比じゃない。

 そして相手は両腕を下げたことで殴りやすい位置に顔があり、――勝敗は決していた。


 大男の顎先で爆発する打撃。今日一番の良い手応え。


「あ、……あ」


 言葉にならない呻き声が僅かに聞こえ、仰け反った頭は戻ることなく、そのままゆっくりとデカい図体が後ろ向きに崩れて、大の字でバタリと倒れ姿を晒す。


「ちょっと、じゃま」


 転がる手足に脚が当たらないよう避け、二つの邪魔な障害物を跨き越える。


 ……とんだ雑魚だった。最後の一撃を目で捉えることができたかも定かじゃない。結局、どの分野の格闘技を齧っているかすらわからなかったけど、もしかして初心者だったのかな?


「お、おい! 二人とも!」

「マジか……。マジかコレ……」

「滝沢をやるとか、ナニモンだこのJK……っ!」


 残りの連中がこちらに走り出したのが目の端に映った。

 どいつもこいつも切羽詰った顔で、尋常ならざる雰囲気を出しながら近づいて来る。


 ……まさかこいつらも喧嘩上等って奴ら? 本気? 数で挑めば勝てるとでも?


 浅はか過ぎて言葉がでない。最近のナンパをやるような連中は血と暴力の刺激にでも飢えているのかな。そんなに体を持て余しているならスポーツでも打ち込めばいいのに、ナンパに喧嘩とは人迷惑な奴ら。


 まあいいや。二人倒して戦意が高揚してきたところだし、――少し揉んでやるか。


「3人か。……4、5秒ってところね」

「え? ちょま――」


 何かを言いかけた先頭の男にローキックをかまして、悲鳴を上げながら蹲ったところを顔面蹴り上げて大地に転がす。男の顔から鼻血が噴き出て地面を濡らしやがった。汚い。

 まず、一人。


「違う! 俺たちは――」


 続く流れで横にいた奴の腹部に一発キツイ一撃を与える。その胴体殴りで良い位置に頬が出てきたため、そのまま右頬に拳を叩き込んでノックアウト。――あ、歯を砕いたかも。

 ……どうでもいいか。これで二人目。


「ただ仲間の手当てを――」


 最後の一人は視界の死角に居た。全身に捻りを加えて溜まった力を開放。振り向きざまに回し蹴りを放って背後に立っていた男を攻撃。クリーンヒットで綺麗に吹っ飛び、私が座っていたベンチに激突。


 吹っ飛ぶ直前、何故か両手を見せて無抵抗を示していた気がするけど、……気のせいだろう。

 これで3人目。


 好戦的だったわりには全く手応えなし。やる気あるのかこいつらは?


「ナンパ男と、脳筋野郎。後は雑魚3人……。これで全員? 確か6人だった気がするけど」

「ひっ!」

「ああそうだ。アンタが居た」


 気絶した男どもが散らばっていて死屍累々の中。その外側で尻餅をついている小柄な影。


 悪魔や幽霊でも見たかのような真っ青な顔でガクガク震え、倒れ伏した仲間たちのことを見ていた彼は私に気づかれたことを悟ると、この世の終わりを迎えたような表情で逃げようとする小柄な青年。


 しかし腰が抜けているのか、張って進むことしかできない姿は可哀想の一言。


 酷く怯えて冷静ではない様子。彼はどうやら好戦的ではないらしい。


 その姿を見ていると、途端に何か悪いことをしたかのような気分(?)になって居心地が悪くなるが、よく考えたら、彼視点では私は体格の優れる男どもを事もなげに倒した正体不明の美少女と見えるのだろう。……そりゃ怖がるわけだ。


「大丈夫? 立てる?」


 無意味に怖がらせないよう微笑みを浮かべ、近づいて手を差し伸べる。

 すると余計怖がる小柄な青年。何故……?


「や、やめろ! いや、やめてください……。こ、殺さないで」

「殺すわけないでしょ。――ほら立て。男ならシャキッとしろ」


 変に下手に出られてイラっとしたが、しょうがなく青年の腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。

 オドオドしながらもしっかりと立ったのを確認し、掴んでいた手を放す。


 男に触れるのも、私から触れることと嫌悪のない相手ならば別に問題なくやれる。

 地面にキスしているあいつらならともかく、彼はさっきナンパ男を諌めようとしていた賢明な奴だし、そこまで神経質に毛嫌いしていたら普通に生活するのも面倒だ。


 それに彼には事の後始末をしてもらおうと思っている。


 そろそろ天馬が戻ってきてもおかしくないし、急がないと……。


「心配しなくてもアンタは見逃してあげる」

「ほ、ホントか……?」

「その代わり……気絶しているお仲間に伝えといて」

「え? 何を?」

「私に関わったこと、私にコテンパンにされたことは他言無用。……もし、警察や学校に話せば、今度は鼻を折ったり歯を砕く程度じゃ済まさないって。――ああ、後、私に二度と関わるなとも。いい? もし次に会ったらアンタも見逃しはしないから」

「――ひぃっ!!」


 少し収まっていた青年の震えが再発してそのまま逃げだそうとするが、それを捕まえて目の前で固定して「お願いね」と可愛く頼む。ついでに肩を握り潰すつもりでギリギリと締め付けると、彼の骨がきしむ音が聞こえた気がした。


 目の焦点が合ってない様子だったが、圧力のかいあって強く頷いた青年。だが拘束から解放すると再び地面にへたり込んでしまった。放心状態ってやつ。


 チャラ男や大男よりはましだが、モヤシ過ぎるのも考え物。

 ……やっぱり、天馬が一番。それは揺るぎない。


 私自身の手で起こした地獄絵図に背を向けて、どさくさの間に落としていたポーチを拾って土を払う。

 汚れがついてないことを確認してコンビニに向かおうとした私は、伊達メガネをかけてないことに気が付き、慌てて装着する。


 眼鏡をかけたことにより(天音)としての意識が(鹿目)に切り替わる。

 人格が温和な鹿目の物となり、そのせいで先程までの血生臭い出来事が恐ろしい事件のように感じる。


 そこまで気が強くなくて荒事の苦手な私(鹿目)は、そのことに不安と危機感を覚え、人目を気にしながらそそくさとその場を立ち去るのだった。

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