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31 お詫びに……

 店から出ると外気の熱気が体を包み、じんわりと体中の皮膚に汗が浮き上がる。


 時計を見ると、ちょうど6時を迎えようかという時間。

 日は沈んでも未だ周囲は明るく、周りを見渡してみると、駅前だけあって学生や会社員といった人たちが従来を絶え間なく行き交っていて、帰宅ラッシュの真っただ中であることが見て取れた。


 先ほどまでのエアコンの効いた空間を惜しみつつ、俺は高級感のある白を基調としたケーキ箱を、中身が崩れないように大事に持つ。


 腕の中にある食品にかかった出費を思い出したら、大事に扱いたくなるのは当然のこと。手の中の箱から目を離すことがないよう注意するのも、これが大切なものであるからこそだ。


 いつぞやの時みたいに落としてトラックに轢かれる事態とか、ホントに御免だしね。


「……にしても、スイーツって高価だな」

「プロの仕事はどんなものでもお高いものだよ。それにスイーツは大きさじゃなくて見栄えと味が大事。小柄なことは逆にプレミア感をだすのに一役買っているみたいだ。……あー、これがボクのおやつだったらなー」


 後ろから続いて店を出てきた月夜は、その手に俺のと同じケーキ箱を持ち、しかもそれを口惜しそうに頬ずりする。

 その中にはショートケーキやチーズケーキ、タルトにモンブランといった光り輝くジュエリーのような洋菓子たちが、整然と収められているはずだ。


 俺なりに天音の好みをアドバイスして、その意見を元に月夜の判断で選んだ数々だが、その一つ一つに掛かった代金は決して安くはない。スーパーやコンビニで売っているケーキ類もいい値段すると思っていたが、ここの店の値札を見た時は思わず息を呑んだほど。


 そういう意味でも滅多に買える品物じゃない。

 スイーツは贅沢であって、贅沢は時々与えられるから贅沢ということか。


「……もういい時間だ。とっとと帰るか」

「そうだね。うん。それじゃあ妹さんのお詫びとして天馬に預けるから」


 月夜自身も自分で買ったスイーツを食べたいようで、後ろ髪をひかれるかのようにジッと箱を見詰めていた月夜だったが、本来の目的通り、ケーキ箱を俺に手渡して「よろしくね」と小さく頭を下げる。


「ああ。まかせてくれ。俺なりに月夜の印象が良くなるよう働きかけてみるよ」

「ふふ、天馬は別に気にしなくてもいい。こんなことで迷惑はかけたくないよ。これはプライベートな問題だし、ある意味、女の子同士の付き合いみたいなものだから」


 水臭いことを言う月夜に、苦笑しつつケーキ箱を受け取る。


 だいぶ気を遣ってくれているようだが、要らない憂いだな。命の恩人でもある月夜の手助けをすることを躊躇したり、面倒に思ったりするほど薄情ではない。むしろ、こういう事はぜひ頼ってほしいくらいだ。


「べつに妹を諭すくらい手間の内に入らないよ。心配するな」

「あ、ありがとう。でも、うーん。有難迷惑というか、気遣い無用というか。天馬が妹さんにボクの弁解をすると、余計に妹さんに恨まれそうな気がするけど……、――でもまあ、その心遣いはやっぱり嬉しいかな。……うん。すごく嬉しい」


 後ろ手に腕を組んで遠慮がちに笑う月夜。


 微風が俺たちの傍を吹き抜けて、小麦色の隙間から仄かに赤らんだ頬と微笑みが顔を覗かせ、不意打ちされた可愛い素顔にドギマギする。

 普段はあまり見えないから、ふとした時に見える美貌のインパクトは相当なものだ。


 おまけにあざとい。顔が覗けるときに限って心臓に悪いセリフをいってくるから、言葉を失うほどビックリする。これ狙ってやっているなら策士だが、偶然なら末恐ろしい天運だな。


 恋人がいるのにときめきそうだ。


「ボクはもう帰るけど、天馬も帰り道はしっかり周囲を警戒して帰ること。いつかみたいにトラックに轢かれそうにならないでね。ただでさえ大事な箱を二つも持って嵩張っているのだから、気を緩めちゃダメだよ」

「……そうだな。わかっているよ」

「――じゃあ、また明日会おうね天馬」


 小さく手を振って俺に背を向け、そのまま帰ろうとする月夜。

 ――だが、そういうわけにはいかない。俺の用事はまだ終わってないからな。


「月夜」

「……ん? どうしたの?」


 歩き出そうとしていた足を止めて、疑問の含んだ声で問いながらこちらに振り返る月夜。

 キョトンとした顔がまた可愛らしい。


「渡したいものがある。……まあ、ケーキ屋の帰りで渡すものなんて一つだけど」


 腕の中のケーキ箱の位置を入れ替えて、俺が買った箱を右手に持ち替える。


 そう、これは月夜から今しがた預かったお詫びの品ではなく、数分前に月夜がスイーツ選びに頭を悩ませている間に、「なんかショーケースの中の洋菓子見ていたら食べたくなったなー」と何気なく宣言して、俺自身が個人用に買ったケーキだ。

 月夜はこれを俺が食べるものだと思っているのだろうが、実は違う。


 頭の上に疑問符が浮かぶ月夜に「はいこれ」とその箱を渡す。


「え……?」

「ちゃんとお礼してなかったからさ。――俺をトラックに轢かれそうになったところを助けてくれた感謝の印。これで恩を全て返したわけじゃないけど、その一つだと思ってくれ」

「な……」


 受け取ったケーキ箱を呆然と見下ろす月夜。

 俺の言い分は理解しても、心情的に状況を完全には飲み込めていないようで、目を丸くした月夜は困惑した様子でオロオロとしながら、琥珀の視線が俺とケーキ箱を交互に行き交う。


「え、え……。でも、そんな……」

「――改めて、ありがとうな月夜。あの時にお前がいなかったら今頃俺は死んでいた」


 親しき中にも礼儀あり。俺は頭を下げて感謝の意を伝える。


 ……これで胸の中のモヤモヤが少しスッキリした。


 どのタイミングで言い出そうか迷っていたら、会話の最後まで言い出せなくて焦ったよホント。


 前々から命を救ってくれたお礼をしようと考えていたのだが、いざ実行しようと思ってもなかなか良い機会がない。機会を作ろうにも都合がつかなくて行動に移れないと、もどかしい気持ちになっていた俺だったが、これでようやく恩の一部を返すことができた。


 友達や恋人の中でもお礼はしっかりやるのが信条だけあって、ずっと後回しにしていたことを果たしたことで清々しい気分だ。心の端に引っ掛かっていた釣り針が取れた気分だな。


 ……この品に月夜は、少しは喜んでくれるだろうか?

 俺の判断で選んだものだが、好みのケーキが入っていることを祈るぞ。


「……」

「まあ何だ、女子高生がせっかくケーキ屋にやってきたんだから、自分がケーキを食べないなんて損だろ? ……まあ、結構デカい出費になったけど。でも、命を救ってもらったからな。文句は言わないよ」

「…………」


 月夜はやけに静かな様子で突っ立ったまま、両手の中にある箱をしばらくずっと見詰め続けている。


 反応らしい反応はなく、その表情は長い前髪に隠れて見えない。


 ……あれ? 何かおかしいな。


 も、もしかして月夜は甘いの嫌いとか? 

 いや、いやいや、まさかそんなはずはないだろ。


 年頃の女子は甘味が大好物の筈だ。俺の知っている同年代の女子高生も、よく教室で集まってスイーツの話をしたりしているし、鹿目も天音も洋菓子は好きで普段から幸せそうな顔で食べているのだ。スイーツという選択は間違っていない……はず。


 ……ヤバい。自信なくなってきた。


 皆がみんな甘いものが好きとは限らない。甘いのが嫌いという女子高生がいてもおかしくない。それが月夜でないとどうして言い切れる? 確証があるのか?


 ――スイーツはマズかったんじゃ、……ないか?

 ……。

 ……、…………。


「……」

「えっとー……。も、もし気に入らないなら、もっと別の良い物と交換でも……」

「――! ダメ!」


 沈黙に耐えきれず、不安に突き動かされて口から漏れ出た言葉に、パッと俺から離れてケーキ箱を庇う月夜。


 凛として良く響く声が周囲に響き渡り、近くを歩いていた学生やサラリーマンから不審者を見るような目を向けられる。


「つ、つつ、月夜! どうしたの急に! で、できれば大きな声は慎んでくれ」

「あ、ごめんなさい」


 口では謝っているが明らかに心ここに在らずの月夜。

 周囲の視線を集めてもまるで気にしていないのか、恍惚の表情で箱を抱きしめている。自分が産んだ赤子か何子のように大事に守り、もし俺が手を伸ばして取り返そうとしても、即座に逃げるためにこちらを注意しているようだ。


 確かに一瞬ケーキ箱を取り返そうかと思いはしたけど、いくら何でも警戒し過ぎだろ。


「ビックリし過ぎて大きい声が、ね」

「こっちもビックリしたよ……」

「あはは、申し訳ない。でも、それはそれとして。――これはもうボクの物……、だよね。もうボクの手の中にあるんだから、返せって言っても返さないから。絶対」

「は、はい……」


 本気の声音に圧されて反射的に頷くと、月夜も嬉しそうに頷く。


 どうやら気に入ってくれたらしい。

 俺の選択は間違っていなかったわけだ。


 一連の事態に溜息をついて、ずり落ちそうになっていたバッグを背負い直した俺は、月夜から預かったケーキ箱を左手で持つ。このケーキも早く冷蔵庫に入れたいところだ。夏場だからあまり常温に置いときたくない。


「……今度こそ帰ろう。引き留めて悪かった」

「全然いいよ。こんな素敵なサプライズがあったんだから。――ねえ、天馬」

「ん?」


 月夜から半分背を向けていた俺は、その呼び止めに視線だけを向けて応じる。

 そして――


「……ありがとう。とても嬉しい」


 と小さく、だがハッキリと、その言葉が耳に届いた。


「――ああ」


 長い小麦色の前髪越しにでもわかる。

 それはそれはとても魅力的で、見た人を恋に落としてしまう妖精の笑顔だと言われても納得できるほどの、――そう、太陽のような笑みがそこにあった。


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