28 恐怖か闘争心か
「――っ!!」
弾かれたような勢いで立ち上がる天音。
ビックリして体を引く俺を、見開かれた目から放たれる眼光が貫く。
「今なんて言った?」
「え? あ、いや」
「私が怖がっているって? もしかしてそう言った?」
低く抑揚のない声が、空虚に部屋を響き渡った。
その全身から噴き出る怒気が部屋中を満たし、怒りに呼応するように暴風が荒々しく叩きつけられ、窓ガラスが歪な悲鳴を上げる。
天音は仁王立ちで俺を見下ろし、暗闇の中で爛々と光る眼をもってこちらの身動きを縫い留めた。
「私があの女を、朧月夜のことを怖がるはずがない。あんなどうでもいい女のことで……。ありえない。絶対にありえない。でしょ?」
「あ、ああ。……そう、そうなのか?」
「そうだよ。だって私は自他ともに認める天才だから。神童だから」
迫力に押されてコクコクと頷くと、天音はニッコリと笑顔を浮かべる。
どうすればいいかわからず、取りあえず天音に合わせて引き攣った笑みを返すものの、あからさまな作り物の笑みを前にして、不安な気持ちを掻き立てられ居心地が悪い。
「あ、天音? ともかく落ち着けって。一体どうした?」
「私は冷静。落ち着くのはそっちでしょ。何をそんなにビビっている訳?」
「いやお前、客観的に自分見れないのかよ……」
放たれる目に見えない威圧感に、直視できず目を逸らす。
プライドの高い天音の事だから、指摘したらも不機嫌になるかもと身構えていたが、俺が予測していた範囲をはるかに超えている。
怒ったら笑って場を水に流そうと思っていたが、それが許される状況じゃないというこの惨状。
見込みが甘かった。――これはあれだ。ガチの方だ。
「ま、まあ座れよ。……ほら、もう一本のアイス食べるか?」
精神的にも物理的にも頭を冷やしてもらうため、恐る恐る予備のアイスを見せた。
あからさまなご機嫌取りだが、他に方法もない。猛獣に餌を上げるつもりで、平静を装いつつ天音を刺激しないようにアイスを差し出す。
いつ更なる逆鱗に触れるかわからないしな。慎重にだ。
「…………うん」
無表情のまま虚ろな瞳でアイスを見ていた天音だが、幸いにも普通に受け取った。いつにもない素直さに内心おどろく俺。
そのまま豪快に氷をかみ砕く天音を半目で眺めつつ、ひとまずベッドに再び座らせられたことにホッと胸をなでおろす。まだピリピリしてオーラと鋭い目つきで、普段の調子には程遠い状態だが、時間が経てば冷静さを取り戻すはずだ。
全く、年頃の女子高生の扱いは大変だ。全国のお父さんの気持ちが理解できる。
いつ何時どんな事でキレるのか、それがわからないのが厄介だよな。
「――怖くなんてない」
「ん?」
不穏な声に視線を向けると、そこにはアイスを食べながらも虚空を睨み、自分に言い聞かせるよう独り言をブツブツと呟く天音。
「――そう、そうだ。あの女が天才だろうと、優れていようと関係ない。私より優秀な人なんていくらでもいた。数多の分野で努力し極めた、その道の先輩たち。……でも、最終的に敵わない存在はいなかった。その分野を理解して取り組む時間さえあれば、私は誰よりも上手くやれる」
「……天音?」
「同じだ。今まで立ちはだかって来た達人やらプロやらと同じ。恐れを感じるのは理解しきれていからだ。敵わないと思うのは努力が足りてないからだ。朧月夜……、私はお前を恐れない。今は勝てなくても、不気味で理解し難くても、諦めない限り最後に笑うのは私の方だ」
「……」
か、完全に自分だけの世界に入っている。
小さい声の独り言なので全てを聞き取ることはできないが、どうもかなり目の敵にしている様子。この間が初対面だったはずなのに、一体どんな衝撃的な出会い方をすればこう親の仇みたいに敵視できるのか……。
月夜になんか失礼な事でも言われたのだろうか? 彼女は気配りができそうに見えて、変なところでデリカシーがなかったりするから、そこら辺が原因かもしれない。
フォローしておくべきか?
……いや、そっとしておくのが無難だな。
月夜の話題は今後NGだと覚えておこう。
「――お?」
「……!」
密かに今回の教訓を胸に刻んでいると、突然、明るい光が部屋を照らし出す。
消えていた電灯の明かりが戻り、闇に慣れた眼が眩しさを訴える。
「停電が、……直った?」
念のため携帯の充電を確認したら、普通に充電モードになっていた。
ホントに直ったらしい。正直、拍子抜けだ。
普通は台風時の停電は復旧に時間がかかると聞くし、そもそもまだ雨風が弱くなってないのにこうして電気が戻るのは逆に不可解。普通は台風が去ってから復旧作業に移ると思うのだが、もう復旧作業して大丈夫なのだろうか?
配電関係にはまるで詳しくないから何とも言えないが、また停電したりするかも……。
「なあ、どう思う天音?」
「……」
天音は急についた明かりを呆然と見つめる。
何が起きたかわからないという風にキョトンとしていた天音だったが、次第に状況が飲み込めてきたらしく、目の奥に光が宿って理知的な顔が戻ってきた。
しばらく無言で手元のアイスと俺の顔を見比べる。
やがてその頬が朱に染まり、アッという間に顔が真っ赤に染まった。
「~~~っ!!」
声にならない悲鳴と共にベッドに倒れ込み悶絶。
さながら隠していたポエム帳が家族に見つかった女子学生のような姿。
枕を強く抱きしめて、赤面した顔を埋めることで顔を隠している。普段、威張り散らしながらも凛としてかっこいい妹にあるまじき荒れように、ただただそっとしておくしかない俺。
そんな気遣いが逆に癪に障ったのか、枕の隙間から顔を覗かせてこっちを睨む。
「……今の私。ど、どんなだった?」
「あー、ん、えっと……。……やけに独り言多かった。こっちの声にも反応しなかったけど……、聞こえてなかったのか?」
「――!」
迷った末に正直に言ったら、寝返りを打って背中を向ける天音。
そして微かに聞こえる「やっちゃった……」と、弱々しく今にも死にそうな声。
予期せずに自分の恥ずかしい姿を見られる免疫がないのだろう。人前で失敗するような脇の甘い奴じゃないから、いざこうして醜態を晒すと月並み以上に落ち込んでしまうのかもしれない。
――まあ、別に醜態というほどのことはないと俺は思うけど……。俺にだって似たようなことあるし。ちょっと心ここに在らずの状態になったくらいで大げさだ。
「ねぇ、アニキ」
「ん?」
天音はむくりと体を起こしてこちらに向き直る。
意外と気持ちの切り替えが早くて、少しばかり面喰う。
「さっきの事は……忘れて。無様なところみせちゃったし」
「いや、そこまで恥ずかしがることないだろ。お前だって取り乱すことくらい……」
「忘れろ」
「……はい」
涙目でドスを利かせる天音。
不覚にも一瞬、ちょっと可愛いかもと血迷ったが、冷静になると普通に怖いしおっかない。月夜を怖がっていることを指摘した今さっきよりはましだけど……。
ふと、先ほどの月夜の対する異様なまでの敵愾心を思い出し、複雑な気持ちが胸の内を去来する。
月夜にはいろいろと借りがあるし、俺は彼女のことを好く思っている。
できれば天音には月夜を敵視してほしくない。
「なあ、月夜のことだが……」
「――私もう部屋に戻るよ。予備のアイスありがと。たまにはグリーンハワイ味以外もいいもんだね」
ようやく枕を手放した天音は、こちらの言葉をさえぎって早口でまくし立てる。
恥ずかしい姿をこれ以上見られたくない為か、照れ隠しに髪の毛を弄りながら、さっさとゲーム機や使用済みアイス棒といった私物を回収して、部屋を出る。
「あ……」
呼び止める間もなく去ってしまった天音。
今のはただ恥ずかしいからだけでなく、月夜のことを逆に追及されたくないからこその撤退なのかもしれない。俺も月夜に対する好意を天音にどうこう言われたくないのと同じように、天音も余計な口を挟まれたくないのだろう。
俺は点けたままだったデスクライトの灯りを消して、自分の手元に視線を下ろす。
「――。アイス、溶けちゃったな」
一悶着あった間に原型を失っていた片割れツインバーアイス。
その慣れの果てが手だけでなく床も濡らしているのを見て、俺は深いため息をついた。