24 違和感
「はいこれ。約束の『不可逆的でない時間の真実』。貸すよ」
「……あ」
図書室の帰り際に貝塚に捕まって、例の本を渡されてしまった。
本屋で見た分厚く斬新な模様の表紙。持つとずっしりとした重さの手応えが確かにあって、これを読み切るのに何時間かかるのだろうかと、嫌な予測を立ててしまう。
この本に興味がないわけじゃないけれど、分厚い本はただそれだけで読むのに気力がいる。
少なくとも、今日家に帰って読みたいとは思えない……。
「……テスト勉強とかあるし、ここ数日は余裕なさそうだから読んで返すのは遅くなるけど……いいか?」
「大丈夫だよ。感想を期待しているね」
「う、うん」
貝塚のキラキラした笑顔の眩しさに、ただ頷くことしかできない。
手の中の本が一段と重くなった気がする。貝塚の期待がこの本の上に加重されているのだろう。よほどのお気に入りというわけだ。
例え馬鹿な俺が中身を読んでいまいちよく理解できなかったとしたら、理解できるまで何度も読み返す必要があるだろう。
貝塚はちゃんと中身を理解してない感想はすぐ見抜くからな。
前にそれで不機嫌になってしまったことあるし……二度目は怒るかもしれない。
「――貝塚、早くしないと十分後のバスに遅れるぞ」
靴を履き終えて図書室から退室しようとしている梅山は、腕時計を気にしながら余裕のない声を上げる。
貝塚と梅山は家が近所にあって、それ故に下校時に二人は同じバスに乗車するのだが、どうやら、今すぐバス停に向かわないと次のバスに乗り遅れるみたいだ。
珍しく焦っている梅山の様子に貝塚も事態の深刻さを察したのか、あわあわと慌て始める。
「じ、じゃあもう行くね!」
「お疲れさま貝塚。梅ちんも」
「ああ、また明日な天。……それと、今日は風が強いから怪我しないよう注意しろよ」
別れの言葉と共に、強風が吹く中に飛び出していく二人。
その背中に見送った後、テーブルの上に散らばっていた参考書やノートをバッグに詰め込んでいると、受付に行っていた月夜が本を抱えて戻って来る。
この勉強会で早々に自己勉強を済ませていた月夜は、途中から暇つぶしがてらに読んでいた本がお気に召したらしく、帰る前に本を借りために受付に寄っていたのだ。
勉強中チラ見してみたが、どうやらタイムトラベル系のミステリー小説らしい。
「……本を借りるにしてはやけに遅かったな」
「ちょっとトラブルがあってね。――ほら、ボクって転校してから一度も図書室に来たことなかったでしょ? だから貸出カードを作るところから始めていたら遅くなってさ」
「そうか……。――って別にそれはいいんだけど」
自分で話題を振っといて悪いが、月夜の借りた本など今はどうでもいい。
事前に言い含めていたにも関わらず、梅山に対して喧嘩腰で突っかかったことがやはり気になるし、言及するのは躊躇われるけど、やはり一言入れといたほうがいいだろう。
「さっきのことだけどさ」
「……なに?」
「えっとな……。梅山はさ、でかい体格と堅苦しい性格だから誤解されやすいけど、友達思いで優しい奴なんだ。……だから今日のことはあいつなりに俺のことを考えた上での行動だと思う」
「……」
「だから梅山を悪く思わないでくれ」
冷静になって考えれば梅山の思いも理解できる。
朧月夜という少女はミステリアスな雰囲気の持ち主だ。それは悪く言うと、怪しく信用できない気配の持ち主ということ。失礼な物言いで月夜には悪いが、実際に彼女からはそういった印象を受けるかもしれない超然さがある。
俺はそれを好意的に感じているけれど、人によっては警戒心を煽る要因になるかもしれない。
そのせいで同年代の女子高生の中では、月夜の存在は一歩浮いているといってもいい。ある意味、クラスに馴染まず常に一人でいるのは、彼女特有のオーラが人を寄せ付けないのだろう。
月夜は俺の命の恩人。そして、命を助けて貰った他にも、色々と気を遣ったりお世話になったりと恩があるから、俺は月夜の事を「いい奴」だと体験で知っているし、そんな月夜を信用している。
だが、梅山は月夜とほぼ初対面のようなもの。自分の友達が胡散臭そうな美少女を連れてきて、目の前で仲がよさそうにしていたら、その関係性を怪しむのも無理ないはず。そして、実際に梅山の疑惑は一部真実なので、リアリティは充分あったのだろう。
鹿目と俺との恋人関係を快く認識している梅山にとって、咎めにくるのは自然の流れだと言える。
「……梅山は鹿目という彼女がいる俺に、悪い虫がつかないか心配だったと思う。――本来、梅山は俺に忠告すべきだったと思うけど、あの場には張本人の月夜もいたから自然と、矛先がそっちに向いたって感じかな」
月夜の姿は友達を惑わして、トラブルに巻き込もうとする悪女として梅山の眼に映った。それ故のあの風当たりの強い態度だったのだろう。
梅山は悪くない。
あえて悪いのを挙げるとすれば、それは女性関係にだらしない俺だ。
「……だけどさ。月夜も何であんな煽るようなこと言ったんだ? 困るよ正直」
「んー……。そうだね。梅山君がやけにボクを目の敵にしてたもんだから、ついついからかっちゃったな。……うん、ボクも大人げなかったよ。ごめん天馬」
「お、おう。わかってくれたらそれでいいよ……」
特に反抗するでもなく普通に謝って来たので、俺もこれ以上強く言えない。
月夜は変なところで意固地になったり、自分の行動を推し進めたりと強引なところもあるが、基本的に聞き分けがいいというか素直だ。
まだ付き合いが浅いので、本当に反省しているかどうかは定かではないけど、少なくとも話していて疲れないのは良い。
生意気な天音とは大違いだ。あいつには是非とも見習ってほしいな。
どう考えても無理だろうけど。
手持ちのすべてをバッグに収納してそれを肩に背負う。帰宅の準備は整った。
「――俺ももう帰るよ。また明日な月夜」
「うん、また明日……と、言いたいところだけど、それはどうだろうね? 明日の朝過ぎくらいから暴風域に入ると思うし、もしかしたら休校になるかも。そうなると、天馬と会えなくて寂しいな……。――ねえ天馬。明日学校休みでも登校しない?」
「が、学校が休みならもちろん来ない。決まってるだろ」
「それは残念」
軽口混じりのお誘いを適当にあしらって、俺は図書室を出て帰路につく。
頬が熱を帯びて熱い。悪ふざけだとわかっていても美少女から「天馬と会えなくて寂しい」などと言われたら、ちょっと照れるのは男児として致し方ない事。鹿目との付き合いで免疫ついていると思ったんだけどな……。
でも現実的に考えても、月夜と会うためだけに休校中の学校にわざわざ来るのは御免被る。テスト前で勉強しなくてはいけない今の現状なら尚更だ。そこまで安い男ではない。
月夜は校門までは付いて来るかと思ったが、帰る前にお手洗いに寄るとのことだったので、図書室前で別れることになった。
外に出ると強風が俺の体を叩きつけ、衣服を乱して弄ぶ。
……なんだかさっきよりも風が強く荒れている気がする。ごうごうと強風が唸り、街路樹が大きく揺れて木の葉が散り、空中で幾重にももみくちゃにされていた。
その光景に、ほんの少し気分が昂る。
――やはり、俺はこうゆう風景が無意識の内に好きなのかもしれない。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「明日の朝過ぎに暴風域? なわけないでしょアニキ。馬鹿じゃないの?」
ソファを我が物顔で占領して寝っ転がる妹が、俺の発言を鼻で笑う。
風に煽られながらも無事に家に帰ってくると、珍しく先に帰宅していた天音が天気予報を確認していた為、なんとなく「明日、台風で学校休みになるかもよ」と親切に教えてやったら、なぜか馬鹿呼ばわりされてしまった。真に解せぬ。
いきなり罵倒される兄の気にもなれ、地味に傷つくんだぞこれ。
でもまあ、天音の暴言はいつものことだし、毎度毎度苛立ちを露わにしてもしょうがない。ここは大人な態度で冷静に……、落ち着いた物腰の柔らかい対応を心がけよう。
優しいアニキに感謝しろよ。
「俺、なんか間違ってた? 知り合いに聞いた情報だったんだが……」
「私がアニキに教える義理ある? 知りたかったら自分で確認したら?」
そう言うと天音はテレビのリモコンを投げて寄越す。
こいつ……。物を投げる癖は何とかならんのか。これで俺が取れずに落として壊したら俺のせいにされるのだから勘弁してくれ。
俺以外の前では優等生を演じているから、周りに「こいつが悪い」って言っても信じてくれないし……、おかげで飛んでくるものを受け止めるのが上手くなってしまったよ。感謝はしてない。
チャンネルを変えてニュースの天気予報にする。
ちょうどアナウンサーが台風十四号のことを説明していたので、大人しく話を聞いていたらすぐに天音の言いたいことはわかった。
現在北上中の台風十四号は、並みの台風よりも強力で規模がでかいことに加え、進行速度が遅い危険な台風らしい。
この台風の規模と速度に大きな変化がなければ、この街に直撃するのは早くても明後日の昼頃、暴風域に入る時間で考えても明日の深夜くらいだとわかる。天気予報図を見れば一発だ。
つまり明日、朝から暴風域に入る可能性はほぼない。
「そういえば、梅ちんも明後日に来るって言っていたな。天気予報的にはそれが正解なのか……」
月夜は誤った情報を俺に伝えた。つまり月夜自身も台風の情報を間違えて覚えていたということ。
単純な情報ミス……、……ホントにそうか? 頭脳明晰で多芸に秀でているあいつが、そんな頭の悪いミスをするだろうか?
月夜のイメージに合わないというか、非常にあいつらしくない。
何か引っ掛かる。
「……台風が明日の朝に到達する可能性ってあるのか?」
「なに? 気象庁の発表が信じられない訳?」
腑に落ちずに浮かない顔を晒す俺を、呆れた様子で見上げる天音。
そのまま黙っていると、天音は俺に見せつけるよう盛大な溜息をつく。
「そりゃ天気予報が確実にあたるって訳じゃないし、可能性がない訳でもないんじゃない? 進行速度が速くなったら、予定よりも早く暴風域に入るかもね。……そんなこと子供でも知ってるでしょ。わざわざ私に聞く必要ある?」
「――そうだな。当たり前のことだった。ごめん」
「……べ、別に謝らなくていいし。わかればいいから……」
何故か言葉が尻すぼみになる天音は、俺の手から掠め取ったリモコンで、自分好みの番組を探しだす。
それを尻目に階段から二階へ上っていった俺は、もしこれで月夜の言ってた通りになったら、情報戦において、天才の天音よりも月夜のほうが優れているのだろうか? と、益体もないことを考えていた。