21 事情聴取
俺の高良田に対する心証はそこまで悪い物ではない。
鹿目が彼を切り捨てたこともあるが、大きな理由は想像していたタイプとはまるで違うことが違和感となって、怒りよりも疑問の方を強くイメージしたからだろう。
もっと女ったらしでキザな男をイメージしていた俺だが、初見の印象ではそんな要素はどこにも見当たらなかった。ちょっぴり口調は荒いが性格は普通で、寝取りを積極的に行おうといったプレイボーイとは程遠い男。
どうも鹿目から聞いていた人物像と違っていた。
「君はいつもそんな感じなのか?」
「なんのことだ……?」
「性格や喋り方の話。それがデフォルト?」
予想外の質問だったのか、怪訝そうに目を細めた後に首肯する。
「そう。……いや、鹿目から聞いた「高良田」という男とはあまりに違っていたからな」
「――! ……」
「次の質問いいか?」
「……ああ」
高良田の様子がどこかおかしい気がするが……、まあ、俺と居ると調子が狂うってことなのかな。俺も普段と違って、険しい雰囲気を出しているつもりで進めているしお互い様だ。
次の質問はそうだな。鹿目の証言の裏を取るか。
話によると高良田とは絶交したと言っていたが、どうだろうか?
「最後に鹿目と会った時どんな話をした?」
「……わかって聞いているなら悪趣味だな」
触れられたくない話題だったようで、あからさまに不機嫌になる高良田。
「顔も見たくない、だとよ。手酷く見捨てられたってわけだ。……事情はほとんど聞かされてないが、どうやらお前に別れ話を出されて焦ったみたいだな。すげぇ剣幕だったよ」
「……」
これは鹿目の言い分と同じだ。食い違いはない。
絶交したという話は嘘かもしれないと最悪の事態を想像していたが、それは流石に考えすぎていたみたいだ。どうも過度に鹿目を疑いすぎている気がする。
事情聴取なのだから厳しくいこうと意識しているが、緩めたほうがいいかな?
「それで、どう思った?」
「それを俺が言うと思うか? 話すのは事実までだ。感情や考えに関しては過度に話す義理はない」
高良田の内心が気になってついつい聞いてしまったが、不謹慎な問いだったか。
この状況が心底気に食わないらしく、高良田の機嫌はこちらが質問するたびに低下していくのがわかる。
彼の気持ちは理解できるが俺にも事情があるし、そもそも悪いのは鹿目を取ろうとした高良田なのだから、せめてあと一、二問は質問させてほしいとこだ。
「鹿目は君からアプローチを受け続けて心が傾いた、と、言っていたがそれは本当か? 君は好色家には見えないが」
感情を乗せないよう平坦な声音で尋ねる俺に、高良田は口元に冷笑を浮かべて答える。
「ああ。俺から迫った。何か文句あんのか? ま、あるんだろうな」
「――っ。……そうかい」
胸の底から例えようのない苛立ちが湧き上がる。
本能が目の前の男に怒りを解き放てと叫ぶが我慢する。
それは理性的な判断じゃない。早計だ。落ち着け。自分から聞いておいてキレるなんてカッコ悪い……、そうだろ? 望み通りの答えなのだから冷静な態度を貫くべきだ。
俺の葛藤を他所に、嘲笑う態度は消えてなぜか微妙な表情を浮かべる高良田。
「……くそ。胸糞悪いな。こんな戯言を言う羽目になるとは」
「ん? 戯言?」
「いや、何でもねぇよ。――ともかく、もういいだろ。俺はお前に付き合っている暇はなんてない。いい加減にどっかに行ってくれ」
ペットボトルを傾けてスポドリ飲むと、完全にそっぽを向いてしまった。
もう、話をしてくれる気はないみたいだ。
……ここら辺が引き時だろう。過度な追及は相手の機嫌を完全に損なう可能性がある。喧嘩にでも発展したら目も当てられないし、聞きたいことはだいたい聞けた。
むしろよくここまで答えてくれたと思うべきだろう。本来なら敵意丸出しで追い払われるの普通だ。俺ならそうする。
そう。意外とスムーズに話ができた。
お互いの立場と状況を考えると、流血沙汰になってもおかしくないというのに。
最初にも思ったが、高良田は俺に対してそこまで敵愾心がないのかもしれない。もちろん良い印象は持ってないはずだが、普通は浮気した女の彼氏なんぞが上から目線で「お前は俺の質問に答える義務がある」とぬかして来たら、普通は答え代わりに拳をお見舞いする……かも。
……今、高良田の立場になって考えてみたら、俺って相当ウザい奴だな。
嘘をついている可能性もあるので鵜呑みにはできないが、結論を言えば鹿目の発言とだいたい合っている。細部に妖しい点はあるが、重要な「浮気の事実を誤魔化していないか?」という心配は杞憂だったと考えていいだろう。
鹿目に邪推するようなない……はずだ。
「ふん。察するにお前は九條鹿目を疑っているのか?」
「一度裏切られているからな、鹿目の発言をそのまま信用できないのは当然だろ」
「そうか……。それはそうだな」
高良田は何とも言えない目で俺を見下ろす。
「――!」
苛立ちや、悲しみとも違う。この男の立場からすれば在り得ない憐憫の視線。
可哀想なものを見る目。俺も不幸だが、それでもこいつに比べれば自分はまだマシな方だ。といった心の声が態度からチラチラと見え隠れする。
「なんだその眼は?」
無性に苛立ちが猛り、視線に力が籠って思わず睨み返す。胸の内を沸々と言い様のない苛立ちが湧き上がり、頭に血が上る感覚を直に感じる。
そんな目で哀れまれる筋合いはない。
不憫に思うとしたらそれはお前のほうだろ。
鹿目は俺の元に戻って来てくれたんだ。お前じゃなくて俺の傍にだ。
なら、その視線を投げかけるべきは本来こちらの権利のはずだ。俺の性格が悪ければ、「美人な彼女を奪えなくて残念だったな。卑怯者の負け犬」と煽ることもできる。
なのに……どうして俺が憐憫の眼で見下ろされる。なぜ。
「……お前に忠告、…………いや、何でもない」
喉の奥から絞り出した細い声で呟き、何かを言いあぐねる高良田。
口を開こうとしては閉じ、内心の葛藤が目に見えてわかるほど躊躇した後、溜息を一つついて黙ったまま歩き出す。
「どこに行く?」
「うるせぇよ。お前の質問には十分答えた。そっちに帰る気がないならこっちから帰るわ」
吐き捨てるように言い放った高良田の背中を、俺も黙って見送る。
今の視線は気に食わないが、そっちが去るなら突っかかってまで引き留める理由はない。鹿目の発言の裏は取れたし、約束通り二度と高良田に関わらないよう生きていくことになるだろう。
今度は姿を見かけても互いに知らないふりをすることになる。
事実上、これが最初で最後の会話かもしれないな。
そうなることを願いたい。
「――ちっ」
「……?」
数メートル離れた背中が急に立ち止まり、小さく舌打ち音が響く。
高良田は急に振り返って当惑する俺の元に、嫌々といった様子で戻って来る。
ど、どうしたんだ。忘れ物か……?
「な、何?」
「……これをお前に言うのは俺にとってもマズイ。が、あの女の思うままってのもムカつくしな……。しょうがない、一つ忠告してやる」
ガシガシと頭を掻いて渋い顔を浮かべる高良田。
はい? 忠告?
「なんのこと?」
「あの女。そう。九條鹿目……。あいつは、ヤバい」
「はあ、ヤバい、ですか……」
さっきからマズイだとか、ヤバいだとか、語彙力が貧相で上手く伝わってこないな……。体育会系のこいつに語彙力を期待するのも筋違いだが、それにしても「ヤバい」とは一体?
もしや、俺と鹿目の中を悪化させようって魂胆なのか?
ならさっきの質問で鹿目の印象が悪くなるような嘘を言えば、効果的でよかったのに。
なんで今更……。
「違うそうじゃない。別にやっかみからこんなこと言ってんじゃねぇよ」
こっちの微妙な表情から察したのか、高良田がもどかしそうに突っ込む。
「……それで?」
「具体的には言えないが、あの女はお前が思っているような奴じゃない。頭のイカれた異常性癖持ちだ。関わらない方がいいぞ……、真っ当に生きたいならな」
「……」
そりゃ彼氏がいるのに別の男とイチャイチャしちゃう女はどうかしているけど。頭のイカれた異常性癖持ちって……、それは言い過ぎだな。これは流石に私怨が入っているだろう。理論的な価値観ではない。
そんなサイコパスと半年も付き合っていたら普通に気づく。
高良田も狙って誘惑した女子をヤバい呼ばわりするなんて、変わり身が早いというか何というか……。
自分になびかなかった奴はこけ下すってことなのか? 意地が悪いぞそれは。
俺を貶すのはいいとしても、鹿目を的にするのは止めて欲しい。
わざわざ戻ってきてそんな下らないこと言いに来たのか。人を馬鹿にするのもいい加減にしてもら――
――ん。あれ?
九條鹿目はヤバい、関わらない方がいい、か。
そういや、このフレーズどこかで……?
『これは、ボクが彼女の座を狙っているとか、嫉妬心からくる言葉じゃない。一人の人間として、天馬に忠告する。――あの彼女さんはヤバい。関わらないほうが身のためだ』
ああそうだ。
俺が風邪をひいたところに飯を作ってくれた月夜が同じことを言っていた。
九條鹿目は魔性の女で、頭のてっぺんから爪の先まで偽りで出来ていると。
穏やかで飄々とした月夜が、その時は険しい態度で殺気を放ち、嫌悪の感情を覗かせていた。
セリフも前問答も酷似している。彼女も「一つ忠告したい」と前置きして「騙されないように」と念押しまでされたな。
高良田もまた、月夜と同じ忠告を伝えてきた。
このことに、一体どんな意味がある?
俺は九條鹿目の人柄をまたはき違えているのだろうか?
いや、まだわからない。鹿目が悪いと決まったわけじゃない。だからこそ、こうやって話したくない奴と無理に質問してまで調査している。俺がやっていることは……正しい筈だ。
「……言うことは言った。今度こそじゃあな」
呼び止める暇もなく、あっという間にどっかに行ってしまう高良田。
結局、俺は一人ポツンと自販機の前で立ち尽くしたまま、去っていった方向をボンヤリと見続ける。
しかし、これでまた曖昧になってしまった。
鹿目の発言の言質は得たと思ったら、今度は疑いを強めるような忠告。
一体、何が正しくて何が間違いなのか?
複雑すぎて俺には何もわからない。
――今はまだ。