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19 鹿目の正体

 天馬が出て行ってしばらく経った後、私は店を出た。


 濡れることも気にせず、雨の中を突っ切って近くの公園を立ち寄った私は、そのまま女子トイレに入って伊達メガネと黒髪のウィッグを外し、手洗い場で鹿目専用のメイクを落とす。

 持ち込んだトートバッグから別の服を取り出し、「鹿目の服」から「天音の服」に着替える。


「……傘を持ってくればよかった」


 濡れるのはべつに構わないが、「鹿目の服」を天馬に見つからないよう洗濯して干す必要があるため、すぐには処理できないのが問題だ。

 おしゃれ服を濡れたまま放置しないといけないのは、女子として精神的にツライ。

 臭いとか染み付きそうだ。洗った後消臭しないと……。


「でもしょうがないよね」


 家にある傘を使うと天馬にバレるし、カッパはかさばる。手持ちの折り畳み傘があったのだけどあれは使えない。

 あの()()()()()()()()を使う訳にはいかないのだ。


 まとめてあった茶髪の地毛を開放し、いつものサイドテールを作る。

 鹿目の時に身に付けていた品をバッグに仕舞って、トイレの鏡を覗き込むとそこには武島天音の姿が。

 つまり本当の私の姿が映っていた。




 * * * * * * * * * * * * * * * * * * 




「――ただいま」

「お帰り天音。あら、貴女びしょ濡れじゃない。どうしたの?」

「ごめん母さん。傘忘れちゃって……」


 濡れネズミなって帰ってくると母さんが優しく迎え入れてくれる。

 タオルを渡してくれたので、玄関に立ったまま髪の水気をふき取りながら、靴置きに天馬が今日つかっていた靴があるか確かめる。


「アニキは家にいるよね? 今さっき帰って来た?」

「……さあ、どうだったかしら」


 天馬の話題には興味が失せるらしく、露骨にどうでもいいといった顔になる母さん。

 その様子に胸の中を黒い感情が渦巻き、母さんに対して苛立ちがつのるが、表面上はニコニコと愛想を維持したまま「自慢の娘」を演じ続ける。


「今は大事な時期だから、あまり天馬と関わっちゃだめよ。……あの子、最近はいつにもまして暗いし、何を考えているかわからないところあるから、貴女に悪影響を与えるかもしれない。貴女は天馬と違って良い子なのだから、あの子とは――」

「わかっているよ母さん。私、やることがあるから部屋に戻っていい?」

「え、ええ。わかったわ。お風呂はどうするの? 雨で体冷えたでしょ」

「心配しないで母さん」


 心配そうに見つめてくる視線から逃げる為、足早に階段を駆け上がる。


 慣れたとはいえ、猫を被るのはやはり疲れる。

 特に天馬を下げて私を褒める話はもうウンザリだ。


 母さんたちは天馬の価値を何一つわかってない。だいたい、天馬が反抗するようになったのはそっちの教育態度が原因でしょうが。子は親の影響を受けて育つのだから、二人が私にかまけず天馬にもっと愛を傾けていれば、天馬ともっと歩み寄れたはずだ。


 まあ、今となってはどうでもいいか。

 愛を注ぐのは私だけでいい。私だけが天馬を愛するのだ。


「……」


 天馬の部屋の前で数秒立ち止まり、そのまま通り過ぎて私の部屋に入る。


 扉の向こうからはハッキリと気配を感じた。

 ホントは顔を見たかったし話をしたい。でも妹としての私は天馬には会う用事は何一つない。

 それに、雨に濡れたとはいえ、鹿目専用でつけている香水がまだ匂うかもしれないので、正体がバレる可能性もある。

 今は我慢だ。


 着替えを済ませた後、ベッドに腰かけて喫茶店での話を頭の中で反芻する。

 途端、鹿目としての感情が湧き上がり胸の奥が苦しくなる。


 兄弟間でもバレないほどの演技をする以上、見た目だけだは不十分なので感情や人格すらも「なり切って」演じなくてはならない。だからこそ、鹿目の時に感じた切なさや悲しさ、天馬から向けられた怒りや失望もダイレクトに私の心を叩く。


「……うう。に、兄さん」


 天馬の訴えはもっともだ。浮気をした「鹿目」を好きなままであり続けるわけがない。

「鹿目」が天馬から嫌われるのは、最初から覚悟の上。

  ……それでも、辛い。


 こんなの……()()()()()()()()()()()



 あの凍えた目が、冷めた声が、忘れられない。


「鹿目」の経験は「天音」のものではないと、頭でわかっていてもそうそう割り切れるものじゃない。

 あの場で無様に取り乱すなんて失敗、私に限ってやるはずがないのだ。やるからには完璧にこなす。自分の心の制御をしっかりとこなし、余計な感情は面に出さない。

 一片の緩みなく、事前に決めていた鹿目の反応を演じて見せた。


 でもだからこそ。

 自分の部屋で落ち着いた今。押さえつけていた感情が溢れる。


「いやだよ……。いやだ。いや、兄さん、私を、見捨てないで。ずっとそばにいて。ずっとずっとずっとずっとずっと!! わたしは、兄さんをこ、こんなにも好きなのに……。別れようなんてそんな……。そんなの、ふざけないでよ。……ありえないよ」


「鹿目」と「天音」の情報がごっちゃになって、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 ボロボロと涙が溢れて目が熱く、嗚咽が止まらない。


 ……これ以上はマズイ。このままだとすぐにでも天馬の下へ行って抱き着き、何もかもを吐露してしまうかもしれない。それほどの絶望と感傷が全身を駆け巡っている。

 いつもの「武島天音」に戻らないと。


「落ち着け、おちつけおちつけおちつけ……。鹿目は私じゃない。――それに、ギリギリで別れるのは食い止めた」


 そう、首の皮一枚繋がった。


 今日の最低ノルマは「完全に天馬に見切りをつけられないこと」だ。

 その点で考えると、一か月間は恋人関係でいられるという条件。これは十分な戦果といえよう。鹿目の視点で考えると厳しい状況だろうが、天音の視点から見れば悪い状況ではない。


 ここからだ。この一か月間で私の計画を邪魔する障害を排除する。


「……しかし。何でこんな面倒なことに」


 本来の計画なら、鹿目は天馬をこっ酷く振っていなくなる存在だ。

 彼氏の前では純情を装いながら、裏では男と不貞を働く悪女。天馬の鹿目に対する好感が最大になる瞬間まで可憐な姿を保ち、機が熟した瞬間にその純情を踏みにじり、心に大きな傷を与えて別の男と共に消える。


 その為だけの「九條鹿目」だ。


 何年も前から両親の愛を感じられず、ようやく見つけた愛を与えてくれる存在からも裏切られる。そのショックと絶望は尋常なものではないだろう。

 人間不信に陥るかもしれないほど天馬は衰弱する。

 心が弱る。常識が瓦解するくらいに。


 そこで、私が愛を注いであげる。溶岩の熱さを持ち、抱えきれないほど膨大な私のこの愛を。


 私にはわかる。天馬とは十何年もの仲なのだ。こういう時、天馬がどんな行動をとるのかなんて手に取るようにわかる。逃れられる道理はない。最初は抵抗するかもしれないが、最後には受け入れる。

 本人は自覚してないかもしれないが、天馬は愛に飢えているのだ。

 兄弟だからという忌避感もこの時には役に立たない。愛に溺れることを選ぶはずだ。


 ――そして私たちは相思相愛となる。


「……私は兄さんがすき」


 揺るぎない真実。兄だからって関係ない。立場で愛は縛れないのだ。


 この偽装彼女という方法を思いついたのはいつだったか。

 思えばかなり無理があるし、正体がバレるリスクも高い危険な賭けだが、妹という立場で好意を向けて、可愛く振る舞い続けても天馬は一線を越えてくれないだろう。

 それじゃ意味がない。家族として愛されるだけじゃいつまでたってもこの愛情を持てあましてしまう。


 日常的に天馬に対して、辛辣な態度をとっているのはその予防線だ。普段から甘い態度だと、いざという時の私の好意を「家族としての好意」だと勘違いしかねないからだ。まあ、単純にあれが本来の自分の性格だからというのもある。


 血の繋がった私を異性として、パートナーとして愛してくれることが最上。

 ――そして、色々考えた結果が「上げて落とし、弱ったところを絡めとる」という手段。


 準備を重ねてつい半年前に九條鹿目として天馬に接近。やがて恋仲となった。

 天馬に好意を向けられるのが嬉しく、ついつい鹿目としてはしゃいでしまった半年だったが、本来の目的は忘れていない。


 私は弱みを握っている高良田という男子を脅し、浮気相手として偽装した。

 あえて天馬と疎遠になり、高良田とデートする瞬間を目撃させる。

 妹としての私が「高良田と鹿目は付き合っているかもしれない」と嘘を吹き込み、実際に鹿目として事実を認めた。逆ギレして天馬を更に傷つける展開も考えたが、私自身の心が耐えられそうになかったので止めた。


 その後は意気消沈の天馬と、なし崩しの肉体関係さえ結べればチェックメイト。

 ――だったのに。


「――拒絶された」


 その時の屈辱感と敗北の味に、ギリっと歯を食いしばる。

 天馬に性的に迫ったのは早計だっただろうか? いやでも、あれで上手くいくはずだった。いや、私の知る天馬なら間違いなく堕ちていた。私が見誤るはずがない。

 つまり、私の知らない別の要因が天馬を食い止めたのだ。


「あの女しかいない……。忌々しい小麦色の女……っ!!」


 脳裏に浮かぶのは忌々しくおぞましい怨敵の姿。


 思い返してみれば、鹿目の浮気が見つかってからの天馬の様子が、予想より少し外れていた。

 もっと、落ち込んでいるはずだった。それこそ二日三日は寝込むくらいには。

 なのに、意外と天馬は元気だった。


 きっと、あの女が何らかの形で励ましていたのだ。そして空いた心の隙間に取り入った。

 胸の空洞を埋めるのは、私の愛だったはずなのに……っ!!


「あの女の好きにはさせない。兄さんは……私のものだ」


 これで勝った気にならお笑い種。貴様の上り調子もここまでだ。


 鹿目の件は時間稼ぎ。

 邪魔な女を排除して再び天馬を振る。せっかく許した存在がまた裏切れば、そのショックは計り知れないだろう。そこで再び私が迫る。今度は物理的にも抵抗できないくらい強気に出るのがいいだろう。妹を汚した罪の意識と背徳感を上手にコントロールして、心身共に私の虜にしてあげる。


 一ヵ月の間に天馬が「鹿目と付き合い続けてもいいと思わせる」というのが鹿目と天馬の間に交わされた条件だが……。――関係ない。猶予期間で決着をつけよう。


 ここが正念場だ。

 気合は十分。なら心配する必要はどこにもない。

 私が本気で対峙してこなせなかった難題など、一つもないのだから。


 決意を新たにして、ベッドから立ち上がった私は拳を握る。


「――ただ」


 ただ、一つだけ不気味なことがある。


 私は机に置いてあった折り畳み傘を手に取る。

 美しい模様の花柄。これと同じものを天馬の部屋で見た。

 そう、小麦色の女が渡したとかいった折り畳み傘と同じ品だ。あの女と同じものを使うのは色々とマズイので、今日は使わなかった傘でもある。


「でも、それはおかしい」


 この傘は既製品ではない。

 私は様々な分野で実績を残しているのだが、これはデザイン系のコンクールで入賞した私の作品を、記念にとビニール部分のイラストにしたオーダーメイドの傘なのだ。


 つまり、()()()()()()()()()()()()


 何故これと同じ傘を、あの女が持っている?


「……あの女は、何者なの?」


 不可解かつ不条理。

 正体不明の女に対する気味悪さを感じながらも、私は敵意と憎しみを胸に恐れを捨てて、手に持っていた傘を元あった場所にそっと戻した。


俺の恋人(鹿目)が妹(天音)であるはずがない

ということで第一章が終了。次回から第二章です!


この展開。賛否両論あると思いますが、その旨を感想や評価で示してもらえるなら、それらを参考に勉強して作者の感性スキルアップに繋がります。執筆意欲も湧きます。


ご助力いただければ無上の喜びです!

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