14 家で二人っきり
寝床から起きて早三十分。時計は昼過ぎを示している。
月夜も昼食を食べてないらしいので、食卓を向かい合って共にうどんを食べていた。
「普段から料理はする方なのか? もしかして趣味とか?」
麺を啜りながら腕前の理由を探ると、月夜は返事の代わりに箸をちょいちょいと左右に振る。
「いや、嗜む程度。稀に作るかな、って感じ」
「そうなのか? 手慣れてなきゃ、ここまで素早く質のいい料理は出せないと思うけど?」
嗜む程度の腕で、これほどの一品を、短時間で出せるとは思い難い。
俺は必要に応じて自炊することもあるので、他の男子高校生と比べて料理はできるほうだと自負している。それ故に、料理がどれだけ奥深く、手間のかかる作業なのかはよく知っているつもりだ。
時間をかけてレシピ通りに作れば、そりゃそれなりの品はできる。
だが、限られた時間で創意工夫のなされた料理を出すのは、それこそ毎日の反復練習があってできる芸当。素人が一朝一夕でできることじゃない。
この料理を食べて、素人が作ったとは流石に思わない。
もしや謙遜しているのだろうか?
「今回作ったのはうどんだしね。作るの自体は簡単だよ。……前に一度作ったことがあったから偶然上手くいっただけ」
「――そうなのか? いやでも、ホントに美味しいよこれ」
予想以上に箸が進み、早々にうどんを食べきってしまう。
数時間前まで、何も喉を通らなかったとは思えない食欲。体の活力も戻るというもの。
「おかわり、持ってこようか?」
「いや、流石にそこまでしてもらう必要はないよ。腹いっぱいだ。俺のことは気にせず食べていてくれ」
「そう? じゃあお構いなく」
そのまま黙々と箸を進める月夜。
失礼かなと思いながらも、他に視線を向ける場所もないので、月夜の様子をまじまじと見る。
髪が長く、前髪で目元が隠れているのでわかりづらいが、やはり相当な美形だ。
そして、金髪とは微妙に違う小麦色の髪と、髪の間から覗く琥珀の瞳。
この二つが外見の個性となっている。
綺麗だ。見れば見るほど、引き込まれる美しさ。
考えてみれば、出会ってまだ数日の女子高生と家で二人っきりの状況。
意識しない方が無理な話だと思うが、何故か月夜に対しては変に緊張することがなく、会話に間が空いても気まずいと感じない。月夜の持つ独特の雰囲気のせいだろうか?
何を言っても大丈夫だと思わせるおおらかさが、彼女にはあった。
「髪、染めているのか?」
自然と質問が口を突いて出る。
聞いておきながらも、染めているわけではないと半分確信していた。
この髪色の鮮やかさは、染めて出せるものじゃない。
「……やっぱり気になるよね。この髪。それと瞳の色もかな?」
月夜は自分の髪を掬って、琥珀色の瞳でそれを見下ろす。
「染めた覚えはないよ。自然とこうなった」
「自然と?」
「うん。理由は説明できないけど、ちょっと事情があってね。
……そんなことよりさ。彼女さんとはどうなったの? 昨日、学校から一緒に帰ったでしょ」
話を逸らされた。
っていうか不味い話題になってしまった。
「み、見てたのか?」
「見てたよー。守ってあげたくなる系の黒髪美人だったね。ボクとはだいぶ違うタイプの……。あんな子がタイプ?」
「タイプというか……。に、日本男児たるもの、大和撫子風な美少女には本能的に惹かれてしまうもの。男という生き物であるからして、守ってあげたくなる系女子は理想そのもの……。つ、つまりなんだ。……まあ、タイプっちゃタイプだな」
「別に繕わなくてもボクは気にしないよ」
ニコニコしながら慌てる俺を観賞する月夜。
仮にも恋人になって欲しいと言うくらいだから、他の女性を立てると嫉妬されたりするのかと思いきや。肩透かしだ。
「言っとくが。まだ別れてないぞ」
「昨日今日でけりがつくとは考えてないよ。まだまだ待つ。――でもさ。ケンカくらいはしたんじゃない?」
「……それは、まあ」
あれは喧嘩といっていいのか。
一方的に俺が追及して、勝手に納得して逃げ出しただけだし……。
ああ、思い出すだけで昨日の俺は冷静じゃなかったことがわかる。恥ずかしい。
「ボクにとってはよい兆候……かな? でも喜ぶのは不謹慎だね。彼女さんに悪いか」
「俺にとっても悪いぞ。昨日のあれでどれだけ落ち込んでいると思ってんだ」
「あはは、ごめんごめん。反省するよ。――それで、彼女さんどんな感じだった?」
「……それは」
昨日の苦い体験を思い出し、口ごもっている俺に月夜はすまなそうな表情を浮かべる。
「ごめん。聞かれたくないってわかってるけど。ボクとしては気になるところなんだ。……言いたくないなら、ボクはすぐに黙るよ。嫌われたくないから。利己的な興味でこんなこと質問するなんて失礼だよね……」
「いや、大丈夫だよ。そこまで気にしてない」
昨日も天音から同じ質問をされたが、あいつの高圧的な態度と違って、こちらを気遣ってくれている優しさが身に染みる。
相手の気持ちを察して、的確なフォローを入れる手際は見事なものだ。
これには答えざるをえない。
「……彼女の鹿目に問い詰めたら、……浮気をされていたことがハッキリしたんだ。状況証拠とかいろいろあって疑っていたけど……、昨日のそれで完全に確信した。だから、何ていうか……ついカッとなって、気持ちのベクトルが振り切れて、そ、それで思わず逃げ出してしまった」
「そっか……そんなことが」
「俺も至らないな。感情に突き動かされて逃げ出すなんてカッコ悪いよ。堂々と対応するよう心掛けていたはずなのに、内心で取り乱すようじゃ、まだまだだ」
「カッコ悪くない。普通のことだって。人として当たり前の反応だし。ボクは気にしない。――むしろ、そんなピュアな天馬も嫌いじゃないよ」
首を傾けて顔を綻ばせる月夜。
小麦色の髪と相まって、まるで陽だまりのような柔らかい笑み。
意識してないのに勝手に頬が緩む。笑顔が伝染してしまったみたいだ。
「……ありがとな。出会って間もない俺に優しくしてくれて、……助かる」
「どういたしまして」
うどんを食べ終わったらしく、月夜は箸をおいて両手を合わせる。
同じように手を合わせて「ご馳走さまでした」と言うと、「お粗末さまでした」と嬉しそうに返してくれた。
「ボクが天馬の交際関係に口は出さない。……出せないが正しいか。――結局のところ、ボクはまだ部外者。天馬の家族でもないのに、彼女さんについてとやかく言うのは筋違いだ。今のボクはただ待つことだけ」
テーブルの上の食器を片付けながら、呟く月夜から微かに不穏な気配が漏れる。
「――でも、どうしても一言忠告を言いたい。無粋だけど、いいかな?」
「忠告? い、いいけど」
急に真剣な態度になった月夜に、面喰いながらも話の先を促す。
アドバイスではなく、忠告ってところがやけに剣呑だが、俺のことを考えてくれてのことだと思うし、聞くだけ聞いてみよう。
「ボクは彼女さんのことを、何一つ知らない。性格や名前すらだ」
「そりゃ、俺は説明してないからな」
「うん。でも、容姿と雰囲気なら昨日見た。だからこれだけは言える。――彼女は魔性の女だ。頭のてっぺんから足のつま先まで、何から何まで偽りで出来ている」
ぞくりと背筋を冷たいものが走る。
月夜の言った内容ではなく、一瞬、月夜から放たれた殺気にも似た、嫌悪の感情に気圧された。
「これは、ボクが彼女の座を狙っているとか、嫉妬心からくる言葉じゃない。一人の人間として、天馬に忠告する。――あの彼女さんはヤバい。関わらないほうが身のためだ」
「それは……、わかっているさ。彼女……つまり鹿目が清楚系を偽った、移り気な女性だってことくらい。昨日それを実感したし」
「いいや、わかってない。それに、そういうことでもない。ビッチかどうかなんて関係ないくらい、彼女さんは臭い。臭くて真っ黒だ」
そう言って、月夜は食器を台所に持っていく。
……臭くて真っ黒? 抽象的な説明すぎていまいちピンとこないけど、要するに鹿目とは関わらない方がいいってことは最低限伝わった。
鹿目との関係はこれっきりにするつもりだし、関わり合うのも、付き合っている今の間だけだ。それももうすぐ終わる。
学校も違うので別れたら会う頻度はガクッと減るだろう。
鹿目がどうヤバかろうと、特に問題はないはずだ。
「……といっても、ボクなんかが彼女さんを批判するのも失礼な話。この話を重く受け止める必要はないよ。ちょっとしたボクの老婆心だ。頭の片隅にでも置いていてくれ」
リビングに戻って来た月夜に、先ほどの剣呑な雰囲気はない。いつも通りの落ち着いた様子だ。
さっきのは俺の勘違い……だろうか?
「そうするよ。……今の忠告、やけに確信して言っていたけど、女の勘ってやつか? それとも……経験則か?」
「……ふふ。女の子は誰だって秘密の多い存在なんだよ。騙されないように気を付けてね」
虚を突かれたようで、キョトンとして不思議そうな表情を浮かべた後、月夜はクスクスと笑った。