13 卵とじうどん
どれほどの時間が経っただろうか。
少々、腹が減って来た。
空腹を感じるのは体の栄養が足りてない証拠であり、免疫力が病原菌と戦っているおかげだ。
動くのは少々面倒だが、ここは何か食べて体にエネルギーを送った方が風邪も早く治るといるもの。
おかゆはご飯を煮込むとできんだっけか。簡単だし、今の俺にも作れるはずだ。
寝続けたい欲求を振り切り、重い体を起こして立ち上がる。
軽く体をほぐして調子を確かめるが、問題はない。頭痛や気怠さはあるが、体力は十分にある。朝に比べれば随分よくなっている。
少し動く程度ならいけるはず。
「よし」
両手を握り気合を入れる。
部屋をでて階段を降りると、母さんが玄関に立って来客の対応をしていた。
俺には関係ないので、無視してリビングに入ろうとすると、物音に気が付いた母さんがくるりと振り返る。
「天馬。あんた家にいたの」
「ああ、風邪ひいたみたいだから学校は休んだ」
想像以上に掠れている自身の声に一瞬びっくりしたが、言うべきことは言ったのでそのままリビングの扉を開けようとしたら、何故か母さんが呼び止めてくる。
「待ちなさい。貴方にお客さんよ」
「……俺に?」
俺に用があって家に尋ねてくるとは珍しい。自慢じゃないが、知り合いは多い方じゃないのだ。
不審に思いながらも玄関に近づき、母さんの奥を覗き込む。
「――元気? 元気そうだね。よかった」
「月夜!?」
目に飛び込んでくる小麦色に意表を突かれる。
そこに居たのは、北連高校の制服を着た朧月夜だった。
何故こいつが俺の家の住所を知っている? というか、まだ昼過ぎで学校は終わっていないはずだが、どうしてここに居る? そもそも何で俺に会いに来た?
いくつもの疑問が交錯して言葉を失う俺と、微笑む月夜を興味深く視線を注ぐ母さん。
「貴方のお見舞いに来たそうよ。まさか、こんな美人の女友達がいたなんてね」
「美人だなんて、滅相もございません。お母さまの方が若くお美しいですよ」
歯の浮くような社交辞令を述べる月夜。
だが実際、天音と似て母さんの風貌は整っている。学生時代はさぞ美人だったことを窺わせる顔立ちで、モテた話もたまに聞くほどだ。
そのせいで若干、高飛車な一面も持ってしまっているが。
「あら、世辞も淀みなく言えるなんてなかなかの器量だこと」
笑みを絶やさずに愛想を向ける月夜に、母さんは斜に構えた態度で挑む。
俺に対する客なだけあって、いつもより邪険な対応だ。妹の客ならもっと丁重なくせに……。
「天馬。私は用事があるから出掛けるわ。夜には帰ってくるから昼食は自分で何とかしなさい」
ぶっきらぼうに言明する母さん。
通りで外着を着ていたわけだ、出掛ける寸前だったのか。ちょうど月夜が訪ねてきてバッタリ会ってしまった感じか。少し機嫌が悪いのはその為かもな。
「わかったよ」
「じゃあ私は行くから。後よろしく」
月夜の脇を通って、振り返りもせず行ってしまった母を見送り、月夜を家に招き入れる。
「母さんが無礼で悪いな……。何で来たかは知らないけど。まあ、入ってけよ」
「それじゃあお邪魔するよ」
一切の遠慮なく靴を脱いで、さっさとリビングに行ってしまった月夜を呆れ顔で追う。
まるで自分の家のような気安さだ。
「な、何するつもりだ?」
キッチンに直行し、持参してきたらしい買い物袋を広げて、食材を取り出す月夜を困惑気味に尋ねると、見てわからない? といった風に食材を見せる。
「お母さまがお昼は自分で何とかしなさい、って言っていたよね? てことはまだ何も食べてないんでしょ。ならボクが作ってあげるよ。たぶんそうだろうと高を括って食材を買って来たし」
「ええ!? 何でお前がそんなことまでする必要がある? ていうか学校はどうした?」
「学校なんて抜け出してきたに決まっているよ。天馬のお友達さんから話を聞いた時に、なら授業なんてサボろうって決めた。――ここに来た理由は言うまでもなく、天馬が風邪で苦しんでいるなら看病しようかと」
「……お前。いいのか?」
「もちろん」
その重すぎる行為に、唖然とするしかない俺。
普通、知り合いが風邪で休んだからといって、学校をサボってまで看病しにくるだろうか?
さも当然のように言う月夜だが、一般学生には真似できないことだ。学校など関係なしに、俺のことを考えて、いの一番に行動してくれたこと。決して軽くは扱えない。
「それは……。俺のことが」
「もちろん。天馬のことが大事だからだよ。どんな事柄よりも優先すべきことだから」
何でもない風にさらりと断言する月夜。
大胆な発言に自然と耳が熱くなり、小っ恥ずかしさに顔を背ける。
屋上でも思ったが、こいつ俺に傾倒しすぎじゃないか? 好意は嬉しいが、もっと自分のことも考えて行動してほしいものだ。
学校までサボった月夜を追い返すわけにもいかないし、一人で料理を作らせるのも忍びないが、今の俺では手伝いもろくにできない。
ここは厚意に甘えよう。
学校を無碍にするなと説教を言いたいところだが、俺を心配して来てくれたんだし、昼飯を作ってくれるのは単純にありがたい。女子高生の手料理……そういや、鹿目は作ってくれなかったな。つまり、夢の初手料理イベントとなるのか。楽しみかも。
……ていうか、こいつ料理作れるんだよな? 何か心配になってきた。ちゃんと食べられるものだといいんだが……。
考え込む俺を気にも留めない月夜は、さっさと調理を始めてしまう。
「ソファーに座ってテレビでも見てなよ。すぐできるから、楽しみにしてて」
「ああ。……ありがとうな。わざわざ来てくれて料理まで振る舞ってくれるなんて」
「好感度上げみたいなものだよ。気にしないで」
月夜の言葉に頷いて、ソファーでくつろぎならがテレビを観賞する。
平日の昼間なので、興味をそそられる番組はほとんどやっておらず、しょうがないのでオカルト好きな親父が録画していた。「世界の不思議調査団」という胡散臭い番組を暇つぶしに鑑賞する。
中東で古代人の生まれ変わりが発見されたとか、米国の宇宙人との軍事交流説の信憑性が増したとか、チベット高原に住む不思議な力を使う流派の紹介とか、日本で秘密裏にタイムマシンの開発が進められているとか。
にわかには信じられない馬鹿馬鹿しい内容を、シニカルな気持ちで流し見る。
小学生の頃は俺もワクワクした気持ちで、こんな番組を楽しんでいたが、今となっては嘲笑以外の感情が沸いてこない。
いつから俺はこんなにリアリストになったのかなと苦笑しながら、リモコンの停止ボタンを押す。
というか、キッチンに月夜がいることで、変に緊張してまるで番組の内容が頭に入ってこなかった。
家に母や妹以外の異性がいると、やけに落ち着かない。
プライベート空間に家族以外がいるとそっちに意識を取られるよな。
「お待たせ」
いつの間にか調理を終えていた月夜が食卓の上にどんぶりを置く。
「意外に早かったな」
「簡単なものだしね。どうぞゆっくり食べて」
丼の中を見ると、それは卵とじうどんだった。
アツアツらしく微かに湯気が立ち昇り、見た目は普通に美味しそうだ。
うどんはおかゆと同じく消化がしやすい食べ物で、病人食の定番。そこに栄養価の高い卵を合わせ、食べやすく切られた長ねぎが盛られている。
長ねぎもまた、風邪の時には首に長ねぎを巻けと言われるほど、風邪と相性がいいとされている。
恐る恐る食卓につき、ニコニコして食べるのを待っている月夜を尻目に、手を合わして箸をつけて口に運ぶ。
「!! う、うまい!」
口の中に広がる旨味に思わず叫ぶ。
不味い可能性も考慮していただけに、想像以上の出来に驚嘆が隠せない。
食べられる料理になるか心配だった俺が恥ずかしい。何処の嫁に出しても問題ないくらいの腕前だ。
しかもこの味……。何気に七味唐辛子も隠し味として追加されていたらしい、食欲が湧いてきて箸が進むこと進むこと……。バランスを崩さない分量で入っている七味の風味が実に俺好み。しかも、七味唐辛子もまた風邪にいいと聞く。
完璧。そう、一から十まで俺の体調のことを考えられた完璧な品だった。
これは店でお金を払うレベル。そもそも材料もこっちで出したものじゃないし、もしやこれってお礼に代金を払うべきなのでは?
「大丈夫大丈夫。お礼はいらないよ」
食卓の対面に座った月夜。
頬杖をついてジッとこちらの顔を眺めながら、楽し気に笑う。
「これで天馬がボクをもっと好きになってくれることが、ボクにとっての最高の対価になる。例えそうでなくても、ボクの作った料理を美味しそうに食べてくれるだけで、十分に見返りだよ。……うん。おかわりもあるから、安心して食べてね」
その言葉、その表情、その仕草に、ドクンと心臓が跳ね上がり、思わずときめいてしまう。
冷えた心に陽だまり温かさ染み渡る。天音の蜜が満たされる感覚とは明らかに違う、優しい風が胸に空いた穴を去来する。とても――心地よい。
ここまでされて好意を持たない男子がいるだろうか。
もちろん、鹿目のことや、気持ちの問題もある。考えることや決着をつけるべき問題も残っているが、それを抜きにしても俺の気持ちは、今のでだいぶ月夜に接近したと言っていいだろう。
胃袋を掴まれるとは、人間関係においてジョーカーたり得るのだと。
身をもってそれを実感した瞬間だった。