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12 貴方は誰?

 摩訶不思議な海中の街。誰も居ない教室に古風なバラードが流れる。


 すぐに夢だとわかった。

 記憶が曖昧だが、最近も似たような夢を見た気がする。


 手元を見下ろすと辞書の様に分厚い本。俺の名前が表紙に銘打たれているその本は、ずっしりと重く。ただ持っているだけでも腕が疲れるほどだ。


「何時まで立っているの? 椅子にでも座ったら?」


 声のする方を振り返ると、声の主の奇妙な出で立ちに眉根を顰める。


「仮面?」


 窓際の席に悠々と座っているのは、一昔前の主流だと思われる黒ずくめでスカートの丈が異常に長い制服を着た少女だった。


 それだけなら、むしろこの空間の雰囲気あっていて、違和感はないくらいだが、顔全体を覆うように装着している白い仮面の存在感が、少女の印象を奇々怪々なものにしている。


 トン、トン、トン、と。

 仮面の少女は机上の対面側を指で叩き、前の席に座るよう促す。


 逡巡の末に俺は少女に従って対面の席に腰を下ろす。


 怪しさ満点の仮面少女に近づくのは気が乗らないが、夢なら何があっても大事にはならないし、何よりその存在から放たれる情調さに、不思議と惹きつけられる気がした。


 すぐ近くで少女を見ると、改めて異常な風体に気圧されてしまう。


「お前は誰なんだ?」

「それを決めるのは貴方よ。私は誰?」


 質問を質問で返してきた少女に、俺が判るわけないだろ、と肩を竦める。


「……ま、いいか。夢なんだし、特定の誰かという訳でもないだろ」


 仮面の少女が何者かなんて、正直どうでもいい。


 パッと見た感じ、即座に害がある様子ではないので、ちょっとくらいは傍にいてもいいだろう。

 夢の中で真剣になる必要なんてない。なあなあでいいのだ。所詮、俺だけの世界なのだから。


 分厚く重い本を机の上に置き、更にその上で頬杖をつきながら、窓の傍で浮世離れした海中世界の風景を一望する。


 海に沈んだ街に人は一人もいないが、その代わり、多種多様な海の生物が自由気ままに街の中を泳ぎ回っているのが窺えた。

 小魚の群れが一つの生き物の如くひと塊で、交差点を渡っていたり、光を放つ外灯に深海生物が集まっていたりと、神秘的な風景が視界いっぱいに広がっている。


 ふと、少女の方を向くと、彼女もまた外の景色に仮面を向けていた。


「……こんなに世界が美しいのは、やっぱり人がいないからよね」

「? 海に沈んだ街が綺麗だからじゃないのか?」

「違うよ。人が作るものは便利で時に美しいけど、人自体は醜く、煩わしさの象徴だ。だから、この誰も居ない街は心に迫るものがある」

「……なるほど」


 少女の言を自分なりに解釈し、改めて世界を見渡す。

 確かに人が居ないことで神秘的な情景を生み出すことに一役買っているのは、あるのかもしれない。


 人は煩わしさの象徴……か。


 この夢が俺の心象を現した風景なら、俺は社会に対して幾らかのストレスを感じているのだろう。人は誰かと繋がらないと生きていけないし、常に誰かと繋がっていたいと思うものだが、俺はそれを鬱陶しく思い、人に関わるのを面倒だと深層心理で考えているかもしれない。


「……それでも、誰も居ないのは寂しいな」


 自嘲気味に呟くと、白い仮面がこちらを向く。


「何言っているの? 貴方以外にもう一人いるじゃない。貴方に寄り添うことができる女の子が」


 自分の胸をトントンと指で叩く少女を、胡乱げに見遣る。

 一切の柄が付いていない真っ白の仮面が、窓の外の光を反射して妖しく光った。


「お前みたいな。誰だかわからない奴と一緒にいてもな……」

「それこそ貴方のせいでしょ。私が何者なのかわからないのは、貴方が誰と一緒に歩んでいきたいのかをハッキリさせないからよ。この貴方だけの美しい世界で、共に居たいと思うパートナーを未だ定めていない。保留にしている。だからこその仮面なのよ」


 心臓がドクンと大きく鳴り、目を見開いて仮面の少女を凝視する。


 驚く俺の様子を鼻で笑いながら、少女は自らの仮面を忌々しそうに撫でる。


「誰にするかは貴方の自由。いつ決めるかも貴方の自由。でも、こんな鬱陶しい仮面は早く脱ぎ捨てたいものね」

「お前は……一体……」


 そこで初めて気が付く。


 仮面で顔が判らないのはもちろんのこと、体格や、身長、髪の色や長さすら、見えているはずなのに頭に入ってこない。認識できないのだ。彼女を構成する特徴を何一つ知ることができない。


 わかっているのは、古風な学校制服を着ていることと、恐らく同年代だろうということ。

 仮面の下で、怒っているのか、泣いているのか、笑っているのかすら、知ることはできない。


 それ以外は何もわからない。正体不明な彼女。


「……時間ね。じゃあまた会いましょう。――愛しい人」


 抑揚のない声で、少女は告げる。


 そこで、夢が醒めた。




「……ん。んん……。……さ、寒い」


 身に突き刺さる冷気が、微睡む意識を叩き起こす。


 いつもの柔らかい寝床ではなく、固い簀の子の感触に違和感を覚えて目を開くと、透き通った青空が視界に飛び込んでくる。


 体の芯まで冷え切った体を起こすと、そこは自室のベランダ。


 全身の震えを抱えるように抑えながら横を見ると、箪笥に閉まってあった一般の天体望遠鏡が設置されているのを目に入り、事の顛末を思い出す。


「そっか。夜空を見ていたら……」


 仮眠といいつつ数時間も寝て、真夜中に目が覚めてしまった俺は、月夜の提案通りにベランダでカップラーメンを食べながら、月見と興じていたことを思い出した。


 夜食を済ませた後も、眠気がないことを理由にして、天体望遠鏡を持ち出して夏の夜空をいつまでも眺めていたら、気が付けば寝落ちしていたらしい。


 道理で夏場なのに異様に寒いと思った。


 夏の蒸し暑い夜といっても、早朝になると結構冷える。着ていたパーカーを毛布代わりにしていたとはいえ、外で寝ていたらそりゃ凍えるだろう。

 寝ぼけていても、寝るならせめて自分の部屋に入ってほしかったな。昨日の俺。


 やけに重い体を引きずって自室に入り、時計を確認する。


 時刻は八時過ぎ。完全な寝坊ではないが、すぐに自宅を出発しないと学校に遅れる可能性もある微妙な時間帯だ。


「……急がないと」


 慌てて制服を取って、袖を通そうとして体の異変に気づく。


 やけに体が怠い。怠すぎる。立っているのも億劫になるほど身体に力が入らない。

 頭痛も酷く、ズキズキとした痛みが思考の邪魔をする。吐き気がある気もして来た。


 激しく嫌な予感がする。


 体の不調を感じながらも、時間がないのでそのまま制服を着終え、鞄を抱えて階段を駆け下りる。


 思った通りに足が動かず、躓きそうになりながらもリビングに辿り着いた俺は、真っ先に体温計を引っ張りだして、自身の熱を測った。


 案の定、体温計の表示は37度8分。

 平均体温が低い俺からしたら、相当な高熱。明らかな風邪だった。


 迷いは一瞬。すぐさま学校を休むことを決意した。

 高校生にもなって、風邪で学校を休めてラッキーなどとは思わない。

 休んだ分だけ高校の授業についていくのが大変になるし、内申にも響く。本音を言えば風邪なんか無視して、薬を飲んででも学校に行くべきだ。

 が、別に無理をして登校するのも辛い。


 熱や気怠さは我慢できるが、頭痛は不味い。こいつがある限り授業の内容などまるで頭に入ってこないはずだ。体を酷使して風邪が長引いてしまうのも問題だし、風邪の病原菌を教室に持っていくのも忍びない。


 一日くらいは家でゆっくり休もう。

 ついでに精神的な疲れも一緒に休ませることもできるしな。


 学校の番号に電話を入れて、風邪気味で発熱もあるので一日休みを貰う旨を伝えた後、朝食を食べようとしたが、立っているのも辛くなり、結局そのまま部屋に戻る。


 ちなみに父さんは仕事に、天音は学校に行ってもういない。母は基本、朝が弱いのでしばらくは起きてこないだろうし、俺にも関わらない。

 一人寂しく毛布に包まって風が治るのを待つしかできない。


 そのまま寝ようとしたが、ふと思い出して携帯を取る。


 梅山の連絡版を開き、風邪で学校を休むことを伝え、できるなら月夜にもそのことを伝えてほしいと書き込む。

 月夜は屋上で待っているなどと言っていたが、やってこない俺を待たせる訳にもいかない。


 即座に帰って来た梅山の「承知」の文字を見て、俺は安心して眠りに落ちた。


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