1 目撃したものは……
俺の恋人であるはずの少女が、見知らぬ男子と腕を絡ませて歩いている。
妹から頼まれた買い物の帰り。自宅への帰路についていた俺は、不幸にもその瞬間を目撃した。
会話を楽しみながら先に進んでいく二人。最近は見せてくれなくなった向日葵のような笑顔を浮かべ、男子に寄り添っている姿は、傍目から見れば仲良しカップルに見えるだろう。
数十メートル先を歩く彼らは、後方で一人立ち尽くしている俺に気が付く様子はない。
夕暮れにて、西に沈む太陽がジリジリと肌を焼くのも構わず、呆然とその光景を見つめる。
「……ウソだろ」
思考が理解を示さず、感情が現実を受け入れてくれない。
頭ではわかっていても納得できるわけない。まさか、あの彼女が、あれだけ優しく親しくしてくれた彼女が、まさかそんな……。
喉がカラカラに渇き、頭から血の気が引いていくのが分かる。
少しずつ小さくなる二人の背中。何かしなければと思うが、思考が真っ白になって考えがまとまらない。
二人に近づくべきなのか、この場から立ち去るほうがいいのか、力の抜けた左手から滑り落ちた買い物袋が、ぐしゃりと鈍い音を立てるも拾おうとすら思えない。
一体この状況はなんなのか? なぜこんなことになっているのか。
――いや、本質はわかっている。考えるまでもない。
繁華街で楽しそうに男子と闊歩。つまりはデート。
浮気である。
もちろん、勘違いの可能性もある。二人はそういった関係ではなく、何らかの事情があり、俺の早とちりということもあり得る。
それでも拭いきれないドロリとした予感。
ここ最近の彼女の素っ気ない態度、会話していてもどこか上の空、遊びに誘っても常に用事があると都合悪く、今日もこの時間帯に誘ったが、体調を崩した友達の代わりに委員会の手伝いに出るからと断られた。
思う所はあった。彼女との仲が冷めていると。彼女の様子がおかしいと。
ただ浮気だけは絶対ないと思い込んでいた。彼女に限ってそれはないと高をくくっていた。今日の誘いだって友達の為なら仕方ないなと笑って流した。
彼女がそういうことをするとは思えない。
そもそもなぜ? どうして?
「鹿目……」
長い黒髪で、眼鏡の似合う文句なしの美少女、九條鹿目。
彼女とは四ヵ月前から付き合っていて、ここらでは優秀な人材を輩出していると有名な天望高校の生徒だ。容姿よし、勉学よし、性格よしの完璧なスペック。俺には勿体ない自慢の彼女。
同じ天望高校に通っている妹経由で、偶然知り合ったのがそもそもの始まり。鹿目の可愛さに若干どぎまぎしながらも話しをしてみると、共通の趣味を持っていることが発覚。
同好の士との出会いに、調子を良くして熱く語り合った後、「せっかくだから連絡先を交換しないか?」と切り出せたことは、まさしく薔薇色人生の分岐点となっただろう。
今の気分は薔薇色どころか灰色に近いが。
鹿目の笑い声が耳に届く、会話は遠すぎて聞き取れないが、どうやら相手の男が言った冗談がたいそう鹿目のお気に召したらしい。実に楽しそうだ。
腕を引く彼も爽やかな微笑みを浮かべながら、しっかりと彼女をリードしている。
よく見たら男も鹿目には劣るものの、なかなかの好青年で、身長が高く、服の上からでも鍛えていることが感じられた。男の俺から見てもモテそうだとハッキリわかる。鹿目と釣り合いが取れていてお似合いに見えた。
その点、俺はどうだろうか?
武島天馬。十七歳。中肉中背の体格。頭も大して強くなく、部活もしてないので肉体派でもない。何か秀でた特徴や特技もなく、恋愛は今回が初。
美形な両親の血を引いているので、整った顔つきと体つきはしていると信じているが、根暗な性格やボッチ体質ゆえか、今まで女子からモテたことなど無い。つまり女性から見て特に魅力はないということ。
目の前の男子との差は歴然だ。
つまりはそういう事なのだろうか? そういう話になってしまうのか?
愛想が尽きた? そして別の恋を見つけた? 物件のいい方に鞍替えしたということか?
俺のなかで何かが崩れる。
それはきっと彼女に対して抱いていた信頼。これまで培ってきた彼女への愛のようなもの。凍てついた心中から崩れた思いがボロボロと零れ落ちていく。
俺自身になにか至らない点があったのかもしれない。鹿目がそのことに我慢して付き合っていなかったなどと、どうして言えるだろう。一概に彼女を責めることはできない。
百歩、いや万歩譲って愛想を尽かして離れていくのは仕方ない。それは俺が至らないのが原因だ。
本当に好きな相手ができたから、別れて欲しいと切り出されたなら、まだ納得はできる。その別れ言葉は人としてどうかと思うが、泣く泣く身を引くだろう。
――だが、それでも……それでも。
まだ別れてすらいないのに、他の男とデートはあんまりだ。
これではプライドも愛もズタズタではないか。
「それだけは、してほしくなかったな……」
俺がその場でできた唯一のことは、その一言を漏らすだけだった。
結局、二人の背中が小さくなり、姿が見えなくなるまで一歩も動くことができなかった。
見誤っていたのだ。九條鹿目という少女のことを。
今時珍しい男の一歩後ろ歩いてついていく大和撫子のような、そんなイメージを彼女にもっていた。派手ではないが礼儀正しく純情で、気の合う文学少女。
俺の愚かな勘違いだったのだ。
通り過ぎていく歩行者に不審そうに見られていることに気が付き、放心状態から解放された俺は、さっき落とした買い物袋を拾い上げる。
鹿目たちが歩いていった道がいつもの帰路だが、彼女たちに再び鉢合わせても面倒なだけだ。多少回り道になるが、別の道順から帰るしかない。
目頭が熱くなり、涙が零れ落ちてくるのを何度も拭いながら、我が家の方向へ足を向ける。
何もしたくないし、何も考えたくない。
家に帰った後は風呂を済ましてさっさと寝てしまおう。夢の世界ならきっとこの胸の痛みも消えているだろうから。
「こんなことなら……キスくらいさっさとすればよかった」
今度、鹿目と会うのはいつになるだろう。
このまま自然消滅して、付き合っていた事すらなかったことになるのだろうか?
ある意味、それがお互い傷つかない為にいいかもしれない。
浮気の現場を目撃するまでは、鹿目と過ごす時間は一番幸せな瞬間だと確信していたが、今となっては次に顔を合わせるのが、憂鬱で憂鬱で仕方ないのだから。