☆79 ブラックサーペント討伐
モスキーク領に仕えている元獣人傭兵団のメンバーは、皆やる気に満ち溢れているようだった。
銀色の鎧を身に着けたタオラの麗しき姿。今はマケインの隣で山道を歩いている。中ぐらいの剣を下げたデルクやトシカはその前を行き。そして、大剣を軽々持ち上げているアドルフが一団を率いていた。
「おい、トシカ。競争といこうぜ。どちらが先にブラックサーペントをぶっ殺すかよう」
デルクの野蛮な言葉に、理知的なトシカは溜息をつく。
「そうですね、負ける気はしませんが、流石にそれは不謹慎というものでしょう。この領内でも既に犠牲者が出ている現在、競争事のタネにするものじゃあない」
「おいおい、気弱なこと言ってんじゃねえか。まさか自信がないとでも?」
「それこそまさか」
にらみ合う両者に、タオラが眉間にシワを寄せる。
「……二人、とも。落ち着いて」
「はっはっは、これほどの大物だ。獣の血の気が騒ぐのも無理はない」
傭兵団のリーダー、熊獣人のアドルフが大笑いをした。
豪快な笑みに、今回もどうにかなるんじゃないかとマケインは言いようのない安心感に包まれる。
「みんな。こんな俺だけど、よろしく頼むよ」
「モスキークの後継、もっと強気にならなくては。貴方は幼くとも我ら獣人を取りまとめる主君であるのですから」
「そ、そういうものか」
タオラがこくりと頷く。縞柄の尻尾を絡めて真剣な顔で迫られる。
「……マケインは私の唯一。まだ子作りもしてないのに、死んだら許さない」
「ぶっ……」
マケインは反射的に噴き出す。
これは、もしものことがあったらタオラに地獄まで追い回されそうだ。むせ返りながら顔を真っ赤にした少年が赤い目で前を見ると、不意に生ぬるい風が辺りを包む。
(なんだ? この気持ち悪い感覚……)
天高く飛ぶ鳥たちが、地を進む蟲が、一斉に逃げ出していく。
しんとした静けさの中、奇妙な寒気が背筋を這いまわった。
「……――――この気配は、くる!」
振り返ると、モスキーク男爵に連れてこられた農兵の人間の男一名の悲鳴が後方で上がったところだった。
ぐしゃり、と骨が砕かれる嫌な音がした。
「……た、たすけ……っ」
下半身を砕かれながら絡みつかれ、蛇の頭によって今にも喰われようとしている農兵の助けを求める震え声が辺りに響く。
ずず、ずず、となまめかしく黒い蛇の腹が動いている。
(まさか、こんな軍の後方に出るなんて……っ)
マケインの立ち位置からはまだ距離がある。しかし、この状態では人質をとられたようなものだ。氷魔法が使えない。
一斉にモスキーク男爵の号令で矢が放たれた。
「だめだ、鱗で滑っている!」
なんて丈夫で艶々とした鱗だろう。有効打となる一撃は得られない。
尾を振った大蛇の勢いで、風を切った弓矢が弾かれる。
「弓矢は使えない、か。だったら、剣ならどうだろうね?」
このままでは、強者の雰囲気に呑まれる――。
充血した眼差しのトシカが、剣の柄に手をかけようとした。
一緒に居た農兵の一群。本能が悲鳴を上げた彼らは、抗うように我先にと逃げ出そうとしていく。
人の波に逆らうように、トシカとデルクが地面を踏み切った。
高速で敵に向かう二人。しかしながら、犠牲者の絶命には間に合わない。
「…………ぁ……、」
虚ろな最後の一言。
人質となっていた兵士の首が千切れ、噴水のように鮮血が噴き出した。息を呑んだマケイン、誰もが身を竦ませる。
「ああああああ、スプリングラビット!」
張り上げた声! 宙に飛んだトシカの剣からは、叩きつけるような斬撃が降り注ぐ!
「ウルフバーク!!」
大きく吠えたデルクの技が、蛇の尻尾に叩きつけられた。
「く……、くっそ、かてえ!!」
煩わし気に振り払われた勢いで、剣の刃が弾かれる。しかし、わずかについた傷を見て、マケインの隣にいたタオラが静かに微笑んだ。
「効いてない……わけじゃない」
マケインは慌てて大声を出す。
「気をつけろ! ブラックサーペントの牙には毒がある!」
体毛を逆立てたデルクが狂ったように叫ぶ。
「一撃で駄目ならば、何度も叩き切るのみ!」
その声が轟いた時のことだった。
誰もいないと思っていた木陰に、何者かの影が差す。ゆらいだ空気と共に現れたのは、土埃のついたマントを羽織った中年の男性だった。その左目には、立派な古傷がある隻眼の持ち主だ。男は、気を失っている少女を抱えていた。
「ふん、何事かと思いきや、邪魔な人間と獣人の群れだな。お主ら、何者だ?」
見たところ傷のない少女の姿を見て、マケインは少々安堵する。
「俺たちはモスキーク家のブラックサーペント討伐軍だ! 女の子と一緒に早くこっちに来るんだ! こんな処にいたら、魔物に襲われるぞ!」
「襲われる? 儂が?」
にやり、と笑い、男性はブラックサーペントの前に立って両腕を広げた。不思議なことに、大蛇は大人しく首を垂れる。
「儂は邪神教の敬虔なる信徒、アザレアだ。聖なる邪神様の名代にて住んでいる人間を根絶やしにし、カンナ様へ献ぐためにこの地へとやってきた。この拾った少女は、邪神様への贄とするつもりだ」
邪神教?
聞きなれない単語に呆気にとられていると、相手の眼が不穏に輝く。
「よほど恨みを買っていたようだな、モスキーク男爵家は。少し刺激してやれば、カラット家の当主は簡単に協力する姿勢を見せた。それもまた、世の不条理よ」
不条理とはこんな使い方をする言葉であったろうか。
しかしながら、アザレアと名乗ったこの男の危険性が理解でき、マケインは奥歯を噛みしめ一歩後ろへと引いた。
「まさか、今までモンスターが妙な動きを見せていたのはお前が原因か!」
「勘のいい餓鬼だ。この指輪が見えるか。モスキークの子どもよ。活発化させたモンスターは、この魔道具で使役することができるのだ。これと同じものを、邪神教の団員達は複数所持している。この意味が分かるな?」
「…………!」
なんて危険な存在なのか。
云われた台詞の意味を皆が飲み込むまで、三秒ほどの時間を要した。
静まり返った空間。マケインは、厳しい表情で問い詰める。
「カンナ、といったな。まさか、お前たちはリュール宿場町を襲い、獣人の村を壊滅させた魔族の仲間か?」
「ほう……カンナ様のことをご存じでしたか」
にたあ。
そんな効果音がつきそうな嫌らしい笑みを浮かべ、アザレアは自分の尖った耳を見せた。
「いかにも、魔王カンナ様は邪神様のしもべとして我ら魔族の再興を目指しておられる! ……そして、これ以上貴様に教えることなど何もない!」
指先を鳴らし、アザレアは高笑いをした。
その合図と共に、血塗れの大蛇がゆっくりと鎌首を持ち上げる。
前方、ルドルフたちのいる方角から甲高い剣の音が聴こえる。どうやら、突然現れたゴブリンの集団に急襲をかけられたらしい。
「っ 父上!」
前方と後方で討伐軍が分断されてしまった。
「油断は命とりだ、獣人を率いる少年よ。最後に、貴様の名を聞いてやろう」
アザレアがマントの中から取り出した杖を向けられる。周囲はブラックサーペントやゴブリンの相手をするので精一杯だ。
一気に乱戦状態になった山の中で、追い詰められたマケインは叫んだ。
「覚えとけ、そしてカンナに伝えろ! 俺はマケイン・モスキークだ! 女の子を返せ!」
ふん、と皮肉めいた笑みを洩らしたアザレアが、握りしめた杖を振り、一体のゴーレムを錬成する。
「毒蛇にやられずに儂の得意な土魔法で倒されることに感謝するんだな、そして死ぬがよい! マケイン・モスキーク!!!」
ぐらぐらと視界が揺れ、中ぐらいのゴーレムがこちらへと突進してくる。
鈍足ではあるが、力強い動きにマケインが思わず目を瞑ると、大きく衝撃音が鳴ったのが聴こえた。
目を開くと、ゴーレムの片腕を剣で受け止めたタオラがいた。
「……こいつ、故郷の、仇! いかせない!」
「そんな武器で止められるとでも!」
アザレアの嘲笑にも、タオラは負けない。
「……マケイン、魔法をお願い!」
「でも、この状況で撃ったらみんな巻き添えになる!」
「大丈夫、私達は避けられるから! 全力で撃って!」
(ええい、致し方無い。こうなったら皆を信じるしかないか)
マケインは、青ざめながらも覚悟を決めた。息を深く吸い込み、考えてあった魔法の詠唱を始める。
『お客様、いらっしゃいませ。本日の《メニュー》はお決まりでしょうか?』
『……保冷』
まずは食神スキルを使う。キラキラと、空気中の水分や血液が、ひんやりとした結晶になり始める。
寒さで明らかに蛇の動きが鈍くなる。霜の降りてきた辺り一面、タオラが唸りながら怒鳴った。
「みんな、避けて!」
『俺は料理人!《フローズンシャーベット》! いけ、アイスフィールド!』
獣人たちは、一斉にタオラの合図で跳躍をする。天の上、高くジャンプした獣人たちの足元を、氷が波のように固まっていく。
トシカが女の子に当たる寸前の氷を剣で相殺する。
少女の体躯を抱き寄せたアザレアは、土の壁を築いて残りの魔法をガードした。
足元が封じられ、動けなくなったゴーレムの関節部分を、タオラが狙う。
「トリプル・クロス!」
それは、見事なる三連撃の剣旋。
タオラ・ミククの剣から放たれた銀色の連撃によって美しく切り裂かれ、粉々になった土人形が空中分解した。
「……まだまだぁ!」
振り返ったアザレアがマケインに近づき、杖を振ろうとする。
男の影が少年の眼前へと伸び、今にも殺されようとした瞬間、
「こっちだってまだ終わっちゃいない!」
マケインの手から鋭く伸びた氷の槍が、激しく敵の腹部を貫いた。串刺しとなったアザレアが愕然として呟く。その口端からは赤い泡があふれ出した。
「なぜ……無詠唱で?」
「『保冷』の効果だ。氷魔法の冷たい時間を拡張したんだ」
「そ、んな……まさ、か」
力なく痙攣し、アザレアの虚ろな眼差しが濁っていく。
男の指にはめられていた指輪が小さく割れ、地面へとバラバラに落ちた。それと同時に、ブラックサーペントの首がアドルフによって切られる。
「マケイン! 無事か!」
ようやくゴブリンの大群を倒すことができたルドルフが、焦った様子で馬を駆ってこちらに来た。力強く抱擁をされ、その圧に息ができなくなる。
「よくぞ生き残った! まさかゴブリンまで現れるとは……しかし、この死んでいる男は誰なのだ? この氷は……魔法の痕跡か?」
「この人物は、魔族です。どうやら森の生態系に関与して、ブラックサーペントを使役していた」
「それはまた……」
ルドルフは眉間を寄せる。
「事情は後で聞こう、陰謀だなんだは俺には分からん。とにかく、お前が無事であったことが何よりだ」
マケインは、腰が抜けそうになりながらも少女の元へと近づく。泥だらけになりながらも綺麗なままの肌に、規則的な穏やかな呼吸にホッと安堵した。
「ああ、良かった……」
この子が無事に見つかって、本当に良かった。
蛇の腹を裂き、丸のみにされた農兵を出そうとしてみたものの、青紫色になった肌を見て、アドルフが呟いた。
「分かりきっていたことだが、こいつはもう……助からんな」
凄惨なその遺体は、悼ましかった。
誰もが目を伏せる。
たった一人。されど、一人の戦死者。
どこまでも冷たい氷の中、際立つくらいの死の匂いがしていた。




