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☆29 準備期間は大事だと思うんだ



 一口にパンと水を売りだすといっても、その準備は色々ある。まずは原料の小麦を確保しないといけないし、沢山のコップや大きな瓶も必要だ。

そうなってくると、若干の人手がいる。

非力な女性や子どもだけでは重い荷物を動かすのも大変だし、売り上げを狙った犯罪に巻き込まれてしまうかもしれない。


「ん~、どうしたものかな」


「マケイン様、何か悩み事ですか?」

 考え事をしているマケインに、ドグマが訊ねる。


「いや、やっぱり売りに行くには男手が必要だなあと思ってさ。父上は、御自分の仕事で忙しいし、協力してもらうのは難しいだろ」

「それなら神殿に助けてもらえばいいことなのでは?」

 不思議そうにそう言ったドグマに、マケインは渋い顔を返す。


「……いや、今後のことを考えると、食神殿には余り借りを作りたくはないんだ」


 マケインの発想とはしてはこういうことだ。

 もしもトレイズに愛想をつかされた場合、神殿の面倒になりすぎているとその時点でそれまでの不満が噴出して酷い目に遭うことが予想されてしまう。

何か罰を受けるかもしれない。もしくは、火あぶりにされてしまう可能性もある。

 こんなぽっと出の貧乏男爵家の長男坊に偉そうな態度で色々命令されれば、使われる人間の心理としてやがて恨まれても仕方ない。

よしんばそういうことにならなかったとしても、あれだけの啖呵切って引き取ったドグマを養うのに神殿の手を必要以上に借りてしまうのはかなり格好悪いのではないだろうか。


「……できれば、その。少しは低級貴族でもプライドってものがあるだろ。俺だって」

 マケインの言葉に、ドグマが呆れてため息をついた。


「全く、今更何を云っているんですか」


 そもそも、マケインにとっては自分が食神に選ばれたという自覚が薄い。周囲の人間から見れば驚くべきことに、この少年はトレイズのことを神ではなく普通の女の子のように感じているのだ。

 本来だったら図に乗って傲慢に振舞ってもおかしくはない立場で、あくまでも自分の力で問題ごとを解決しようとする異質さ――それに気付いているドグマは、言いたいことをぐっと堪えた。


(そもそも! アンタの言葉だったらいくらでも人間なんて使いたい放題だろう! 神殿の連中は神のいとし子の要求なら大喜びで無償奉仕しようとするものだ。この方は、御自分のお立場が本当に分かっておられない!)……と元神官のドグマは頭痛を感じる。


「……無欲もいい加減にしてください」

「うん?」


「そうですね、だったら適当な人間を領地から手伝いに雇えばいいのではないですか」

「雇うって……どうやって声を掛けたらいい?」

「それこそ、冒険者ギルドに依頼すればいいでしょう」

 そのドグマの言葉に、マケインはうっと息を呑む。視線を彷徨わせながら絞り出すように呟いた。


「……実際問題として。その金が、今は殆どないんだけど」

「信者からの献金はどうなさったんです」


「怖かったから全部神殿に返したよ」

 貧乏貴族であるマケインの手持ちは少ない。肝心のドグマから貰った金銭は、すでにルリイとミリアの新しい洋服と、パンと水の原材料代に消え去ってしまう寸前だった。

些かな資金不足。その現実を前にして、考えなしの主人を持ったドグマは半目になる。


「まあ、売りに行くのは僕がなんとかします。モスキーク家の家紋を使わせていただければ、それほど変なこともおこらないでしょう」

 もしも何かあるとすれば他の悪い貴族からのちょっかいだが……。そのことを考えていても何も始まらない。頭を抱えているマケインがうんうん唸っていると、通りがかったマリラが厳しい表情でこちらに話しかけてきた。


「……マケイン。考え事をしているところ申し訳ないけれど、一つあなたに確認しておきたいことがあるの」

「なんですか?」


「あなた、あのパンと水を売りに行くのはいいけれど、どれくらいの規模でやるつもりなのかしら?」

 その質問に何も考えていなかったマケインは、首を捻って答えた。


「……一日四十個くらいかな?」

「…………本気で云ってるの?」

「あ、もしかしてうちの暖炉で焼くには多かったですか?」


 眉間にシワを寄せたマリラは卒倒しそうになった。

 ふるふる震えて息を吸い込んで叫ぶ。


「――この大馬鹿者! ぜんっぜん足りやしないわよ!!」

「えっ」

 天然無自覚少年のマケインは、初めて動揺した。


「食神様がお認めになって! 食神殿の神官長様がご推挙してくださった新しいパンが、一日たったの四十! 四十ですって!? 冗談もほどほどにしなさいよ!」

「で、でも売れ残ったら困るじゃないですか」


「売れ残るはずがないでしょう! それぽっちしか売らなかったら暴動が起こってしまうわよっ」

「でも、うちの暖炉でも焼ける限界があるというか」


「他所の暖炉の手配までしないと間に合わないわよ! まさかマケイン、全部エイリスに作らせるつもりだったの!?」

 図星を指され、マケインは絶句してしまう。

むしろエイリスだけでは不安だったので自分が率先して台所に立って作業するつもりだったとは、とても言えない雰囲気だった。


「私の実家の商会に話を通しておきますから、そんなところで不毛な会話をしていないで早く会いに行きなさい……!」

 今までにない迫力で、マリラは威圧的に指示を飛ばした。

その恐ろしさにマケインとドグマは足先から震えて頷くしかない。ようやく血の気が引いて現実が見えた二人に、マリラは大きな声で宣言した。


「これは、すでにモスキーク領の一大事業です! 頼むからお小遣い稼ぎの感覚でやらないでちょうだいっ 我が家の名誉がかかっているのよ!」

「は、はい!」


「特にドグマ! このおバカさんと一緒にぼーっとされていたんじゃ困るわ、あなたはそれでもマケインの従者なんですからね!」

「はい!」

 まくし立ててきたマリラの燃えるような厳しい目に、思わず俺とドグマは義母の前で正座をするしかなかったのだった。

そういう事情で、俺はマリラからの紹介で、モスキーク領で手広く商売をしているストーン商会の主人と会うことになった。





 自分の持っている中で神殿にご加護をいただきにいった時以来の、最も綺麗な一張羅を身にまとったマケインは、彼女の言葉に叫んだ。


「はあ!? トレイズもついてくるって!?」

 ぎょっとした俺に、この食神様はなんでもないことのように屈託のない笑顔を浮かべる。見たこともないような薄手ですべすべした神秘的な衣装を身にまとい、幾つものひだのある服の端をつまんで彼女は振り返った。


「どう? 急ぎでお針子が縫ってくれたんですって。なかなかのものでしょう?」

「それはどうでもいいよ。そんなことより、トレイズが付いてくるってどういうことだよ! ダムソンさんはまさか承諾したのか!?」

 自分渾身の着飾った正装姿をどうでもいい呼ばわりされたトレイズは、ムッとする。髪飾りのついた長い桜色の髪と大きな瞳を揺らして小さく震えた。


「そう、旦那様はあたしの恰好なんか関係ないの……」

「あーうん、可愛い。可愛い。頭のてっぺんから終わりまで撫でまわしたくなるくらいに可愛いから、俺の話も少しは聞いてくれよ」


「へ、変態!」

 今度は真っ赤になったトレイズが思わず身を引く。

適当な褒め言葉を云ったつもりで言う内容を間違えたマケインは、それに気付かずに部屋を出た。

リビングで茶を飲んでいたのはダムソンだ。彼自身もなかなかに立派な正装を身にまとっている。いかにも遠出についてくる気満々といった格好だった。


「おやおや、マケイン殿。そんな顔をしてどうなさった」

「まさか、ダムソンさんまで……」

 この老人。トレイズとグルなのか。

そのことを察して頬をひくつかせたマケインを見て、ダムソンはほっほと笑い出す。


「マケイン殿。女性の支度は急がせるものではありませんぞ」

「そういう問題じゃないんですけど……」

 マケインは怒りに息を吸い込み、叫んだ。


「どうして俺の商談にトレイズがついてくるんですか! それもダムソンさんまでそんなカッコをして!」

「いやいやマケイン殿。儂もこの決断に至るまでは色々と考えてみたんじゃが……」

 シレッと顔を引き締め、ダムソンは話し出す。


「いくら食神殿が認めたパンといっても、それを商談で分かりやすく伝えるには、一筆書いただけではどうにも心もとない。ああ、心配で胸が張り裂けそう。いとし子殿の為に儂ができることは一体なんであろうか!」

 ダムソンはピースサインを見せて笑う。


「だったら儂も一緒についていっちゃえば問題ないじゃない。ブイ」

「問題大有りだっつーの!」

 百歩譲ってダムソンはいい。だが、トレイズまで来ることはないじゃないか!


「いやいや、マケイン殿。あくまでも食神様がおられるのは神殿の中。儂らと一緒に向かうのは、若くして父母を亡くした、食神様によく似た薄幸の上級巫女ですぞ」

 そういう設定でいくということらしい。


「そうは言ったって、分かるものには分かりますよ!」

「マケイン殿は真面目じゃのう。もっと人生お茶目に生きた方が良いと思うぞ」

 ダムソンは茶を飲みながらまったりと言う。思わずそのすまし顔をしばきたくなったマケインだが、流石に手を上げることもできず我慢をした。


「~~~~~~っ」

「ほっほっほ、若い若い!」

 そこに、しゃなりしゃなりと衣装の裾を引きづったトレイズがやって来る。その伏せられた長い睫毛で縁取られた萌黄色の眼差しが真っすぐに自分を見た瞬間、マケインは心臓がひゃっくりをしそうになった。


「……?」

 なんだろう、今の感覚は?

己でも戸惑いながらも、マケインはぎこちなく手を挙げる。


「あのさ。と、トレイズ……」

「ねえ、いいでしょ! あたし嫌よ、せっかく受肉したのに自分の人生がこの狭い家の中で終わってしまうなんて!」

 ぎゅっと彼女の小さな指がマケインの服を握る。

上目遣いにうるうるの瞳でおねだりをされて、マケインの意識が一時的に離脱した。


「……あ、う、うん……」

「やった!」

 その喜びの声にハッと我に返る。


「……あ、今のなし! なしだってば!」

「ダムソンもありがとう! この衣装、とっても素敵だわっ」

 トレイズはすでに聞く耳を持っていない。慌てて撤回しようとしても、こちらの言葉はなんにも届いちゃいなかった。




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