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☆9 守りたい人


『……明日ってのは、いつだって準備不足におとずれる。

それはさながら、誰かに不意にやってくる死の運命のように』






明け方にマリラに起こされたマケインは、促されるがままに正装と羽織りを身に着け、小さな鞄に携帯食やナイフ、ボロボロのハンケチと何枚かの銅貨の入った巾着を入れて持った。

前世では牧場体験などでしか出会う機会のないような栗毛の馬と対面した時は、流石に少し緊張を感じた。

(っていうか、想像よりも獣っぽくにおうもんなんだな。乗馬って)


「我が家は貧乏なのではなかったのですか?」


「これは年寄りの馬だから価値は低いのよ。そんなことも忘れるなんて、アンタ馬鹿?」


見送りの為か早起きをしたミリアが眠そうに目をこすりながら悪態をつく。そんなに睡眠を欲しているのならルリイのようにぐっすり寝ていれば良かっただろうに……。

そんなに一緒に市街地に行くのを諦めきれなかったのかな。この子。

その点を指摘すると雨あられのような暴言が降ってきそうな予感がしたので、空気の読めるマケインは口をつぐむ。


「本当はもっと若くていい馬が欲しいところなんだがなあ、生憎、我が男爵家の家計は真っ赤な火の車だ!」


恥ずかしげもなく豪快に大笑いをしたルドルフは、近くに立っていたマケインを軽々と抱き上げて馬の前の方に乗せる。


「ちょっと待って、俺、乗馬はそんなに経験がない……っ」


「何をおかしなことを云っているのだ! 馬に乗れない貴族なんているわけがなかろう」


あまり細かいことを気に留めない男爵が、動揺している息子にがっはっはと笑う。不思議そうな顔をしたマリラが首を傾げた。


「本当にどうしたの、マケイン? 昨日から変なことばかり喋って……」


「い、いえ。なんでもありません」


そうか。この世界の人間にとっては、俺の挙動はやはり不自然に映るのか。そのことを今更ながらに自覚したマケインは、白けた眼差しでルドルフを見る。


(……むしろ、俺が何を質問してもまるで気にしないこの親父の方がおかしいだろ……)


「坊ちゃま、お気をつけてくださいね。いくら男爵様がご一緒とはいえ、この辺りは国境沿いで治安も悪うございますから……」


「大丈夫だよ、エイリス」


不安そうな顔をしているモスキーク家のメイドは、俺の返答にうつむく。

藍色の空に太陽の明かりが差してきた。気温は少し寒い。

ほこりっぽいような独特の田舎の空気を吸い込んで、マケインは小さく笑った。


「ミリア、義母さん。エイリス。見送ってくれてありがとう」


「さて、では参るか」


そう言ったルドルフは騎乗し、マケインの後ろに座って老馬を走らせ始めた。背伸びをしてエイリスが手を振る。ミリアはソッポを向いて鼻をすすった。

勢いよく走り出した馬の上で、細市は顔色が青ざめる。

予想よりもずっと早い。ここから落ちたら痛い怪我をしてしまいそうだ。


(どこが老体の馬だって!?)


「ちっちちち父上!」


「気持ちいいだろう、マケイン!」


「いや、速い速いはやいいいいいいいいいいいいっ」


悲鳴を上げた息子に構わず、男爵は拍車はくしゃをかけて大笑いをした。

嫌がるこちらに配慮する気配もなく、むしろよりスピードを上げて振り回されたマケインは、案の定街に着く直前で吐いた。


道の端でリバースをしていた息子の体調が落ち着いた頃を見計らい、ルドルフは近くの川で濡らしてきた布の切れ端をマケインに手渡す。

幸い、一張羅はどこも汚れていない。


「どうだ、落ち着いたか?」


「ええ。まあなんとか……」


濡れた布で口元を拭いながらグロッキーになっている子どもを見て、ルドルフは肩を竦める。「前は喜んで乗っていたのになあ」と言われ、青ざめた顔色のままマケインは適当な言い訳を返した。


「多分、俺が成長したということだと思います。恐れ知らずだった時代から成長して馬から落ちる怖さに気付いたのです……」


実際は半分ほど嘘だけど。


「……なるほど、我が息子は成長したのか」

ルドルフは納得したのかしていないのか、そんなことを呟いている。


「確かに、俺は魔物退治の仕事ばかりで子の成長を近くで見守れていたとは言い難い……。なるほど、これが大きくなるということなのか」


「すみません、父上」


そこで申し訳なさそうに眉を下げると、親父は腕組みをして言った。


「しかし、貴族が馬に乗れないというのは大問題だぞ。いくらお前の見た目が女子のようだからといって……」


「父上!」


「やはり男児たるもの、乗馬は覚えなければいかん」


うんうんうなっている親父の隣にいた栗毛くりげの馬は、鼻息を荒く吐き出す。自分にとって都合の悪い話題から逸らそうと、マケインは前方に広がる古い石垣いしがきへいを指さした。


「ところで、あれが目指していた町ですよね?」


「ああ、そうだ。ここがウィン・ロウという名前のとりでを兼ねた、俺の治める小さな街だ」


「俺には充分大きいように見えますけど」


「この辺りは帝国との国境の川沿いだ。昔、ここは戦争で軍が防衛する為の砦としてつくられた街だから大きく見えるんだ。

今では実際に暮らす人間は村三つ分くらいしか存在しない」


「ここをモスキーク男爵家が治めているんですか?」


「本来はもっと上の貴族が支配するような広い街なのだが、皆、国境という地形を嫌がって我が家の先祖にここを押し付けたのだ」


すごく嫌そうにルドルフは裏事情を話す。


「俺も陛下の勅命ちょくめいさえなければすぐにでもこの土地を離れたいぐらいなのだが……」


「父上、もういいです。抑えてください」


溢れる殺気がこんにちはしそうになっているモスキーク男爵に、マケインは冷や汗をかきながら少し離れた。


「そもそも俺は三男の生まれだ。兄が相次いで他界さえしなければ、お役目を継ぐはずもなかったのだ……」


「もし父上が跡を継がなかったら、俺達はどうなっていたんですか?」


「その場合はマリラの実家の商会で平民として働いて……、いや、一応あの頃は下級騎士として勤めていたから、我が一代限りなら貴族の籍は残ってはいたが……やはり、息子のお前は平民になっていたな」


「なるほど」


どちらの方が良かったかは難しいところだな。

貴族であっても国境に暮らさなければならない現在と、自由な平民だけど貴族に虐げられるもしもと、どちらも苦労が多そうな人生だ。


なるべくなら気楽にのんびり生活できるような身分になりたいものだけど、そんな贅沢ぜいたくはこの世界では云っていられないだろう。


「俺、なるべくならみんなを守れるご加護がいいです」


「うん?」


「この土地って、将来は俺が継ぐのですよね? だったら、ルリイとミリアとエイリスを守れるような貴族になりたい」


「母さんはどうするのだ」


「義母さんは、父上のものでしょう?」


マケインの言葉に、思わずルドルフが目を瞬いた。


「ああ、まあ確かにマリラは俺の女だが……」


「だったら、義母さんは父上が守ってくれるのでしょう?」

思わず、ルドルフは小さく噴き出した。

しばらく離れている間に、息子は随分マセたものである。そのことがこそばゆい気持ちになりながら、にやけ顔を隠した彼は大きな片手で白く小さな手のひらを握りしめた。





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