どうにもとまらない
当時、我が家は両親ともに健在であったが、父も、母から遡ること7年ほど前に脳梗塞を起こして認知症を発症していた。認知症初期の荒れた時期は乗り越え、日常生活は自分でできるが、振り向いたら今していた事を忘れてしまう毎日である。対面で1、2分話すなら普通に受け答えできる程度だろうか。ふっと息を付いた程の時間で忘れてしまうため、何度も同じ話を繰り返す。5分も話すと認知だなと分かる程度ともいう。時に癇癪を起こし物を投げたりもするが、大半は穏やかにボケボケした父を、物忘れがひどくなり始めた母が面倒見ていた。物理的な介護というよりは、精神的なフォローが必要な感じだろうか。介助は必要なかったため、食事の準備や外出時の送迎をする程度であるが、老老介護の状態だったといえる。
この頃の父は、メモにメッセージを書いて置いておけば、2時間程度なら一人残して外出する事も出来ていた。逆に言えばそれ以上ひとりにすれば、不在の母を捜し始めてしまうのだ。身体は丈夫であったので、ひとりでうろうろしては何をしていたか忘れる。不安になっては母を探してリセットする。そんな状態での母の入院は大打撃である。
もともと家の都合で10日ほど仕事を休む予定があったため、休みが終わった後も退院までの1,2週間を頑張ればいいと思っていた。朝出勤し夜帰る私と、24時間勤務で出掛けた日の翌日の昼前に帰る弟。1日おきに家人が不在になる計算だ。休みの曜日が違うため、実質週3日の不在が何とかなれば乗り切れる。随分アマイ見通しである。
初めの数日は何とか乗り越えたが、だんだん情緒不安定な様子が見え始め、夜中も不在な母を捜して子供の部屋まで覗きに来るようになる。仕方がないので、居間に布団を並べてなるべく側で過ごすように気を付けた。仕事が再開すれば、父を残して出掛けなければならない。父ひとりでは炊飯ジャーからご飯をよそうこともできないので、すぐに食べられるようにお盆に昼食をセットしていくことになる。母が入院したこと・仕事へ行くので家に誰もいないこと・昼食はお盆に有る物を食べること、全てメモにし、張り紙をする。朝食を取らせたら出勤するが、残業せずに戻っても約10時間ほどひとりにするため、不安が大きい。
普段は携帯も使えない父が、着信履歴などからなんとか息子の携帯に電話を架けてくるようになった。家に誰もいないけど何処に行ったのか。何時もどるのか。何度説明して忘れてしまう。