いいじゃないの幸せならば
命の危機を告げられ、家族の覚悟を求められた夜が明けると、深刻極まりない状況から一転。のんきな入院生活が開始した。
脳梗塞で壊れた脳細胞は、言語・視覚の部分に集中していたようで、身体的な変化はほぼ無かった。入院当初は身体も動き痛みもないため、本人は至って元気な様子だったのだ。
代わりに、言葉が出てこない・視野が欠けるなどの障害が残る。通常、言葉が出ないと聞くと不明瞭な発音で舌が回らないという状態を思い浮かべるが、母の場合、意識も言葉もはっきりしているのに意味が通じない。単語の変換ができなくなっていたらしい。赤い物をみて高いと言ったり、ハサミや電卓を見て用途は分かるのに名前が出てこない。バナナを見てよく知っている物だと分かるのに切手と言ったり。とにかく言い間違い・聞き違いが多い。言葉の多くが意図しない乱数表を経て変換されているかの様な状態のため、何が言いたいのかちっとも伝わらない。
話す能力だけではなく、聴く能力も同様なため、聞いた言葉をオウム返しにすることもできない状態の中、話したい内容とは明らかに違うと思われるが、予想外のおもしろ文章が成立してしまう事がある。本人が真剣な分、聞いているこちらは脱力するが、意図が通じない母のストレスは如何ばかりか。
そんな心配をよそに思いのほか明るい母の能天気な様子に、昭和のコントも真っ青なボケとツッコミが繰り広げられていた。元からの性格もあるが、脳のダメージにより難しい事を考えられる状態ではなかった様子。自分の状態に不安が少ないのは勿怪の幸いというべきか。
母の言語機能の回復には反復練習しかない。なるべく早い時期に繰り返す事で脳に新しい回路を作ったり、断絶していた部分をつなげたり。地道な努力が必須となるが、朝から付き添いなどできるはずもなく、根気よくリハビリに尽力していただいた療法士の方々には感謝の言葉しかない。
視覚障害では視野の中央が欠ける・光に過剰に反応するという症状がでた。とにかく意志の疎通が難しかったので、状況的に見てそうだろうと判断するしかないが、目の前にあるカップが見つけられないと主張する事からも見えていない様子が感じられる。医師からも視野の中央が欠けていると説明があったので、検査を行っていたのかもしれないが、正直記憶にない。おそらく些細な事と意識から排除していたのではないだろうか。
入院して1週間。この時はまだ退院しても通常の生活が送れるものと思っていた。
紆余曲折っていうけれど。
まだ、ひとつめの曲がり角。