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今回短めです
火曜日の授業は、午後の一発目に体育がありその次に座学の国語がある。体育があるため着替えに時間をとられてしまい、非常に忙しい。杏の学校は体操服などで授業を受けることが校則で禁止されていたため必ず制服に着替えなければならなかった。
体育の授業が終わり女子更衣室の密度は最高潮に達する。汗の酸っぱいにおいと運動場の砂の匂いが熱気で膨らみ更衣室に充満する。杏は人に挟まれるのに恐怖を感じて制服をもって更衣室を後にする。体育館の中に女子更衣室があるため、校舎とは少し距離があった。渡り廊下を歩いていると向かいから人が歩いてくるのに気づく。白いシャツに青色のネクタイをした要だった。今日は珍しく黒縁眼鏡をかけている。真面目そうな雰囲気に変わっていて別人のようだった。要は杏に気づくといつものように優しく笑い片手をあげ挨拶をする。顔が自然とほころび要の元へ駆け寄った。
「山田さん、そのまま授業を受けるつもり?」
要の柔らかい声が鼓膜を震わせた。杏は説明しようと口を開く。しかし、声にする前に考え直し困惑した。自分の滑稽さは理解しているがそれを口にするのは別の話だ。いつも逃げてばかりの自分がひどく情けない。いくら人が苦手だからと言って着替えぐらい我慢すればよかった。そんな心境を吐露するわけにもいかず、久しぶりに要と一緒にいることに居心地の悪さを覚えた。
杏は口を堅く閉ざし、顔を俯いた。
要はそんな杏の様子から何かを察した。優しく肩の上に手を乗せ大丈夫だよと言い聞かせるようにリズムを刻む。その優しい手つきに心が温かくなり、たまらず顔を上げる。
運動したせいか頬が赤らみ、潤んだ瞳で縋るように要を見つめる。そんな杏の顔に要は、一瞬瞠目し、難しそうに眉を顰めた。何かを堪えるように口を堅く結んだ要の顔は何処か辛そうに見えた。
心配して声を掛けようと口を開きかける。しかし、声になる前に要が顔を背け杏の手を掴み歩き出した。要の普段見せない強引さに驚き、杏は引っ張られるように歩いた。要の冷たい手が杏の熱を帯びた手に馴染み、ひんやりとしていて気持ちが良かった。
要は校舎一階の普段使われていない準備室に入り、杏もそれに続いた。足を踏み入れると床の埃が舞い、カーテンの隙間から伸びた一筋の光に照らされキラキラと輝く。辺りを珍しそうに見まわすと思ったより小さな部屋だった。6畳程度の広さで壁に沿うように木製の棚が設置されている。奥の窓は黑いカーテンが閉められており、そばには白を基調とした天体望遠鏡が立っていた。中心には大きな古びた机が置かれ、その上に透明な半球状の薄いプラスチックに黑いペンで星座が書かれている。プラネタリウムの作りかけのようだった。
まじまじと部屋を観察していると要が振り返る。要は無表情で杏を見下ろしていた。いつもと様子が違う要に狼狽していると、要は杏の両眼を片手で覆った。要の冷たい手が杏の顔に触れ、肌から熱を奪われる。
「本当に困ったなあ」
絞り出すようにそう呟いた要の声は弱しい。
(どうしたんだろう、先生。何か困っていることでもあるの?私力になりたいから教えてほしい)
心の中でそう強く願うが、どうしても口には出せなかった。何故か鼓動が激しくなる心臓に不安を覚えながら、じっと次の言葉を待つ。
ふと右肩に何かを押し付けられ重みを感じる。柔らかな髪の毛が首を撫で、温かな吐息が滑る。要が頭を肩に乗せてきたことに気づき心臓の鼓動がさらに激しくなる。
(えええ、なにこれ…私もしかして変な病気にかかったのかな…心臓が痛い…)
困惑して息を詰めていると、固く閉ざした唇に冷たい指が触れる。
「生きとめないで、」
耳の傍で低く甘くささやかれ、足ががくがくと震えた。自分で立っていることが出来なくなりそうで、堪えていると要の片手が両目から離れる。