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現代社会の闇は深い  作者: 賽銭箱
1/1

先輩社員の悩みは深い

『入社式のお知らせ』


 そう言えばもう社会人なのか、と彼女は届いた通知を見てふと思い立った。例え大学を出ようとも、大方の就職先は管区にある「会社」になるとは言え、少し安直すぎただろうか、と思わざるを得ない。就職活動自体、1社しか受けていないのだ。父や母に就職先を伝えても「やはりか」という目を向けられるだけだった。今までもなんとかなったし、これからも多分何とかなるんだろう、と言う目だった。そのことについては自分自身何ら否定する気はないし、できるはずもなかった。そのことに何も誤りがないからだ。


 さて、と彼女――サキダリカは改めて紙を眺めた。内容は非常に簡潔。表題、日時、場所、服装指定。これのみ。敬語の一つもありゃしない。「しゃかいのじょうしき」ってやつはこの「会社」では通用しないんだろうか。


 いい仕事といい上司に巡り会えたらいいなあ、と自室のクッションに顔を埋めながら彼女は思う。自身の生まれ育ちが土地争い――”営業”にはあまり関係のない田舎育ちだったということもあって、「会社」が公然と人を殺めている事実を彼女はまだ受け入れずにいた。映像で”営業”の風景を見たことはあるのだが、どうも現実味がなかった、と言ったほうが正しいかもしれない。少なくとも、自身の親族が”営業”の被害にあったという話を、リカは聞いたことがなかった。


 とは言え、あと1か月……と自ら逃げ道を切り開き、リカはおぞましい現代社会からの現実逃避を決め込んだ。今日は寝る前に飲むホットミルクには何を入れようか。高かったメープルシロップはそろそろキレそうだから大事に使いたいし、ジャムは勝手に使ったらお母さん怒るし、蜂蜜とかいいかもしれないな……。


 そう言えば、入社試験の際に高校でやるスポーツテストみたいなのがあったけど、あれって何なんだろう?仕事に関係あるのかな?運動は苦手じゃないから全力でやっちゃったけど、まあいいか。さすがに最初から”営業”に回されることはないでしょ……。


 などと考えながら、リカは自室を出、おそらくはチャンネル権を取り合っている両親がいるリビングに向かった。今日は管区内でも飛びぬけてイケメンなやつが出る番組があるのだ。さほど興味はないけれど、友人の話題についていくには見ておくにこしたことはない。チャンネル争いを三つ巴にして最後に奪い取ってやろうじゃないか!若さで!


 この時のリカは、およそ「平和慣れした学生」の感性に相違ないものであって、残り1か月のこの何気ない日常がかけがえのないものであると気づくのは、もう少し先の話。


 20X7年3月1日、冬の寒さの中に一陣の春が吹き込み始めたころの出来事である。


 一日一善という言葉がある。

 極めて辞書的に説明するのであれば、1日に一つの善行をして、それを積み重ねるようにしなさいという呼びかけ、またはその心持を指す。十中八九、ポジティブな意味で捉えられ、使われる言葉だと認識されているだろう。


 ここに、一人のひねくれものがいた。子曰く、「善の九割は偽善で出来ている」と。またそれに相対して、一人の正直者がいた。子曰く、「やらない善よりやる偽善だ」と。それにひねくれものは言い返した。「それこそ偽善だ。所詮は押しつけ、一人よがりに過ぎない」と。


 もはや語るまでもなく、飽きられるほど議論された内容である。四方八方に話が飛んだとしても、話の本筋は平行線。片方からの意見があればそれと同等の説得力を持つ詭弁がどこからともなく現れ、それに対しての屁理屈が場を支配し、揚げ足取りが飛び交い、しまいには暴言がアメリカンフットボールさながらに衝突を繰り返す。挙句の果てには「善とは個人の主観によるところ大である。ならば、善というものはどのように定義されるのか」などと元も子もない哲学的な問いで話を逸らし始める人が出る始末だ。


 一日一善という言葉がある。

 少なくともそこにいた5人の中に、自分のやっていること――上司からの指示がないが故の、就業中にもかかわらずグダグダと世間話に興じる行為――を、開き直って悪と言い放つひねくれものはいなかっただろう。「善とは個人によるところが強い。だからサボることは俺にとっては善なんだ」と宣う者はいただろうし、「私が日々休み、他の人があくせく働く。それによって全体の善、すなわち幸せの量が調整される。一日一善、そう言うところに僕は喜びを感じるんです」と傲然と胸を張る奴はいただろうが。そんなひねくれ集団だったが故に、例えその場に上司がいきなり現れて5人の怠慢っぷりを詰ったとしても、程度の差こそあれ心の中では全員こう思うはずである。


―――他の4人よりはマシだ、と。



「シキダ課長補佐代理代行ー?課長補佐代理代行はどこですかー?」


5分前に社内用の連絡機器を”哀れにも震わせてしまった”優男が、厭味ったらしくその場で最上位の役職を持つ人の名を呼んだ。


「……いるわよ。いないわけないじゃない。いちいち役職をフルネームで呼ぶのはやめなさい」


「あーいたいた。本社からこれ、連絡事項だそうです」


 行儀悪く自分用のデスクに足を投げ出したままメモされた紙を受け取り、2回ほど視線を左右に往復させたのち、彼女はその紙を地面に投げ捨てた。本人が予想したよりも遠くに滑るように飛んでいく。自分のデスクにすらつかずにソファでだらけて鼻提灯を膨らませていた大男のもとまでスライドしていったが、女は何の興味も示さなかった。


「どうせ待機命令だろ? 捨てちまえよ課長補佐代理代行殿」


「もう捨てたわよ。内容もお望み通り」


「あー、はいはい。知ってた」


 もはや興味はないと視線を投げられた紙から天井に移して、女の正面にいたとがり顎の中年男性は投げやり気味に頭をかき回した。隣の長髪の男はもはや見向きもせずに読書に集中している。

 ため息をついてから、連絡係はやや埃のついたメモを拾い上げた。八つ当たり気味に鼻提灯を潰してから、「もう」と前置きしたうえで、


「最後まで読んでくださいよ、シキダ課長補佐代理代行。今回はもう一つお知らせあるんですから」


「お、ついにクビか?」


「そんなわけないでしょマスタキさん……」


「っは。なら聞かねえ。クビになる方が4倍はマシだってのによ」


 不貞腐れて向かいの女性にならい足をデスクに投げ出して、「もう聞かない」と言わんばかりにおやじは目を閉じた。一瞬長髪の男が視線をそちらに移したが、それは中年がうるさかったからではなく、その中年がキャスター付きの椅子を酷使した結果きしんでしまったことに対してだろう。使い古されていようが椅子はただではないのだ。経費も下りない。


「……で、もう一つのお知らせって?」


「はい。なんでも4月1日から新入りが配属されるんだとか」


 一瞬でその内容が鼓膜に沁みると、ぎしぎしと出てはいけない音を椅子から出しながら反射的に中年が起き上がった。聞かないんじゃないのか、と優男は思わないでもなかったが。


「マジで?」


「マジです」


「マジかよ……。そういや今日3月30日だったな」


 慌てて振り向くと、先ほどまでけたたましいいびきをかいていた大男がソファに姿勢を正して座り直し、首をかしげていた。「起きてたんですか、クマモリさん」と声をかけると、「お前が起こしたんだろうがよ!」と小突かれる。その風景を飽きたように眺めながら、室内の紅一点が口を開いた。


「……で、どんな人? ろくなやつじゃないんでしょう?」


「いやあ、それがですね。普通に大学を卒業した前科無しで……」


「はあ?」


 視線が一つ増えたことを、連絡係――タワ平社員は感じた。本を読んでいた男がこちらに目を向けたのである。それほどまでに、タワが言ったことは衝撃的だった。


「なんか入社するときにやらかしたのか?」


「案外、上も配慮してくれたとか……」


「なおさらありえんわ。本社勤めのあいつらがそんな粋な真似するわけねえ」


 マスタキ中年と大男――クマモリ平社員の口論に割って入り、「実は……入社の際の実技試験で満点を取ってしまったらしく」と仔細を説明すると、こちらに向けられた視線の温度が一気に下がったことをタワは痛感せざるを得なかった。これもまたあり得ないことだったし、自分以外の四人が自分と同じ結論に至ったことをなんとなく察したからかもしれない。「そりゃあれだ、本物の馬鹿だ」とは中年――マスタキの言である。


「なんの罪もない大学生を”営業”に連れて行かなきゃいけないってことか」


 大男――クマモリの言葉に”元”ですよ、と付け足したが、何も慰めにはならないことをタワは知っていた。どうにもならないと、自分の中でも半分投げやりになっているのかもしれないな、と悲観的に分析してみたりもしてみる。ほぼ間違いなく無意味ではあるが。


「ってなると、これから忙しくなるわね」


「新人入れーの、いきなり”営業”入りーの、新入りがすぐ”退職”させられーの、監督不行き届きで追及され―の」


「減給されーの待遇悪くなり―の、ですか。クマモリさん」


「言うなよタワ……。あー、愉快な新人教育の始まりかー」


 げんなりした表情で視線を逸らせたクマモリを背に、タワは”課長補佐代理代行”に視線を向けた。

 一言呟いた後形のいい顎に手を当て考え事をしていたが、ほどなくようやく机が脚の重さから解放された後、全員に聞こえるように、彼女は言った。


「なんにせよ、いつでも出られるようにはしなきゃいけないわ。私たちはまだ歯車で、会社の御為に働かなきゃいけないんだから」


「新たな歯車までは求めませんが、せめて潤滑油程度にはなってほしいものですな」


「だといいわね。とりあえず”営業道具”の点検はしといて。”端末”の確認もね」


「はいよ」「わかりました」「おう!」


 最後に、シキダは長髪の男――ヒデアキ平社員に視線を向けた。彼は黙って視線を合わせてうなずき、「ものが少ないが故に小奇麗に見える」この部屋の片隅にある、異常なまでに存在感を放つ”営業道具”の方へ視線を逸らした。

 引き金を引けば音速で鉛玉が飛び出し、当たり所によってはすぐにでも先方の営業が”退職”してしまう”営業道具”を。

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