徒歩5光年の距離
不定期で掌編小説を投稿しています。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
「夏の代表的な星座であるデネブは約2000光年の距離で――」
ドーム内に眠気を誘うような優しい音楽と、静かな解説の声が響く。
頭上には、星空が広がっていた。
僕は、星に興味がない。
興味がないと言っても綺麗な星空は好きだし、それだけで感動もする。
勿論、今見ているプラネタリウムの星空だってやっぱり綺麗だと思う。
それでも、――名前も知らない星が夜空に輝く。
偉そうな言い方かも知れないけど、それが良いんだと思う。
人間が勝手に名前を付けるなんて、なんだか烏滸がましい。
そんな事を、くうくうと寝息をたてる彼女の横で考えていた。
「うーん! やっぱりプラネタリウムはいいねぇ!」
科学館の出口で伸びをする彼女は、すっかり元気だ。
「ホントにそう思ってる?」
「え? なんで?」
「だって、寝てたでしょ?」
「バレてたか……」
言って、片目を瞑り、舌を出して戯ける彼女になんだか見惚れてしまった。
同時に、僕はこのかけがえのない時間を噛み締めていた。
どんなにこの時間を願ったとしても、それは叶わない。
だって僕達はもうすぐ卒業して、お互い別々の大学へ行くのだから。
中学校からの片思いの相手だった彼女に声を掛けられたのが、つい昨日の事のように思い出せる。
僕の大切な思い出の1つだ。
****
文化祭の実行委員に選ばれた僕は、迫り来る本番に向けて居残りの毎日だった。
その日も遅くなり、そろそろ帰ろうと誰もいない廊下を歩く僕の耳に、階段を駆け下りる規則的な音が聞こえた。
「ねぇ? 今から帰り?」
彼女だ。
頬を赤く染めた彼女は、なんだか息が上がっているようにも見える。
誰かに呼ばれているのか、それとも彼女も帰りなのだろうか。
後者だとすれば、絶好のチャンスだ。
「うん。鞄を教室に取りに行くだけ。そっちも?」
ピョンと跳ねて彼女が応える。
「良かった! 私も帰るところなんだ! 1人じゃ心細いし、一緒に帰らない?」
「わかった! じゃあ下駄箱の前で集合な!」
中学では同じクラスだった彼女と、最後に話したのはいつだろうか。
思えば、高校に入ってからは同じクラスにもなれず、いつの間にか話す機会も失っていた。
すっかり切れてしまったと思っていた縦糸は今、神様の気まぐれで再び紡がれようとしている。
この機会を逃してはいけない。鞄を取った僕は、走って下駄箱を目指した。
「おまたせ!」
急いで来て良かったと胸を撫で下ろす。
僕の到着と殆ど同時に彼女も現れたからだ。
「大丈夫。僕も今、来たところ」
「そっか。それなら良かったよ。じゃあ、帰ろうか?」
歩き出した僕達は、お互いの空白を埋める会話を楽しんだ。
“空白”と言っても、『クラスにこんな人がいて』とか、『担任の性格』とか、そんな具合だ。
高校生になった彼女は大人びた雰囲気があって驚いたけど、笑った顔や失敗した時に舌を出す癖は変わって無くて、少し安心した。
“空白を埋める会話”が一頻り終わった頃、思い出したかのように彼女が僕に尋ねた。
「そういえばさ、そっちのクラスは何やるの?」
「天体の研究だって。……僕さ、苦手なんだよ、科学とか、天体とか」
頭を掻く僕に、『そうだ!』と彼女が提案する。
「じゃあさ、私が教えてあげるよ! 天体! とっておきの場所があるんだ!」
そうして始まった“天体教室”という名のプラネタリウム通いは文化祭が終了しても何故か終わることが無かった。
****
「ねぇ? 聞いてるの?」
帰り道、すっかり物思いに耽けってしまっていた僕は、膨れっ面の彼女に慌てて応える。
「ごめん。何の話だっけ?」
暖かくなったと言えども、この時期はまだ日が短い。
最終公演を見た後の街は暗く、彼女の表情がハッキリ見えない。
「もー。これからの話しをしてたの!」
「これからって? お茶でもしていく?」
「違うよ! こうやってプラネタリウムに来るのも、もう最後かなって……」
“もう最後“僕が避けていた言葉は、彼女の口から簡単に放たれた。
思わず僕は、反復する。
「……もう、最後」
「うん。だって、これから、別の大学でしょ……そんなの……」
海に落ちる一滴の雨に似た彼女の声は、辿り着いた駅の騒音に掻き消されてしまった。
以前にも似たような事があったと僕の胸が疼く。それは、去年の夏だった。
――話しがある。と夜の公園に呼び出された僕は、彼女の口からこんな言葉を聞かされたのだ。
「私達ってさ、毎週末一緒にいるじゃない? それで友達の女子から『付き合ってると思ってた』なんて言われちゃってね。それと『お似合いだ』って。だからさ……」
遠くで聞こえる鈴虫の鳴き声のような彼女の小さな声、それを遮ってまで言った僕の言葉を、お互いきっと一生忘れないだろう。そして、僕は今でも後悔し続けている。
「そうかな? それほど仲が良い『友達』に見えるってことじゃない?」
彼女のことが嫌いだなんて思った事は無い。
僕は唯、怖かったんだ。そのまま彼女の言葉を聞き、恋人同士になったとして。
例えば、些細なズレ。例えば、――その時は志望校だったけれど 進学後のすれ違い。
そんな事で僕達の関係が終わってしまう気がして、それが怖かったんだ。
だからあの時、僕は彼女の言葉に“うん”と言えなかった。
黙って立ち去ろうとする僕の背中を、止めること無く彼女は見つめていた。
多分、泣いていたんだと思う。いや、泣いていたんだ。
その後は、お互い努めて普通に接し、それが原因で疎遠になることは無かった。
彼女もあの時の事を思い出しているのだろうか。
僕達は言葉を交わすことも無く、改札に向け歩いていた。
ふいに立ち止まった彼女は路線図を見上げて、端と端を両手で指差す。
「端っこ同士だよ? 遠いね……それに、地元出るんでしょ?」
僕は、進学と同時に一人暮らしを始める。これまでみたいに、地元で逢える頻度も減るだろう。
僕は敢えて、彼女の顔を見なかった。だって、泣いてしまいそうだったから。
それ以上に、彼女の泣き顔をもう見たくなかった。
そして、ようやく僕は気が付いた。
本当に馬鹿だった。不確かな未来を恐れた結果、かけがえのない関係が壊れようとしている。
これからの事とか、その先の未来とか、関係ない。
僕は、彼女の事が大好きだ。そして、彼女の涙が大嫌いだ。
本当に馬鹿だった。僕は大きく息を吸い込んだ。
――星の距離は“光年”と呼ぶらしい。これも彼女に教わった知識だ。
駅の遠さなんか、どうでも良い。
徒歩5光年の距離に比べれば大した事はないはずだ。
遠回りをしたと思う。
だけど――。
想いがようやく、星に届こうとしている。
最後までお読み頂きありがとうございました。
連載中の『sweet-sorrow』もご一読頂ければ、幸いです。
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@Benjamin151112