シルヴィア
「はぁ、はぁ、ぜぇっ、はあっ」
「オラ、走れ走れ」
そして。
ボクらは池の周りを、小走りにぐるぐると移動していた。
黒いゼリーの魔物も、同じ速度でしつこく回っていて、距離は開きも縮まりもしない。池の周りでの追いかけっこが、延々と続いている。
「なんなの、あのっ、魔物はッ」
「魔界から抜け出たか、こっちで召喚されたか──いずれにしろ、生粋の魔物だな。かなりの魔力を感じる──雑魚じゃあねえな」
「そんなのっ、いるなんて、言って、ない!」
「オレに言われてもな」
ボクはもう息切れしてるっていうのに、カルは憎たらしいことに、汗ひとつかかずに涼しい顔して走っていた。時折、早く行けとばかりにボクの背中を叩くので、そのたびイラッとしながらペースをあげる。
「昨日、みたいにっ──ナイフでッ」
「あれに突いたり切ったりが効くかよ」
言われてみればそうだけど、じゃあどうするっていうんだ。正直、そろそろ足がもつれて、転びそうだっていうのに。
「マ、一応出会い頭に急所っぽい目にナイフ投げといたんだが……飲み込まれたし、怒っただけだったな」
そんなことしてたなんて気づかなかった──というか。
「じゃあ、アイツが追っかけてきてるの、アンタのせいじゃっ!?」
「うるせーな、なんとかすりゃいいんだろ」
カルはめんどくさそうに耳をほじった。走りながら器用だなッ。
「この上うるせえのが増えるとか、やりたかねえなぁ……」
「なんでも、いいからっ、はやく……ッ」
「へぇへぇ」
不真面目な態度で、カルが背中の弓を手に取る。相変わらず弦は張ってない──今から張るの? この状況で!?
「めんどくせーから、あんま騒ぐなよ」
そして、カルは喚んだ。
「出てこい、シルヴィア!」
──弓から、光が生まれて──
「ヤダ」
反抗的な声とともに、小さな女の子が宙にあらわれた。
「へ!? な、なに!?」
背の高さはボクの指から肘先ぐらい。光り輝く女の子は爪先ほどの小さな唇をとがらせ、そっぽを向いていた。
「ヤダじゃねーよ、仕事しろ」
「だぁって、ずいぶんご無沙汰だから、法力溜まってないんだモン」
「あれぐらい残りカスで余裕だろ」
「カスってなによ失礼ね!」
女の子──シルヴィア? は宙に浮いたままカルとやりあう。
「とにかくっ、ご褒美もナシに仕事なんてゼッタイにイヤ」
「わーったわーった、近いうちにたっぷりヤッてやっから」
「ンモー、ホントにホントよ?」
何の話をしているのか、さっぱりだけど──ようやく合意に至ったらしい。
シルヴィアはブツクサ言いながら、その姿を光に──弓の弦へと変えた。それをカルが指をかけて引き絞ると、虚空から光の矢があらわれる。
その矢が放つ、ボクでも感じるほどの強大な法力に、空間が金切り声をあげた。
「アー、確かにこいつァ溜まってねえな」
『絞りだしてやったんだから感謝してよね』
「ああ、するする。十分さ──ほらよ」
法力の矢が──放たれる。
次の瞬間、矢がどころか丸太──いや、巨木の幹のごとき光が、魔物を貫いた。
池の半分ぐらいを巻き添えにし、轟音を響かせて。
「……う、わ──」
光がおさまってようやく目が開けられるようになり、ボクは魔物が跡形もなく消えたのを知った。
……池の半分も無くなっていた。貫き進んだ光がだいぶ先まで地面を削っていて、池の水はどんどん流れ出していた。
凄まじい力に、背筋が凍りつく。
こんなの、それこそ歌で語り継がれる伝説でしか聞いたことがない。いったい、カルは何者──あの弓は──シルヴィアは──
「あッ、ヤベェ」
カルが声をあげる。その視線の先には──空に飛んでいく、大きなタイヨウの実!?
「な、なんで、どうしてっ!?」
「池が壊れたせいで変異が消えたのか、水が抜けたせいかは知らねえがッ!」
ダンッ──
カルが地面を蹴って跳ぶ。池の周りの木々を蹴ってジグザグに上昇していき──
「おらよっ!」
信じられないことに、追いついた。タイヨウの実を抱き抱える──けど、止まらない。カルという重りを下げても、タイヨウの実はフラフラと空へ──
「チッ」
舌打ちをひとつ。どこからか鉤縄を取り出したカルは素早く投擲し、大木に引っかけた。縄がピンと張り、大木が──みしり、とイヤな音をたてて──止まった。
「手間かけさせやがって」
脚でタイヨウの実を挟み込んで、腕だけの力でロープをたぐり、カルはじりじりと地上に近づいてくる。
「おい、ボーッとしてんなよ! 薬の製法、ちゃんと頭に叩き込んだろうな!? 時間ねェぞ!」
いや、見る暇なかったし。──とは言えない。
ボクはだまって荷物を広げながら、カルから渡された羊皮紙に目を通し始めた。
何はともあれ──ここからはボクの仕事だ。やってみせなきゃ、男がすたるってもんだよね。
2021/12/29改稿