二話 そして突き刺す
一夜明けて、翌日。一度外に出てみる事になった。
水はまだ出ているが、電気は止まり、食料も無い。最寄りのコンビニかスーパーに偵察に行くべきだというクロの主張は賛成多数で可決された。
板張りした窓の隙間からは黒い煙を上げる建物が見え、路上のよくわからないグチャッとしたモノ……恐らく死体も散乱したまま。サイレンは止まっているが、止まったというより途絶えたという感じだ。パトカーの音もしない。異常事態と裏腹な、町の不気味な静けさがかえって恐ろしかった。
ジャージに着替えたクロは服の下にUMA特集の雑誌を入れ、フライパンで武装しながらそわそわと言った。
「極力隠れながら進むつもりではあるけど、好戦的なモンスターが襲ってきたらタケが頼りだ」
「任せろ。今日は昨日より調子が良い。今なら神だって倒せそうだ。もう何も怖くない」
「フラグはよせ、不安になる。持ち物を確認したら外へ……いや、もう一度軽く身体能力テストをして良いかい?」
「信用ないなー」
「念のためだよ」
昨日と同じように身体測定をする。まずは握力から。オラ、握力計ぶっ壊してやるよ!
ぬおおおおおお!
…………。
流石に壊れないか。
「どうだい?」
「見ろよ、230kgだ」
「ほほう。おめでとう、人間の壁超えたね」
クロ先生から賛辞と拍手を頂いた。握力計を置いて力こぶを作ってみるが、別に筋肉が二倍になった訳ではないらしい。腕の太さが昨日と変わったようには見えない。
体を捻ったり、ジャンプしたりしてみる。快調そのものだ。逆に言えば快調としか感じない。
「なぁんかさ、あんま人間超えた気はしないな。背負ってた重い荷物下ろしたような」
「なんだろうね、タケは体にパワーが馴染むのが遅かったのかな。まだ成長しそうかい?」
「んー、分からん。頭打ちって感じもしないからまだ伸びる……と思う」
他の記録もとってみたが、全て大きく伸びていた。クロ曰く、オリンピック金メダリストに毛が生えたぐらい、らしい。それは人間を超えたと言えるのか。
「クロのヒーリングは成長してたりしないのか?」
「そんな感覚はないね。でも今のまま成長しなくても多分即死以外なら治せるよ」
「マジか」
「試すわけにもいかないから、断言はできないけど」
クロはそう言って肩を竦めた。頼もしい。発毛金メダリストにスーパーヒーラーが合わされば大抵のモンスターはなんとかなりそうだ。
でもアメリカの巨木クラスのモンスターは勘弁な!
足音を忍ばせて玄関から出て、物陰から物陰へ。
俺は引っ越したばかりで地理が頭に入っていないが、クロは大体覚えているらしい。安心して先導を任せられる。俺が出るのは最悪の時だけ。
異変が起きてからこっち、クロには頼りっぱなしだ。ここらで一発ドカンと活躍して……いやそうか最悪の時にならないと活躍できないのか。やっぱ活躍できなくていいわ。
「タケ、コンビニだ。食料を調達しよう」
「ウィッス」
路上に放置された車の陰に隠れつつ、人影のないコンビニにコソコソ侵入しようとすると、すぐ近くの路地裏から野太い悲鳴が聞こえた。
「や、やめろォ! 殺さねぇでくれぇ! 殺さねぇでくれぇ! なんでもするよォぉぉおおああああああっふあああああ!」
人助けとか、クロに良いとこ見せようとか、怖いもの見たさだとか。一瞬で色々頭の中を駆け巡りはしたが、体は素直だ。
俺は悩む事なくほとんど反射的に槍を構え、路地裏に飛び込んだ。
「おわァ!?」
そこにいたのは巨大な蜘蛛だった。黒い甲殻と細かい体毛、血に飢えた八つの目。小型車ぐらいある凶悪なモンスターが路地裏に巣を張り、糸に絡め取られじたばた暴れるちっさいオッサンを今まさに毒牙にかけようとしていた。
闖入者に気付いた蜘蛛はこちらを向き、牙をカチカチ鳴らして威嚇してきた。
「ギー!」
「う、うらァ!」
「ギー!?」
腰の引けた槍の一閃は、しかし豪腕のおかげか予想以上の鋭さで蜘蛛の足の一本を切断した。
よ、よし! いける!
蜘蛛は傷口からネットリした生臭い緑の体液を流しながら、巣の糸の上を僅かに後ずさった。
ビビッてるビビッてる。でも俺もビビッてる。初陣が八本足の素早い小型車なんて酷いぞ。最初はスライムとかゴブリンじゃないのか?
少し遅れてクロも路地裏に飛び込んできた。
「ひっ……タ、タケ!」
「大丈夫だ下がってろ! これぐらいならいける! たぶん!」
さっき足を斬った時、ジャガイモを切るような感触だった。豆腐やバターのように、とまではいかないが、全力でいけば十分切れる。
背後に遠ざかるクロの足音を聞きながら、俺は蜘蛛の猛攻を必死に捌いた。格闘技の経験なんぞ高校の柔道でチラッと齧った事しかないはずなのに、ギラつく鎌のような蜘蛛の脚を不思議と見切る事ができた。
見切れる。かわせる。捌ける。
しかし反撃は無理だ。手数、いや足数が違う。蜘蛛がワサワサ多脚攻撃をかましてくるのに、俺は槍一本。防御で精一杯だ。
蜘蛛の巣に絡め取られたまま青い顔でぐったりしているちっさいオッサンを置いて逃げるわけにもいかない。俺にできるのは全力で防御しながら隙を伺う事だけだ。
唐突に、蜘蛛が動きを止めた。カクカクした動きで首を小さく傾げ、じっと俺を見てくる。なんだ惚れたか?
「悪いが俺には心に決めた相手がっどぁあああ!」
蜘蛛が俺の脚を狙って多段薙ぎ払い攻撃を繰り出してきた。最初の脚の薙ぎ払いをジャンプでかわし、着地を狙う二本目の脚は槍の石突で地面を突く事で対空時間を増やしてかわす。
そのまま槍を使った棒高跳びの要領で飛び上がり、着地せず壁を蹴って蜘蛛の背後へ。
そして邪魔な巣を切り裂きつつ着地し、振り向きざまに渾身の一閃。
蜘蛛の脚が二本まとめてへし折れた。
「っぶねぇ!」
冷や汗が気持ち悪いぐらいどばっと吹き出した。
死ぬかと思った! よく俺あんな事できたな!
脚を三本潰されても蜘蛛の戦意は高かった。前にも増して激しい行動に加え、脅すようにちっさいオッサンを喰おうとするような動きまで見せるようになった。
人質だ。クソが、こいつ頭いいぞ。
目は慣れてきたが、腕が疲れてきた。ジリ品だ。
逃げるか? いやそんな馬鹿な。ちっさいオッサンが食われてしまう。しかし自分の命は大切だ。
……自分の命。
そうだ!
俺は蜘蛛の攻撃をさばくのを止め、腹を太い脚にぶっ刺されながら蜘蛛の脳天に槍を深々と突き刺した。
肉を斬らせて骨を断つ。悪いな蜘蛛野郎。俺にはヒーラーがついてるんだ。即死じゃなければ治る。
「いってぇ。やるんじゃなかった。オッサン無事……!?」
治ると分かっていても痛いもんは痛い。血が溢れる腹を抑えながら緑の体液ベットリの槍を引き抜き、ちっさいオッサンの拘束を解こうとした俺は、のけぞって蜘蛛の脚を避けた。鉤爪がかすり、頬がパックリ割れる。
「なんだコイツ! 生きてるのか!?」
滅茶苦茶に脚を振り回しところ構わず噛み付き牙を鳴らす蜘蛛は明らかに暴走していたが、生気に溢れていた。
脳天貫いてなんで生きてるんだ。不死身かこいつは!
「タケ、貫け!」
その時、クロの声がして戦場に缶が投げ込まれた。放物線を描いて落下を始める缶に書かれた文字を人外スレスレの動体視力で読み取る。
『ゴキブリジェット』
なるほどね。
俺が缶の横っ腹を突いて穴を開けると、爆発的に白い煙が噴出された。
煙にまかれ、蜘蛛が七転八倒する。巻き込まれないように距離をとって見ていると、蜘蛛はすぐに痙攣を始め、手足を丸めて動かなくなった。
……今度こそ倒したか。
風が吹き、煙が散る。クロが気持ち悪そうに蜘蛛を避けながら俺に駆け寄った。
「全く、無茶をし過ぎだ」
「無茶じゃない、心臓は外した。治してくれるんだろ?」
「治すがそういう問題じゃない」
クロはぷんすか怒りながら俺の腹に手を当てた。クロの手が光り、冷えた体で風呂に浸かった時のようなじんわりした暖かさが染み込んでくる。
腹を貫通していた穴はたった三分で塞がった。頬の傷は三秒だ。
「サンキュー」
「どういたしまして。治ったところで説教だよ。さっきも言ったが無茶をし過ぎだ。お腹に穴を空けるだなんて」
「俺だって好きで空けたんじゃない。倒せるかなと思ってさ。脳天刺されて生きてる超生物なんて思わないだろ」
「蜘蛛に限らず昆虫は全てそうだよ。神経節と言ってね、サブの脳が体中にあると思えばいい。もっとも昆虫がこんなに巨大化するのは生物学的に有り得ないし、これが蜘蛛なのか、そもそも昆虫なのかは疑問ではある……あ、話逸らそうとしても無駄だよ」
「勝手に逸れたんじゃねーか」
「ちょいと旦那ァ。そろそろ助けてくだせェ」
「おっと」
忘れてた。
説教回避のついでにずっと緊縛されていたちっさいオッサンを助ける。槍で蜘蛛の糸を払うと、ちっさいオッサンはフラフラしながらもしっかり地面に立って頭を下げた。
「ありがとォごぜぇやす。旦那は命の恩人だァ」
そう言うちっさいオッサンは本当に小さかった。身長が50cmぐらいしかない。頭と足が体と比べて大きく、三等身だ。ゴワゴワした無精ひげと草臥れた服、というか割いて体に巻きつけたみすぼらしい布。こりゃ庭のインテリアに混ざっていても違和感無いな。
「オッサ……あー」
「俺ァ野村でさァ」
「野村さんも、えー、こう、体が変わった? 人なんですか」
「旦那、タメ口でいいよォ。そうだよォ、朝風呂入ってたらいきなりなァ。あんときゃ溺れるところだったなァ。そんで家壊されて逃げた先でバケモノに襲われるしなァ。ひでぇもんさ」
野村さんはヒゲを撫でながら恐ろしそうに言った。身震いして服の下からワンカップ焼酎を取り出し、一気飲みする。すげぇ、バケツで酒飲んでるみたいだ。
「そりゃ酒でも飲まねぇとやってらんねぇよォ。なんで俺の町はバケモノがウヨウヨするようになっちまったんだろうなぁ」
「そんなにいるのかい?」
クロの質問に野村さんは深々と頷いた。
「そら嬢ちゃん、」
「私十八歳です」
「そら姉ちゃん、ちょっと探せばいくらでもいるさ。この辺はまだ少ないけどなぁ、町の中心あたりは探さなくてもいるぐらいだしなァ」
「こんなモンスターがそんなに?」
牛の倍は軽くある蜘蛛の死体を見たクロが青ざめて俺を見た。首を横に振る。一匹ならまだしも、束になって来られたら無理だ。
一気に空気を暗くした俺達に、酒が入って顔を赤くした野村さんは気楽に言った。
「いんやぁ、こいつは大物さぁ。ウロついてるのはホラ、大体あんなもんさ」
野村さんが指差す方を見ると、民家の庭先でポメラニアンとゴブリンっぽいモンスターが戦っていた。牙を剥き出し犬パンチを繰り出すポメラニアンに、ゴブリンが500ml緑茶ペットボトルを棍棒のように使って殴り返している。
しばらく激闘が続いたが、ゴブリンが首に噛み付かれた。ポメラニアンは倒れたゴブリンを踏みつけて立ち、キャンキャン勝利の雄叫びを上げている。
弱っ!
「ふむ。脅威になるモンスターほど目立ち、人の口にのぼり易い。ネットなら尚更だ。アメリカの巨木やこの蜘蛛のようなモンスターは例外で、大多数はあんなモノなのかも知れないね」
「なるほど」
俺やクロぐらいの奴らも珍しい訳か。それは一安心だ。
しかし安心をかき消すように、遠くの方から雷が轟くような物凄い咆哮が聞こえてきた。勝利に酔っていたポメラニアンがキャインと情けない鳴き声を上げ、尻尾を丸めて犬小屋に駆け込む。
「つってもやっぱヤバい奴はいるんだよなぁ」
「外は危ないか。とりあえずコンビニに入ろう。殺虫剤の代金もまだ払ってないからね」
クロの提案に頷き、俺達はコンビニに入った。