見えてきた事態
「何それ、気味悪いわね...。」
アリスネルは腕を組むと手で上腕を擦りながらつぶやく。
当夜らによって一通りアリスネルの身に起こったことを説明したのがつい先ほどのことだ。当の本人にしてみても全く身に覚えのない出来事だったようではじめのうちはからかわれているもののと怒り始めたほどであった。
「本当に覚えてないの?」
「うん。一瞬眩暈を感じて、その後すぐに意識を取り戻したと思ったもの。トーヤに抱きかかえられていたのがその証拠だと思ったんだけど。ってことは、その女に操られていた間にあんな雰囲気になっていたってこと!? ト~ヤ~!」
アリスネルの背後にどす黒いオーラが立ち上っている幻覚が当夜の目には映っていた。当夜は手を大きく振りながら事、ここに至った経緯を説明し始める。
「どうやら、その女の子は自身が死んでいることに気づいたみたいだった。そのせいか精神が不安定になっちゃって落ち着かせるためにね。もう、咄嗟だったからよくわかんなかったけどアリスの体だからできたようなもので...」
最後の言葉が少女の苛立ちの炎に油を注ぐ。アリスネルは自身のつつましい胸を叩きながら当夜に立ち昇った炎の一端を言葉にしてぶつける。
「な~に~。じゃあ、体がこれだったなら誰が中身でも良いってこと!? 当夜は体はお気に入りだけど、私の心には惹かれてないってこと? 体が目当てってこと!?」
「いやいや、そうじゃないって。そうじゃなくって、」
「そうじゃないって、それじゃこの体にも興味ないけど、出会って間もないその女の心に惹かれたってこと?」
「だから、そうじゃないって!」
「アリスネルさん、トーヤさんはそんなこと考えていなかったと思いますよ。トーヤさんは優しい人ですから悲しんでいる人を放っておけなかったんだと思いますよ。」
ヘレナが二人の不毛なやり取りに見かねてレフリーとして仲裁してくる。そしてアリスネルの耳元に口を近づけて囁く。
「アリスネルさん、トーヤさんはあなたが遠くに行ってしまうような不安を抱いたのだと思います。心の底にあるものはあなたを失うことへの不安だったと思いますよ。それにあまりに見苦しい嫉妬は殿方に見限られる要因になってしまいますよ。笑顔、笑顔。」
アリスネルの肩がビクッと大きく震える。それはヘレナの吐息が敏感な耳に触れたことでそうさせたのか、あるいは心の奥底で彼女自身感じていた不安を的確に指摘されたことによるものなのか、それともその両方か。
アリスネルは当夜に振り返ると不気味なほどに可憐なほほえみを浮かべている。美しくもはや芸術の域に達したその笑みに真実味は薄い。
「アリス、その顔、美しいのに怖いよ。」
「何よ! それっ!」
アリスネルは顔を真っ赤にしながら当夜に飛びかかろうとする。ヘレナが慌てて間に入り、アリスネルを抑える。
「トーヤさん、今のは無いと思います! さぁ、謝ってあげてください。」
だが、当夜に謝る気配はない。それどころか本人も気づかないうちに頬の筋肉が緩んでいた。そんな当夜の様子に怒りのボルテージが加速的に上がって行くアリスネルはあとちょっとで魔法を叩き込むところまで高ぶっていた。
「ト~ヤ~!」
「やっぱりアリスはこうでなくっちゃ。さっきまでのアリスは人形みたいで怖かったし、君にはそういう元気な姿が似合うよ。だいぶ安心した。怒らせてごめんね。気が済むまで殴っていいよ。」
「ちょ、ちょっと何言ってんの?」
「いや、そういう怒った姿も可愛いなって。」
「はぁ!?」
アリスネルは一瞬呆れた表情となったが、再び顔を赤らめて頬を食事中のリスのように膨らます。
「ずるいよ。そんなこと言われたら殴るに殴れない。
あ~もう、八方美人もいい加減にしてよね。ほら、最奥まで来たんだし、もう帰ろ。」
‘まだ調査が’と続けようとするヘレナの言葉を遮るように当夜が部屋中に響く声を上げる。
「あ~、腹減った! よし、本日の探索、終~了! あとは飯にしよう。」
「ト、トーヤさん...。」
「そうね。じゃ、トーヤの奢りで。高級店に、ね。」
アリスネルがいたずらっ子のようにウインクをしながら振り返ると楽しそうに部屋の入り口に向かって歩き出す。
「そう。俺の奢りで、高級店?」
「では、ごちそうになるか。」
「はぁ、わかりました。トーヤさんの奢りではしょうがないですね。病み上がりだから高い物を食べないと。」
唖然とする当夜をおいて、アリスネル、ワゾル、ヘレナの順に部屋を出ていく。当夜もその後を追いかける。部屋を出る間際に当夜はつぶやく。
「君の心は受け取った。今度こそゆっくりお休み。」
「ありがとう。」
当夜の声に一番小さな何一つ装飾の施されていない石室から小さな応えが返ってきた。気のせいだと断じればそこまでだが、当夜には確かにそう届いたのだった。
当夜は部屋を出てすぐに三人に迎えられた。そこには当夜に可愛らしい笑顔を向けるアリスネルの姿があった。
(君もこんな顔を浮かべていたのかな。彼女とアリスはどこかつながりがある。そんな確信めいたものを感じるんだよね。ただ、アリスにこのことを確かめるのは早い気がするのも確かだ。今は僕が調べる、そのなかでわかった事柄を見極めて判断しよう。今はこの笑顔を失いたくない。
とはいえ、彼女の話では世界樹のシステム事態に不備があるような感じだったな。負の感情の浄化作用が追いつかないとか、悪魔を育てているとか。
負の感情か...。いや待てよ、『感情』を『イメージ』に置き換えてみようか。人類のイメージがマナを介して世界の事象に影響して作ったのが精霊だとすれば、負のイメージが災厄とか不幸を形どったとしたら何になる? 悪魔? 魔王? 安直な例を上げればそんな感じか。では、終焉を形どったとしたら...、この星の崩壊か?
そうだ。異世界人が封印しようとしているのは世界の崩壊、これがその悪魔だとしたらつじつまが合う。だけど、よく考えてみればこれって大丈夫なのか。世界樹は星の地下に負の感情を送り続ける。さらに異世界人は封を強くし続ける。そして、星の中ではその力を蓄え続ける悪魔。その一方で、世界は表向き負のイメージの体現者たる災害や疫病の減退し、人族は繁栄する。これがひとたび戦争でも起きれば負の感情の大量増産につながる。いや、それでなくとも負の感情なんていくらでも。だとしたら、これって...。)
明るい感情で当夜を迎える三人とは真逆の心境で当夜は一人背中に冷や汗を浮かべるのであった。




